第六話 決別の儀式

文字数 4,711文字

「さっき言ってた監視って、本当か?」
 神妙な顔で訊ねたライアンだったが、ルシファーは取るに足らないと言いたげに鼻で笑った。
「本当だよ。あの人も知ってる。手は打つだろうけど、穏やかじゃないね」
「そういう立場だけは勘弁願いたいな。中将に呼び出されたりするのも」
「心配いらないよ」
 あまりにあっさりしたルシファーの返事に、ライアンがむっとする。
「だからお前は」
「友情は薄いけど、愛情は深いんだよ」
 嘘なのか本気なのか分からない顔で茶化したルシファーが、にやりと笑った。
「グレイ中将は案外先輩の能力をかってる。それが見込み違いでないことを祈りますけどね」
「なんだよ。読んだんならそう言えよ。で。その物言いはどうにかしろ!」
「どうせ、ひねくれてますよ」
「開き直るな! ったく。仕事に戻るぞ」
 ルシファーの思考は別のところにあった。
 今夜、カツミはアーロンの所に向かう。あいつを味方になどできるのだろうか。いや、百歩譲って利用することができるのか。どんな代償を要求するのか分からないのに。

 食堂の大きなスクリーンで、避難船事故の合同葬儀が報道されていた。アーロンもこれに出席しているのか。そう思いながら、ルシファーはスクリーンを見上げた。
 あいつは遺族の顔をしていながら、心の中では舌を出している。五千人の上をいく人間を抹殺しておきながら、その生命の重さをこれっぽっちも顧みない。まるで、人間の皮をかぶった悪魔だ。
 そんなやつが相手なのにカツミは無防備すぎる。どこかで牽制しないと、あいつは際限なくカツミを食い尽くすに違いない。

「お前、大丈夫か?」
 ライアンの呆れ声で、ルシファーは我に返った。
「うわの空でさぁ。読めるやつの気持ちなんて分からないけど、知りすぎるのも困りもんじゃねぇ? 身体壊すぞ」
「ご心配なく。誰かと違って体力維持は万全ですし」
「だれかぁ?」
「あんたがさっき心配してた人だよ」
 そう言うとルシファーは先に歩き出した。牽制の手段に思いを巡らせながら。

 ◇

 玄関に入ると、右にキッチンとそれに続く広い居間。廊下の反対側には父親の書斎と寝室。その奥がかつてのカツミの部屋。
 四部屋しかないそのマンションは、特区の最高責任者の家としては質素と言わざるを得ない。家具や調度品もありふれたもので、生活感を感じさせなかった、
 父が何を楽しみに仕事をしていたのか、カツミには分からなかった。趣味も知らない。父には休日という概念がなかった。空いた時間は全て戦況分析に充てていた。
 引き払うことは決めたのだが、カツミは物の多さに途方に暮れていた。週末だけでも人が生活していた場所にはそれなりの物がある。所有権が委ねられたとはいえ、どうしても他人の領域を侵すような気分になってしまう。温かな思い出などないのに。
「うーっ」
 感情を処理しきれず父のベッドに寝転がると、カツミは煙草の残り香のするシーツを引き寄せた。
「ずるいよ」
 理解しがたい感情がカツミを襲う。自分は父を憎んでいた。しかし目指してもいたのだ。

 カツミは思う。訃報を聞いたあの日、泣いたのは父のためじゃない。ジェイのためだ。どんな親であったとしても親は親なのだろう。しかし自分は、それを理解できない。したくもない。ただ悔しかった。置いていかれたことが。父が自分ではなくジェイを選んだことが。

「あんたのためになんか泣いてやらない」
 その呟きはカツミの精一杯の虚勢だった。しかし死者と決別するために、ここを引き払うと決めたのだ。

 ◇

 ベッドの上でぼんやりと天井を眺めていたカツミの耳に、インターフォンの呼び出し音が響いた。モニターを覗き込むと、そこには予想外の人物がいた。セアラだ。
「こんなことだと思ってたわ。なんにも手をつけてないじゃないの。お昼は? 食べてないんでしょ? これは差し入れね。業者はいつ来るの?」
 そんなに畳み掛けられたら答えようがないって。げんなりしていたカツミだったが、セアラの詰問の最後に一言だけ捻じ込んだ。
「16ミリア」
 それを聞いたセアラが大きな溜息をついた。
「来て正解だったわ」
「来てくれなんて頼んでないんだけど」
 カツミが切り返したものの、セアラはそれを質問で上書きした。
「あと3ミリアよ? もっと遅く出来なかったの?」
「夜は予定があるから」
「ふーん」
 カツミの返事を聞き流したセアラは、ファーストフードの包みを開けて差し出した。いつものことながら、すでに事の主導権は彼女に握られている。
「それ食べてて。キッチンから片付ける。全部処分するつもりなの?」
「うん」
「まあ。寮にいる限り必要ないっか」
 そう言うが早いか、すさまじい勢いでセアラが仕分けを始めた。2ミリア後。最後に書斎を残して片付けは完了。その間カツミは、口も手も一切出すことが出来なかった。

