第9話:栄枯盛衰と株投資

文字数 1,533文字

 その結果、発売後、たった1ヶ月で3千台ほどの売上から翌月には初回生産した3万台の全てを売上げた。7月20日に利島が好恵さんを船橋の病院の産婦人科に入院させた。そして、7月24日の朝、病院から利島に電話が入り男子誕生と告げられた。その知らせを利島の実家と奥さんの実家に伝えた。そして、利島岩男は奥さんの病室へ急いだ。

 そして彼女の病室に入ると隣に可愛い男の子が寝ていた。そして、完璧な男に育てと利島完一と名づけた。その名前を奥さんに伝えると悪くないわねと言ってくれた。7月23日に自宅に帰ってきた。それから利島岩男は奥さんと子供の面倒で忙しくなった。そのため、早めに家に帰ってくるようになった。やがて秋風が吹き、冬を迎えると除夜の鐘を聞き1980年を迎えた。

 1980年が明け、1月16日ポール・マッカートニーが成田空港で大麻所持の現行犯逮捕され25日に国外退去。5月24日、JOC総会の採決でモスクワ・オリンピック不参加を決定。7月24日、航空機の疑惑判決、日商岩井・海部被告に有罪判決が下された。1981年が明けると首都圏で大人気を博していた船橋ヘルスセンターが1970年代頃からレジャーの多様化によって来場者数が減少した。

 さらに1971年には地盤沈下を抑制するために温泉やガスの汲み上げを差し止められたことが致命的となった。その結果、1977年5月5日で閉園し、21年半の歴史に幕を閉じた。ただし、現在の国道357号より南側にあったプール「ゴールデンビーチ」は、その後、数年間は。夏期営業を続行した。しかし、1980年にはプール「ゴールデンビーチ」へ来る人の数も毎年減っていき経営難となった。

 それに目を付けた三井不動産が広大な土地に千葉県内で最大の巨大な一大商業施設を作ろうと考えた。こうして、1981年4月2日、三井不動産は、ハワイのアラモアナ・ショッピング・センターを参考にして船橋ヘルスセンターの跡地に巨大なショッピングセンターを開業した。これが、三井不動産が初めて手掛けた巨大ショッピングセンターであった。

 開業時の名称は「ららぽーと船橋ショッピングセンター」と決まった。その情報を知った利島良次は、何とか、この会社に入社しようと考え始めた。しかし、自分の力だけでは、どうにもならなかった。そこで思い切って、父の知り合いの船橋漁協の山田営業部長に相談すると協力してやるが成功するかわからないと言った。そして、三井不動産のショッピングセンター開設の担当者に面会を求めてくれた。

 そして、山田営業部長が利島良次を同行して就職させて欲しいとお願いしに出かけた。そして、船橋漁協の山田営業部長と利島良次が2人でショッピングセンター開設の担当者に面会し就職させてもらえる様にお願いし許可された。しかし、ショッピングセンター開設の担当者が就職後、もし成績が良くなかったら就職しても退職させることもありうると言う条件付きで採用だからねと付け加えた。

 その後、1981年4月1日付でショッピングセンターの採用通知が届いた。その後、4月18日、敦賀原子力発電所で高度の放射能漏れ発見された。1981年7月28日に利島好恵さんが体調が悪いと言うので船橋の産婦人科を受診すると妊娠が判明した。そして、予定日が1982年6月7日と告げられた。

 10月28日、ロッキード事件丸紅ルート公判で榎本三恵子、田中被告の五億円受領を裏づける証言をした。1982年が明け1月26日、ロッキード事件全日空ルートで同社幹部6人に執行猶予つき有罪判決が下された。6月4日に利島が好恵さんを船橋の病院の産婦人科に入院させた。そして、6月4日の朝、病院から利島に電話が入り男子誕生と告げられた。
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