エンゲージ
文字数 3,883文字
特区の戦闘機は複座。ルシファーは副操縦士(オフィサ)として同乗した。カツミは、ジェイから受け取ったカードを護符のようにセットすると、能力者でも耐え難い加速と旋回を苦もなくこなし、機を自由自在に操った。
戦場はメーニェ星の衛星オッジ。
主戦場は大気圏外の宇宙空間だったが、熱圏を超えた中間圏にまで攻勢をかけている。
喉を締められるような緊張の中、ルシファーは課せられた解析をこなすので精一杯だった。その中で疑問ばかりが脳裏をかすめる。カツミに恐怖心はないのかと。
操縦と火器管制。この機ではその全てを機長が行う。後席のオフィサの主務は、無線データ管理と火器操作補助である。
しかしカツミはオフィサの提供するデータに頼らず、索敵データを先読みし、敵機表示と同時に毎秒百発の機関砲を撃ち続けた。その勢いに自動装弾が追いつかず、ルシファーが手動で予備弾倉を装填する始末だ。
ミサイルは中距離用のものが四発。短距離用のものが二発しかない。カツミはそれを温存し、機関砲撃ちっ放しのまま、旋回性能限界近くで機を操った。にもかかわらず、操機に無駄がないため燃料の減りはむしろ遅い。
コンピュータ制御の機体だが、急激な姿勢制御と火器のオンオフには機長の操作を必要とした。対戦機も同じように人間が操っている以上、高い操縦能力がなければあっという間に撃墜されてしまう。しかしカツミの情勢判断は的確で、意思決定も速い。
ルシファーは、カツミの父ロイが速攻を得意としていたと聞かされていた。その意味を、息子カツミの行動でまざまざと思い知らされる。
接近戦ではレーダーなどなんの意味もない。身体能力と判断力が頼りなのだ。カツミが急旋回した後方には、敵機の残骸が散り続けた。視認のみに依存しないカツミの認知能力は能力者でなければあり得ないものだった。
誰もが参戦に躊躇する混乱した戦場。だがカツミは、一見無謀に思えるほど躊躇なく切り込んでいく。
その行動をセーブするのが、最初にセットされたカードだった。フライトが過激になると鋭くアラームを鳴らし、HUD(ヘッドアップディスプレイ)に警告を表示するのだ。それを無視すれば機体が自損しかねない。従うしかなかった。
しかし。カツミの奮戦にもかかわらず、戦況はむしろ悪化していた。編隊を組んでいた友軍機は、すでにほとんど撃ち落とされていたのだ。態勢立て直しのために本隊が帰投命令を出すだろうとルシファーが思い始めた頃、カツミの口からとんでもない提案が飛び出した。
「本隊に連絡して」
「なんの連絡ですか」
「今からオッジに単独接近する」
「えっ?」
「これじゃ、埒(らち)が明かない。向こうの基地を無力化する」
無力化……。ルシファーは提案の意味をすぐには理解出来なかった。
「レーダー基地を爆破する。もうこれ以上、飛べないようにしてやる」
劣勢の乱戦を一気に打開する。それは本来司令部が指示すべき作戦行動であり、一兵卒に過ぎないカツミの提案は越権行為だ。だが無策の司令部が対応に苦慮しているのは火を見るより明らかだった。
「了解(ウィルコ)」
オフィサの立場としては制止すべきなのだろう。だが、カツミの言動は地上にいる時と全く違っている。それを感じ取ったルシファーは、カツミがどこまでやるのか、出来るのかをどうしても見たくなった。
ルシファーが本隊に提案を打診し、返答を待っている間にも、カツミは片っ端から敵機を撃墜し続けていた。だが、墜としても墜としても、蟻が蟻塚から湧くように新たな敵機が現れる。それもそのはず、敵軍のパイロットは、ほぼ全てがクローンなのだ。兵士は使い捨て。いつでも増産できる道具でしかない。
彼らと対峙しているルシファーは、内心忸怩(じくじ)たる思いだった。自分も同じように使い捨てなのか? 嫌だ。冗談じゃない。自分は道具じゃない。決して!
