第13話:競馬と阪神淡路大震災

文字数 1,541文字

 その後、父が利島岩男に今年も有馬記念に行かないかと聞くので行きたいと答えた。そして、12月26日、昼過ぎに2人は自宅を出て14時過ぎに中山競馬場に着いた。そして、競馬新聞を眺め第38回有馬記念の出走馬を1頭ずつの記事を読んだ。こうして15時前に店を出てパドックに向かい少し待つと出走馬は出てきた。一通り見終わると馬券売り場に急いだ。

 そして、父が4番トウカイテイオーの単勝30枚と複勝30枚の合計6千円分の馬券を買った。それを見て後ろに並んでいた利島岩男に同じ馬券を同じ枚数購入した。その後、急ぎ足で観覧席に着いた。少しして第38回有馬記念競走が開始された。3コーナーで4番トウカイテイオーが8位につけ4コーナーで5位に上がり直線に入ると13番ビワハヤヒデと4番トウカイテイオーとの一騎打ちになった。

 しかし、ゴール前で4番トウカイテイオーが13番ビワハヤヒデをかわして、1/2馬身差で逃げ切り、勝利を掴んだ。その結果、単勝940円、複勝470円となり、利島親子は36300円ずつの賞金となり払戻所でもらってきた。その後、いつもの様に船橋駅前の寿司屋で寿司を買って自宅に帰った。こうして寿司を食べていると母が今回も中山競馬場へ行ってきたのねと笑いながら言った。

 すると利島岩男が人生の息抜きさと笑いながら言った。それを聞いて、父が人生の潤滑剤さと言うと大笑いとなった。1994年が明けると利島完一が高校受験のため進学塾に通いたいと父に言うと了解してくれた。4月8日細川首相が東京佐川急便からの1億円借り入れ問題などによる国会空転の責任を取り辞任する意向を表明した。これに出来事により細川連立政権は8カ月で幕を閉じた。

 6月22日、ニューヨーク外国為替市場で一時1米ドル・99円85銭を記録し戦後初の100円割れとなった。6月25日、不信任案が可決必至の情勢となり羽田内閣が総辞職した。8月3日東京で39.1℃と41年ぶりに最高気温を更新した。4日静岡県天竜では40.6℃と全国歴代2位を記録した。この頃から日本の温暖化問題が新聞の紙面をにぎわすようになった。

 1995年が明け、1月17日、火曜日の午前5時46分、淡路島北部を震源地とする地震が発生した。東北地方から九州地方まで広い範囲で揺れを観測し、国内で史上初めてとなる「震度7」を観測し、死者・行方不明者は6400人を超えた。そして、全半壊など被害を受けた住宅は約63万棟にのぼった。

 巨大地震の発生場所は北緯34度36分、東経135度02分で震源の深さは地下16キロ、地震の規模を示すマグニチュードは7.3だった。大阪府北西部から兵庫県の淡路島にかけて位置する活断層の一部がずれ動き発生した大地震は近畿地方を中心に広い範囲で揺れを観測した。そして、地震後の気象庁は現地調査で当初、震度6とされた。

 しかし、地震の被害地域のうち淡路島のほか神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市のそれぞれ一部地域で震度7の揺れに相当することが判明したと発表した。都市部で起きた直下型地震は甚大な被害をもたらした。約63万棟の住宅が被害を受け6434人が犠牲になった。地震で亡くなった人のほとんどが家屋の倒壊や家具などの転倒によるものだった。時間がたってから疲労やストレスで亡くなる人も多くいた。

 兵庫県を中心に建物の倒壊や火災が相次いだ。さらに交通、通信、電気、水道などのライフラインが寸断された。その結果、阪神・淡路地方で死者・行方不明者6437人を出した。住宅が密集する神戸市長田区では大規模な火災が起きた。市内各地で火災が同時に発生する中で、地震によって水道管が被害を受けた。そのため放水用の水の確保が困難となり、延焼が拡大する一因になった。
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