「ここはカツミくんがした方がいいよ」
 不用意にデスクの引き出しを開けた時から、セアラは後悔していた。
「捨てちゃ駄目だわ。これ貴方の写真よね。こっちはフィーア」
 セアラが並べた二枚の写真には、オッドアイと青い瞳の子供が映っていた。カツミは産まれたばかり。フィーアは一歳を過ぎた頃。二人はとてもよく似ている。

「知ってたの?」
 カツミの問いにセアラが目を伏せた。
「最近、偶然ね。ごめんね。嫌な思いさせた?」
「いいよ。気にしなくても」
「私、帰ったほうがいい?」
「ううん」
 首を振ったカツミが目を細めた。
「ここにいてよ。見届けてほしいから」
「見届ける?」
「うん」
 カツミの言葉の意味は、やがてセアラにも分かった。
 仕事の資料であるデータカードだけを残し、カツミは父親の持ち物を全て処分用の箱に放り込んでいく。
 これは儀式なのだとセアラは感じた。死者と決別し、自分が前へ進むための儀式。辛くても、その儀式をこなさなければ拭い去れないものがあるのだろう。

 予定通りの時間に来た処分業者が去ったのは、17ミリア。残されたのは百枚以上のデータカード。わずかな書類。それと一本の赤ワインだけだった。
「人ひとり生活するのって、大変な事なのね」
 セアラの言葉に実感がこもっていた。物のない部屋では声の響きまで違って聞こえるんだなとカツミは思う。
「私も、役にたつ物を残したいものだわ」

 形あるものと、そうでないもの。異なる二つのものを残した二人の人物。
「形なんて、なくってもいいんだよ」
 カツミがぽつりとこぼした。不思議そうに見つめたセアラの目に、置き去りにされた子供が映っていた。

 ◇

「時間、大丈夫なの?」
 押し掛けられたとはいえ、荷物の処分が滞りなく済んだのはセアラの助力があればこそ。カツミは、お礼を兼ねて以前ユーリーと来たリストランテにセアラを連れて行った。セアラは席につくやいなや時間を気にした。
「優しいね。普通だったらとっくに見限られてんのに」
 セアラは愛らしい瞳をくるりと天井に向けて、悪戯っぽく微笑んだ。
「これはね、優しさなんかじゃないの。意地よ」
「意地?」
「そっ。譲れるところは最大限に譲る。計算なの。それに一緒に食事だなんて想像も出来なかったことだもの。だから私はとっても嬉しいの」
 メニューの向こうで赤面したカツミを見て、セアラが腕を伸ばして額を小突いた。
「なあに照れてんのよ」
「だって。臆面もなくそんなこと言われたら、何も言い返せないよ」
「あら、私はいつも言ってるわよ。カツミくんが聞いてなかっただけでしょ?」
「そうだっけ?」
「そうよ。まったくもお」
 注文を取りにきたウェイターが二人の会話を遮った。その中断の間に空気が硬くなる。セアラの表情が急に曇った。
「さっきはごめんね」
 なぜ謝るのと問いたげなカツミに、目を伏せたセアラが理由を告げた。
「偶然、立ち聞きしちゃったの。貴方のこと。私、なんにも知らなかったのね。フィーアのお見舞いだなんて、軽率なこと言ってた。合わせる顔がなかったの」
「考えすぎだよ。あの時セアラは、ドクターの言葉を伝えただけじゃないか」
「ドクターはカツミくんにフィーアを近づけることで、ジェイを取り戻したかったんでしょう? ドクターの嫉妬は度を越してるわよ。それに、今のドクターは以前よりもっと酷いわ。ジェイが亡くなってタガが外れたみたいに」
 急に語気を強めたセアラが、テーブル越しにカツミの耳に触れた。
「火傷してるわ。レーザーで撃たれたのね。これって、ドクターの仕返し?」
「なんでドクターがって思ったの?」
 動揺を隠せず聞き返したカツミを、セアラが睨んだ。
「違うって言うの?」
「ううん」
「じゃあ答えて。ドクターは貴方を殺したいほど憎んでるの?」
 ワインにも前菜にも手をつけないまま、セアラが食い入るようにカツミを見つめる。
「私がこんなこと訊くのはね。ドクターの気持ちがどうあれ、貴方がそれを受け入れかねないって思うからなの。今日のカツミくん見てて、強いなって思ったわ。ううん、貴方の実績を見てからかな。二人も大切な人を亡くした後なのに、貴方は全然崩れなかった。でもね、それがとても怖いの」
 まるで細い糸の上を歩くように。小さな欠片を取り除いただけで崩れ落ちる、砂の城のように。

