第1話:利島兼倶が海に落ちたが戻った

文字数 1,487文字

 利島兼倶は1935年3月1日に船橋市港町の漁師の家の長男として誕生。利島兼倶は終戦後、船橋漁業協同組合で働き始めた。近所に住む安田織江は利島兼倶と同じ農協で魚の漁ではなく、海苔養殖とホンビノスガイなど貝類をとる仕事をした。手が空くと港の朝市の手伝いや魚の荷揚げなど朝から晩まで食事以外は休まず働いた。そのため、何とか食べていける程の収入をもらいく質素な生活を続けていた。

 その中で安田織江は食っていくため、ひたすら、船橋漁協で懸命に働いていた。一方、利島兼倶は1949年4月から漁船の乗組員、見習いとして船橋港から出る漁船に乗り始めた。そして、4月中旬、早朝、利島兼倶が乗った船が沖合で春の嵐にあって大揺れした。その時、魚の群れを探すため甲板に出ていた利島兼倶は時化のため船良いになりふらつき始めた。でも何とかじっと堪えていた。

「それでも船酔いと疲れで利島兼倶は甲板から海に投げ出された」
「しかし、時化の海に飛ぶ込む漁師には誰1人いなった」
「ただ、海に投げ出された利島兼倶に浮き輪を投げてやるしかなかった」
「利島兼倶、自身は、海中に投げ出され、意識が遠のき始めた
「数分後と頭の中に母が出てきた」

「お前は、死んではいけないと怒鳴っている姿が脳裏に浮かんだ」
「すると、不思議なことに利島兼倶の意識が戻った」
「とにかく海から浮かび上がるために必死に両手で海水をかき分け泳いだ」
「しばらくすると、目の前が明るくなり海面に出ることができた」
「そして、激しい雨の降る水面に出て何とか空気を吸うことができた」

「そして、数メートル先に大きな浮き輪が見えた」
「そこまで懸命に泳いで浮き輪にしがみついた」
「すると漁船の甲板から誰かが浮き輪にしがみついてるぞと大きな声がした」
「その直後、かなりの力で引っ張られているのを感じた」

「しばらくすると漁船の上に引っ張り上げてもらった」
「そして、佐藤船長が来て、利島兼倶が助かったぞと大声をあげた」
「数人で船内に運ばれ、ずぶ濡れの服を脱がされタオルでふいてもらった」
「そして、暖かい毛布にくるんでもらい、温かいお茶を飲ましてくれた」
「これで、完全に意識を取り戻した。こうして、約1時間後、漁港に帰った」

「その後、この時化の嵐て2人の漁船員が亡くなったと聞かされた」
「約1週間、休んでから佐藤船長が利島実家に来て利島兼倶に船を降りるかと聞いた」
「それに対して、利島兼倶は、いや、いっぱしの漁師になる迄は船を降りねえ大見得を切った」
「それを聞いた佐藤船長が、それでこそ船橋の一端の漁師の卵だと褒めてくれた」

 こうして、再び、沿岸漁業の漁船に乗った。この頃、利島兼倶は近所に住み、同じ漁協で働く安田織江と親しくなり、挨拶を交わすようになった。その後も安田織江は、海苔養殖と貝類の仕事を継続した。こうして、利島兼倶は利島織江が好きになり1951年10月に結婚を申し込んだ。それに対し、利島織江と両親も同意した。

 1952年4月初旬、利島兼倶と織江は船橋の公営の結婚式場で和式の結婚式を挙げた。漁協の仲間達が結婚式に出席し、結婚を祝ってくれた。結婚後、織江は郵便局で定額貯金をして1953年8月には利島家の貯金を80万円に増やした。1955年5月6日、利島織江さんが具合が悪いと言うので旦那さんが近くの産婦人科を受診すると妊娠が判明した。

 1956年が明けると元旦に利島夫妻が初詣に意富比神社「船橋大神宮」に出かけ、安産を祈願してきた。2月26日に利島兼倶が利島織江さんを産婦人科病院に入院させた。そして、3月1日の早朝、男子が誕生したと利島兼倶に電話が入った。
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