ネフィラの作戦
文字数 2,912文字
「よし。やってやろうぜ。でも、どうやって調べるんだ?」
聞くなり乗り気のアルダロン。聖堂での騒ぎを目撃していたので、ムゾールへの印象はすこぶる悪く、きっと悪人に違いないと決めつけているのだ。
「まずは、本当に視察目的でここへ来たのか調べるの」
もちろん、宰相を直接問いただすのは不可能だ。彼が連れてきた使用人たちや、使者たちを調べる。
「さっき考えていたんだけど、ムゾールはヘトロネアのお屋敷に泊まっているのよね。だから明日、私がお屋敷に入り込んで、連れてきた使用人やお屋敷の人たちにいろいろ聞いてみるわ」
「でも、どうやって領主様のお屋敷に? それに、騎士見習いが行ったら警戒されるんじゃないか?」
勿論、ネフィラには考えがあった。ネフィラは普段施療院で仕事をしていた。訪れる患者の中には、ヘトロネア家の使用人もいる。
「私や下っ端の騎士たちは、よく患者の家に薬を届けに行かされるの。私、使用人の誰が薬を必要か知ってる。薬を持ってきたと言えば、中に通してもらえるわ」
既にそこまで考えていたとは。アルダロンはネフィラの頭の回転の速さに舌を巻いた。
「あなたは使者様とそのお付きの方に、宮廷で国境警備を気にするような問題があったか、ムゾールはいつもハイズンの警備を気にしていたのか、視察に行きたいと言っていたか、そういうことを聞き出して」
もうアルダロンへの指示まで決まっている。アルダロンが俄然やる気になっているから良いものの、彼の協力を得られなかったらどうするつもりだったのだろう。
「なら一人でやってた。あなただって一人で川に行ったんでしょう?」
それはそうだ。すぐに一人で来たことを後悔したが。
「それに、アルダロンは絶対この作戦に乗ってくれると思ったの。だって私たち、たった二人の家族でしょう。喧嘩しても絶対離れられないし、助け合う運命なのよ」
その言葉には暖かな情と固い信念が籠っていた。アルダロンの胸は暖かな優しさで満たされていく。
「そうと決まれば、ちゃんと薬を飲んで早く寝て、明日に備えてね」
それから、このことについては二人の秘密とした。アルダロンは人手が多いほうが良いと考えたのだが、ネフィラは秘密が宰相側に漏れることを恐れ、反対した。またクリフに知られたら、心配してやめさせようとするに違いないし、万一失敗した場合クリフもこの事を知っていたとわかったら、守るどころか更に窮地に立たせてしまう。なのでクリフにも内密にすることにした。
ムゾールはヘトロネア家の屋敷で酒を飲んでいた。側には領主のミロンが座っていたが、宰相にすっかり恐縮した態度で、ムゾールのちょっとした視線や動きにもびくつき、豊かな髭や威厳ある顔つきが台無しになっていた。そしてその二人の後ろに
は、カロイブが静かに、しかしあたりを威圧しながら立っていた。
「領主には感謝しておるぞ。お前が話してくれなければ、この計画は失敗だった」
鷹揚に感謝の意を表したムゾールは酒を一口煽った。ミロンはペコペコ何度も頭を下げて過剰に礼を言った。それからムゾールの表情を遠慮がちに伺いながら、細い震えた声で言った。
「それで、その、死んだ息子については、変な噂は立たぬよう配慮するとのお約束は……」
「わかっておる。噂を知った者は皆、レーニアとかいう女がオランドを勝手に誘惑し、逆上したストッドに殺されたと思っている。ご子息と領主一族の名誉は傷つかんから安心せよ」
ミロンはまたしても何度も頭を下げて礼を言う。このやり取りを何度繰り返したのだろう。ムゾールはうんざりだった。名誉を守るどころか、今後さらなる栄誉と安寧を与えてやるというのに、まだ過去の傷が発覚するのを恐れて何度も確かめなければ気が済まない。まったくもって器が小さい。
もういいと言わんばかりに、ムゾールは後ろへ顔を傾けてカロイブに指図した。
「明日ぺプラント商会の方へ顔を出せ。あっちはあっちで、金だ土地だ財産だとうるさいだろうからな」
「承知しました」
そう答えてから、カロイブは騎士団への監視を継続したいと申し出た。
「あの団長はなかなか骨がありそうでした。十日の猶予を要求したのも何か裏があるかもしれません」
ムゾールはもはや虫の息の騎士団など放っておいて構わないと思っていたが、カロイブがそこまで言うなら好きにさせた。
(クリフと言ったか。流石は騎士団の長、聖堂でも動揺を見せていなかった。もし何か企んでいるとしたら危険だ)
カロイブはクリフを、ミロン領主より、ぺプラント商会の母子より目を光らせておくべき存在だと記憶していた。
翌日、教練係不在で、もはや修練は有って無いも同然。アルダロンは早速迎賓館の入り口で誰かが通るのを待っていた。
すると一人の従者が部屋から出てきた。昨日ネフィラに指示された通り、ムゾールの事を聞き出す。
「ちょっとお聞きしたいことがあるのですが」
「何だ? 手短にしろ」
「宰相様は突然の思い付きで視察に来たとか。皆さんは本当にこのことを知らなかったんですか? 皆さんの出発前に予告していたりとかは……」
「さぁ、私は聞いていなかったぞ」
従者は早口で答え足早に去ろうとした。まだ話は終わっていないと、アルダロンは腕をつかんで引き止める。
「何をする! 見習い風情が失礼な、早く放せ」
まだ質問したいアルダロンは従者を逃がすまいとする。急いでいる従者はその腕を振り払い、逃れようと必死だ。だが次の瞬間アルダロンは従者から引き離されてしまった。見ると黒い袖に包まれた浅黒い手が伸びてきていた。
「従者殿は急いでいるのだ。開放してやらないか」
黒髪で黒い瞳、全てが黒づくめの男はまるで母犬が子犬をくわえるかのよに、ひょいとアルダロンをあしらった。怖い物なしのアルダロンも、されるがままになってし
まった。
「まったく、けしからん奴だ」
従者はぷりぷりと去っていった。
「おい見習い、なぜここへ来た」
心の中をのぞくような目で見つめられ、思わず本当のことを言いそうになるが、なんとか考えておいた言い訳を口にする。
「その、俺は王都に行ったことがないので、王都の話が聞きたくて……」
聞いてるのかいないのか、男は品定めするようにアルダロンに視線を注ぎ続けた。もしや嘘が通用しなかったかと、アルダロンの背中に冷や汗が流れる。
「……まぁいい。だがそんな事は人に聞かず自分で見に行け。八日経てば見習いでなくなるんだろう? 晴れて自由の身じゃないか」
小馬鹿にしたような言い方に腹が立ったが、変に口答えしたらネフィラの計画が知られてしまう。ここは大人しく引き下がるが吉だ。
「ちくしょう。なんだあいつ、邪魔しやがって」
迎賓館を出るなり悪態をついた。