闘い
文字数 3,008文字
「忠告してやったのに、元検死役人を連れてこさせるとは、団長は可愛い見習いがどうなっても構わないようだな」
数人の男たちが下馬してネフィラたちに近づいてくる。二人も剣を抜いた。元検死役人はただ恐ろしくてアルダロンの後ろに縮こまっている。
「その男も気の毒だ。殺すと面倒だから生かしておいてやったというのに、お前たちのせいで、大嫌いな死体にならなければならん」
鋭く睨みつけられ、元検死役人は小さな悲鳴を上げた。
カロイブは入念に事件について調べていた。証人となりうる人間の存在も把握しているのは当然だ。それに思い当たらず、証人を見つけたと浮かれて警戒しなかった。ネフィラは自らの迂闊さを呪った。
ここで検死役人を失うわけにはいかない。なんとしても守り、ヴァンフォール城へ戻らなくては。
ああは言っているものの、先ほど撃ち殺さなかったことや、手下たちが襲い掛かってこないのを見るに、幸い、直ぐに殺すつもりはないようだ。これなら逃げ延びる余地がある。
アルダロンがちらりと視線をくれるのがわかった。同じ事を考えていたにちがいない。
二人は馬上でじっと敵を睨みつけ、機を待っていた。相手がじわりと近づき始めたとき、二人は馬を棹立ちにさせて威嚇し、徒歩の敵が数歩下がった隙に、そのまま駆け出した。
ムゾールをはじめ、騎馬の何人かが剣を突き出してきた。二人は己の剣で受け流し、大事な証人を守って何とか囲みを突破する。
「逃がすな、追え!」
カロイブはすぐさま馬首をめぐらして追いかけてくる。その後ろに他の護衛たちも続く。
最初は併走していたネフィラとアルダロンだったが、やはり栗毛がやや遅い。するとネフィラはわずかに速度を落としてアルダロンに先を譲った。
「先に行って!」
アルダロンは振り返る。後ろに回ったのは、証人を守るためだと思っていた。だが、ネフィラは一人で敵を食い止めるつもりなのだ。
「行けるわけないだろう!」
たった一人で十人以上の敵を相手に戦うなど不可能だ。だがネフィラは並んで走ろうとはしなかった。
今の命題は証人をヴァンフォール城まで連れて行くことである。ネフィラの覚悟が伝わったのか、アルダロンは顔を前に向けて栗毛を急がせた。仲間を残して先に逃れるなんて、騎士としてあるまじき行為だが、この窮地を逃れるにはそれしかない。二手に分かれれば、追っ手もネフィラと戦う者とアルダロンを追う者に別れるだろう。そうなれば一人で相手する敵が減り、二人とも逃げ切れる可能性が広がる。もっとも、この程度の人数なら蹴散らす自信はあったが。
森の入口の道が狭くなったところで、ネフィラは手綱を引いて馬を止め、追っ手に向き合う形で立ちふさがった。アルダロンはそのまま駆け抜けてゆく。
先頭の追っ手がネフィラに剣を向けてくる。たった一人で敵と対峙しなければならない。一瞬、緊張と恐怖が湧き上がるが、迫りくる切っ先と共に振り払った。
追っ手は四人ほどでネフィラを囲み、前後左右から剣を突き出してくる。ネフィラは時に馬上で仰け反りながら攻撃をかわし、敵の動きを見定めて的確に切りつけた。
「小僧を逃がすな。ついて来い」
カロイブの声に答えて、数人の手下が後に従い、ネフィラの横をすり抜けようとする。
「行かせない!」
ネフィラは目の前の敵の腕を突いて動きを鈍らせると、巧に手綱を操り、駆け去ろうとするカロイブの斜め後ろから剣を繰り出した。
カロイブは半身になってそれを受ける。二人は馬を走らせながら剣を合わせた。カロイブはネフィラの剣を強く薙ぎ払う。すさまじい力にネフィラは馬上で大きく体勢を崩した。馬も足をもつれさせ、距離を開けられてしまう。
なんとか踏ん張ると、一人の手下が肉薄する。胸を狙った突きを左側に受け流し、左手で剣を握った手を掴み、太ももを突いて馬から引き釣り下ろした。
ネフィラは再びカロイブに挑む。カロイブの一撃は重く、受けるたびに剣を持つ手が痺れるようだった。それに耐えながら、急所を狙った突きを素早く繰り出す。
「なかなかだな。さすが団長仕込みか」
「見習いでも騎士が悪党の手下に劣るわけないわ」
まるで楽しんでいるようなカロイブの声色に、ネフィラは剣を振るう力を強める。
もう一押しというところで、他の手下が横槍を入れてくるのが歯がゆかった。
カロイブは懐から銃を取り出し、手下の剣を捌くネフィラに向けた。目の端に銃口が映り、ネフィラは慌てて身を伏せる。しかし、銃声は聞こえなかった。身を守ることだけに集中した一瞬の隙を突いて、三人の部下がネフィラを囲み、一人が自らの馬を体当たりさせた。白馬が体勢を崩し、ネフィラは落馬した。
カロイブは高笑いを残してアルダロンを追った。ネフィラはその姿を地面から見上げるしかしか出来なかった。受身を取ったので怪我はしていないが、全身が打ち付けられた痛みはある。
手下は五人ほど残って、立ち上がれないネフィラに襲い掛かった。地面を転がって剣先を避けると、立ち上がって応戦する。幸い敵も馬を乗り捨てていた。同じ高さのほうが戦いやすいと思ったのだろう。
ネフィラはいつものように、素早い剣さばきで五人を翻弄した。森の中で木々の間を抜けながらの闘いでは、小柄で身軽なネフィラに分があった。
一人二人と、追っ手は数を減らした。命を奪うほどの傷は負わせていない。早くアルダロンに合流するために、手間取ってはいられない。
ついに追っ手は一人となった。ここまでの闘いで疲れが出ていたネフィラは、つばぜり合いの最中足払いを喰らい、再び地面に倒れてしまった。男は覆いかぶさってその胸に剣を突き立てようとする。かろうじて剣で防ぐが、この体勢では長い剣を振るえない。
ネフィラは勢い良く下半身を起こすと、ぐるりと回して男の後頭部に蹴りを入れた。男がうめいた隙に剣を持った腕で胸を押し、押し倒す。今度はネフィラが覆いかぶさる番だ。すかさず剣を握る手の甲を傷つける。痛みで男は剣を手放した。
「くそっ!」
ネフィラが止めを刺そうとしたその時、敵は腰にあった小さな刀でネフィラのわき腹を切った。痛みが走ったが、それを堪えて剣で男の首筋を切る。血が噴き出し、男は動かなくなった。
傷は深くない。ネフィラはすぐにアルダロンのもとへ向かおうとしたが、数歩歩いて直ぐに、傷口の痛みがなくなった。傷が癒えたのではない。まだ血は流れ出ている。
(痺れている・・・・・・)
恐らくあの短刀には痺れ薬が塗ってあったのだ。その証拠に傷口の周りから、徐々に間隔の無い部分が広がっていく。
この体では加勢どころか足でまといになる。それでも、体の自由が奪われる恐怖と、確実に流れ出る血に冷静さを奪われ、とにかくアルダロンのもとへと、足を動かしていた。
しかし、それも長くは続かず、最後の追っ手の死体からさほど離れずに、ネフィラは崩れ落ちた。体に力が入らないだけではなく、頭もぼんやりとしてきた。這ってでも前へ進もうとするが、指先一つ動かせなくなり、そのうち、目の前の地面すらもぼやけていった。