第8話:伊豆旅行と世相

文字数 1,528文字

 そして8時から朝食を食べて9時には部屋に戻った。その後、10時にホテルを出て下田観光へ出かけた。ホテルのバスでペリーロード入り口でホテルのバスを降りて歩き始めた。そのペリーロードの最後の路地を入ると了仙寺の参道があった。しかし、アメリカジャスミン「ニオイバンマツリ」の花が咲く5月中旬から下旬には、まだ早く甘い花の香りを楽しむことはできなかった。

 その後、タクシーを捕まえて下田駅に行った。そして、下田ロープウェイに乗り込んで3分ほどで山頂駅へ着いた。ロープウェイの内からは下田の街並みが見下ろせ、素晴らしい景色だった。そのため、奥さんは多くの写真を撮った。その先を行くと急な斜面はなく歩きやすかった。しばらく行くと、所々に展望台と休憩所があった。少し行くと山頂に到着した。

 山頂には恋愛のパワースポットと言われる「愛染堂」があった。御本尊は敬愛、子宝、縁結びなど女性に人気のご利益があると広く信仰されている「愛染明王」。また、朱塗りの小さなお堂は、奈良法隆寺にある「夢殿」を3分の2の大きさで再現されたものだ。寝姿山自然公園では、2月〜3月には「ギンヨウ・アカシア」が花を咲かせ、遊歩道に華やかなると言う。

 黄色い金平糖のような可愛らしい花をたくさん咲かせたアカシアの木が並ぶ小道は圧巻と言われている。寝姿山自然公園は、四季折々で季節の花が楽しめるように整備されているので花公園として知られている。その後、ロープウェイで下田駅前に降りた。その後、駅前の食堂に入って昼食を食べた。その後、タクシーで下田・海中水族館へ向かった。ここではイルカのショーで有名であった。

 その他、大きな亀も泳いでいた。下田水族館を見終えるとホテルに帰り少し疲れたので仮眠した。起きると夕暮れ時となり素晴らしい夕焼けを見ることが出来た。その後、夕食を食べに行き、20時過ぎに部屋に戻り、その晩はテレビを見て過ごし22時半には床についた。こうして、翌朝、朝食後、9時にはホテルをチェックアウトしてホテルのバスで下田駅の送ってもらった。

 そして、伊豆急で熱海駅に向かった。10時半には、熱海駅に着いて11時前の東海道線で東京へ向かったお昼過ぎに東京駅に到着して奮発してタクシーで帝国ホテルへ行って昼食を食べた。決して安くはないが、洋食として、今まで食べたことのない素晴らしい味に感動した。その後の珈琲もまた格別の味だった。そして国鉄に乗って船橋に帰ってきた。

 そして、利島夫妻は新しく借りた西船橋の2Kマンションに入った。4月から弟の利島良次は船橋駅前の商店で販売や電話番などの仕事で忙しくなった。9月3日、王貞治選手が世界一の通算756号ホームラン「当時」を記録した。そして、5日、国民栄誉賞第1号を受賞した。1978年が明けると5月20日新東京国際空港「成田」が開港し、8月12日には日中平和友好条約が調印された。

 1978年9月11日の朝、好恵さんが体調が悪いと言うので利島が船橋の病院の産婦人科を受診させると妊娠が判明し、出産予定日が1979年7月23日と告げられた。それを聞いて利島岩男は喜んで奥さんの実家と自分の実家に奥さんの妊娠の話を伝えると喜んでくれた。その後、好恵さんは転ばないように注意した。11月を迎えると奥さんのお腹が出て来た。

 やがて1979年が明けると1月17日、国際石油資本が対日原油供給の削減を通告した。これにより、日本で第2次オイルショックが起きた。5月9日に日本電気、パソコン「PC‐8001」を発表した。7月1日にはウォークマン1号機「TPS-L2」が新発売された。しかし、最初の売り上げは芳しくなくソニーは芸能人を使い懸命な宣伝を繰り返した。
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