宰相ムゾール
文字数 2,951文字
結局クリフは、使者に全てを打ち明けることにした。どちらにしても騎士団の危機に変わりはないが、こちらの方がその後どんな手を打つかで、騎士団存続の希望が見える。
迎賓館は壁や柱、調度品に至るまで繊細で
四隅に優雅な草花が掘られた扉の前で、警護の騎士に取り次がせる。彼らが団長が来たと告げると、部屋の中から機嫌の良い声で入って来るよう応えがあった。クリフは扉を押して部屋に入る。
扉を閉め下げた頭を上げると、クリフは驚きで目を見張った。部屋の中には二人の人物がいたのだ。一人はあの赤い衣装は脱いでしまっていたが、明らかに昨日の使者で、ビロードの張られた椅子に座っている。
問題のもう一人は初めて見る人物だ。痩せて、鷲鼻に尖った髭を蓄えている。身にまとう紫の衣服は重厚な装飾が施され、身分の高い貴族か何かであろうことが推測される。使者の横の椅子に腰かけ、右側の肘掛に持たれて、ずいぶん使者と打ち解けた様子だった。
「おう、よく来た。いやいや、本来なら城の主である団長に先に報告すべきだったが、何分急な事で、後回しになってしまったわ」
使者は溢れんばかりの笑顔でクリフに説明した。
「ご紹介せねば、こちらは宮廷で宰相を務めておるムゾール閣下だ」
紹介された痩せた男は、椅子から立ち上がらずに鷹揚に会釈した。クリフは膝をついてしっかりと礼を尽くした。そうせざるを得ない。彼は国王を補佐する宰相、つまり臣下の最高位にいる人物なのだから。
なぜ宰相がこんな所に来たのだろうか。即位が決まったとなれば、朝廷の忙しさは騎士団の比ではないはず。わざわざ国境の騎士団領まで遠出するとは。この事態には流石のクリフも混乱して、しばし声を発せなかった。
「驚かせてすまぬ。突然来訪して困らせるつもりはなかったのだが、王太子殿下のご即位が決まり、即位式の準備に追われているうち、ふと国境を視察しようと思い立ち、すぐ飛んできてしまった。使者殿もついたばかりと聞いたので、迎賓館まで押しかけたわけだ」
良く自体が呑み込めないが、クリフはとりあえず返事をした。ムゾールの方はなぜか嬉しそうに、ぽんぽんとここへ来た理由を話した。
「即位式となれば国を挙げて盛大に祝わねばならん。もちろん各軍隊も参列したり警備をしたりで、致し方ないとはいえ警戒が緩んでしまう。まして騎士団長も都へ行くとなると、重要な国境の警備が手薄になる。まぁ取り越し苦労だと思うが、このような時こそ油断は禁物、もし敵がこの隙をついて攻め来れば、国土を守ることは難しい。特にシノンは常に我が国を狙っているからな。そこで、国境の軍備を再点検し、足りないところは補充させることにした。備えあれば憂いなし。自らの目で見て増強を行うつもりだ」
つまり、警備の視察ということだ。おそらくヴァンフォール城の北方。国境までの間に点在する砦を見にゆくつもりだ。
「では、故郷付近の砦は我々がご案内しなくては」
生真面目なクリフの言葉を制止し、ムゾールはにこやかに案内は必要ないと断った。
「連絡なしに押しかけて、そなたたちの仕事を妨げることなどできん。領主一家から人を出してくれるというので、その者たちに案内させる。それから、わしが泊まる部屋も用意しなくて良い。今は使者殿も来ておることだし、部屋が足りんだろう。わしは領主の館に逗留するのでな」
領主というのは、昔グランジットの後釜としてハイズンの領主になって以来、綿々と続いているペプラント家のことだ。
「しかし、宰相様をおもてなしせぬわけにはまいりません」
国境の軍備は騎士団が担っているのだから、騎士が同行せぬわけにはいかない。そして騎士団と関わる用事があるなら尚更、迎賓館に泊まるべきである。物見遊山に来た貴族でさえ泊まるのだから。
だが、ムゾールは態度こそやんわりとしているものの、頑なに拒否した。
「これこれ、わしが気を使ってやっているというのに、
終いには宰相の命令だと言い出したので、クリフも引き下がるしかなかった。
「そういえば団長よ、何か用事があったのではないか?」
使者が訊ねた。クリフがここへ来たのは、使者にこっそりと騎士団の重大な秘密を打ち明けるためだ。だが、思いがけずムゾールが姿を現した。彼に聞かれてはまずいだろう。
「いいえ、騎士団は資金集めのために様々な仕事をしておりますので、それらの施設を見学なさり、王都で王妃様ならび王太子殿下にご報告するのが良いかと」
「そうだのう。せっかく来たことだし、いろいろと視察して、陛下にご報告しなくては」
使者は上機嫌でその提案を受け入れた。誤魔化したのは気取られていない。クリフは仕方なく、そのまま退出した。
臙脂色のマントが重い扉の向こうへ消えると、ムゾールは邪魔者がいなくなったと顔を伏せてほくそ笑んだ。こちらもようやく本題に入れる。
「ところで、影獅子聖剣はもうご覧になりましたかな」
「ええ、命令書を読み上げるときちらりと。帰るまでにきちんと拝んでおこうと思っております」
「そうですか。では是非ご一緒したいですな。私は美術品に興味がありまして、装飾のほどをじっくり眺めたいのです」
にこやかに語りながら、使者の表情を観察する。時の権力者と差し向かいであるという緊張感は見えても、ムゾールの言葉を微塵も疑っていない顔だった。
「ところで、ヘトロネアの邸宅で聖剣にまつわる妙な噂を聞きました」
話題が聖剣からそれる前に、ムゾールはこう切り出した。使者はどんな噂かと身を乗り出す。
「それが17年前、ある騎士が関わった事件がありまして・・・・・・」
ムゾールは、騎士団の秘密を噂話として先に使者の耳に入れてしまった。だが、扉の外にいるクリフは知る由も無い。
出てきたクリフの姿を見ると、外にいた騎士たちは皆駆け寄ってきて首尾を訊ねた。クリフはムゾールに聞かれるのを恐れ、扉から離れた所で突然宰相が現れたと告げた。
「急に視察とは・・・・・・」
騎士たちも驚きを隠せない。
「宰相様がいらっしゃるなら好都合では? お二人に話せば・・・・・・」
「それはまずい。王妃様の側近中の側近といえども、余計な人間に知られてしまえば、相談して何とかする前にこの話が王都に広がってしまう恐れもある。あくまで内密にしなくては」
クリフも同じ事を考え、あえて口にせず戻ってきたのだった。だが、視察をするということは、ムゾールもしばらくここに留まることになる。それでは使者と話す機会が奪われてしまうのではないか。
「まだ時間はある。それに宰相閣下は視察に我々の案内はいらぬと言ってきた。使者様とだけで話す機会はむしろ増えたはずだ」
今日のところは諦めて戻るしかない。折角決意を固めたと言うのに肩透かしを食らった気分だった。それにしても、なぜ宰相が突然視察へ来たのだろう。理由も取ってつけたようで言い訳がましく、疑念を抱かずにいられなかった。