「ジェイはドクターの全てだったんだよ」
 絞り出されたカツミの言葉は苦渋に満ちていた。
「俺はそれを知ってた。知ってて奪ったんだ」
「違う!」
「セアラ?」
「全然違う! 私でも分かることがなんで分からないの? ジェイは貴方を愛してた。誰より大切に思ってた。貴方に嫉妬するドクターのことも当然知ってた。でも決して切らなかった。傍にいてほしかった」
 言葉を区切りながら、溜息まじりにセアラは話し続けた。
「ドクターは、自分が必要とされたことを知ってたはずよ。大切な人の想いを守ろうとしたはず。貴方が奪ったんじゃなくて、貴方が選ばれたのよ。その意味も知ってた。でも今のドクターは想いを裏切ってる」
「……」
「ジェイを、自分自身を裏切ってる。頭いいくせに自分のことには疎いんだわ。貴方もよ。カツミくん。少しは自分のことも考えてね」

 セアラの助言にカツミは全面降伏するしかなかった。そして、彼女の気遣いが嬉しかった。嬉しい気持ちを伝える言葉が見つからず、照れ隠しで目を伏せスープで口をふさぐ。その様子を見て、まだ説教が足りないと思ったのかセアラが畳みかけた。
「こないだは気弱なこと言ったけど、待ってるからね。少しは認めてくれてる?」
 迫力負けしたカツミが、こくりと頷く。
「どれくらいの予定なの?」
「派遣期間はまだ分からないよ。三か月くらいかな」
「ふーん。私、貴方の子供がほしいな。結婚はしたくないけど」
 思わずスープを吹いたカツミに、セアラが満面の笑みを見せた。

「嘘だってば。反応が見たかっただけよ。だれが足枷になんてなるもんですか。私はね、貴方がどこまで行けるか見届けて、少しは力になりたいって思ってるの。それを人に自慢したいだけよ」
 カツミはただ苦笑するしかない。言うべきことを言って満足したセアラが、やっと料理に手をつけた。
「冷めちゃう。食べましょ。時間ないし」
「うん」

 束縛するだけのつまらない恋人なんて嫌だ。セアラはそう思っていた。
 自分もカツミと一緒に大人になっていきたい。自立した存在として。女としてではなく『私』として認めてほしい。
 見届けてほしいと言ったカツミ。それを許された自分。カツミは少しずつ他人を受け入れ、今を大切にすることを覚えている。それが嬉しいと感じる自分がいる。

 やっぱりこれって、恋とは言わないな。そう思いながらも、セアラは優しい気持ちになっていた。
 カツミのことが好き。それで十分だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。


□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。


□サラ・ノース

シドの医大時代の後輩。ユーリーの幼馴染み。

女性。二十七歳。少尉。軍医(内科医)。

完璧主義で竹を割ったような性格。物事を突き詰めて議論しないと気が済まない面があるが、逆に繊細で素直な一面もある。バイタリティのある人物。

内心、シドのことが好き。


□ライアン・クレイスン

カツミとは別の飛行隊所属。ルシファーの幼年学校時代の先輩。

男性。二十三歳。大尉。

短い黒髪。黒い瞳。筋肉質な身体。長身。

北区の基地から特区に転属。士官学校出ではなく能力者でもないので、レアケース。

父親の代からの移民(亡命)。

努力家。おおらかで正義感が強く面倒見がいい。実は女好き。

セアラにひとめ惚れする。

□アーロン・ド・ミューグレー

ジェイの弟。

男性。二十七歳。ミューグレー家の次期当主。

くすんだ長い金髪をゆるく束ねている。薄い茶色の瞳。長身。声はジェイと瓜二つ。

天才ともてはやされた兄と常に比較されて育ったため、ジェイに対するコンプレックスと両親やそれに連なる特権階級に対する憎しみを持っている。

他人は自分の目的を達成させるための道具。目的のためには手段を選ばない冷酷な人物。


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み