服務命令違反で処罰されかねない、あまりに突飛な提案なのに、返信がなかなか来ない。
ルシファーはじりじりしていた。却下であれば却下で、すぐに帰投命令を出してくれ! だが司令部からの返信はルシファーの予想を翻した。
『許可する』
そうか。ルシファーの脳裏に司令部の本意が浮かんだ。敵軍がクローン兵士を大量導入してくることは最初から分かっていたはず。その数的不利を跳ね返す切り札としての能力者部隊投入だった。
だが、能力者は神ではない。どれほど鬼神のように機体を操作できても、一騎当千というわけには行かないのだ。多くの友軍機を失った上に、これといった戦功を得られないまま引き上げれば、司令部は無能の烙印を押されかねない。
『なんでもいい。目に見える戦果を一つ出せ。やれるものならな』
それが許可の実態だろう。司令部にとっては、戦死者が二人追加されたところでどうということもないが、万が一にでも戦果が出れば体裁が保てるわけだ。
ルシファーは、怒りを押し殺してカツミに司令を伝えた。
「機長。許可が出ました。どうやるんですか?」
「潜る」
「は?」
この機は現在、オッジ成層圏の中程。中間圏にいた。
カツミは面食らっているルシファーに目もくれず、機体を180度ロールすると緑の大陸を頭上に見据えて操縦桿を最大に引いた。
スプリットSで高度を下げ速度を上げるのか? とルシファーは思ったが、それどころではなかった。カツミは機首を真下に向けて全速力で降下させたのだ。
水平飛行と違い、垂直の動きの時には迎え撃つ弾やミサイルとの関係が点と点になる。当たりにくく、回避もしやすい。だが、一歩間違えば地上に激突して一巻の終わりだ。
そうか……ルシファーは大いに納得した。宇宙空間や高高度での戦闘は、動けるスペースが大きい分、敵の動きをあらゆる角度から予測しなければならない。
だが、地表近くではそれを絞り込める。そして、敵の迎撃手段も極度に限られる。地対空ミサイルも迎撃戦闘機のミサイルも、自陣を誤爆する恐れがあるので使えない。潜り込むことさえ出来れば、敵の迎撃能力を大幅に減ずることが可能なのだ。
ただ……単機で敵地深くに潜り込むには、途轍もない勇気と超高度な操縦能力を求められる。ルシファーは、ただただ絶句する。これが……超A級能力者というものなのか、と。
しかしルシファーは、すぐに気持ちを切り替えた。
HUDにオッジレーダー基地のデータが表示される。爆撃の目標地点は四か所。この機の中距離誘導ミサイル全てに爆撃目標地点を入力する。
いよいよ眼前に目標地点が迫ってきた。カツミが中距離ミサイルを全弾撃ち放つ。四発のミサイルはほぼ同時に四か所の基地に飲み込まれ、大爆発を起こした。
地上からの高度に余裕のあるうちに、カツミは楽々と機体を引き起こす。すぐに高速水平飛行に移行し、今度は残存するレーダー塔を機関砲で薙ぎ払った。
基地は完全に無力化された。そのデータ解析報告を、オフィサから受けた機長が命令する。
「作戦終了。帰投許可申請」
「了解(ウィルコ)」
蟻塚の穴が塞がれ、目を失った蟻が次々に駆逐される。制空権を失うと、地上基地は爆撃機の餌食になるだけだ。援軍到着時間確保のために、メーニェに残されていた手段は一つしかなかった。星間誘導ミサイルの照準がシャルーに向けられたのだ。
メーニェの警告に対して、シャルーもミサイルで応戦する構えを見せた。どちらかが発射すれば、両星とも廃墟と化す。このミサイルを撃ち落とす手段はないのだから。
交戦の代わりに、駐留艦隊の空母の中でチキンレースが始まった。戦局が膠着する中、二国間の緊張を必要以上に高めたと、カツミの行動への非難が噴出したのだ、
しかし。空母に帰投したカツミは、ただじっと黙していた。時を待つように。その先にあるものを知っているかのように。
戦闘が中座して三日目のこと。時が凍りついた戦場に一つの訃報が届いた。
──国王崩御。
長い間、過去の栄光を無為に引きずり続けていたシャルー国王が、ついに逝去したのだ。
軍の指揮権は評議会にあったが、用意された文書に署名するだけと言っても、頂点には国王が就いていた。
その崩御を評議会が利用しないはずがない。葬儀と服喪の名目ですぐさま休戦提案が出された。
破滅直結の星間ミサイルに頼るしかないほど劣勢に追い込まれていたメーニェだけでなく、戦局を全くコントロール出来なかったシャルーにとっても、国王崩御は降ってわいたような僥倖だったのだ。ミサイルの照準はすぐさま背けられ、即日休戦協定が結ばれた。
それは、国王崩御という偶然がもたらした結果なのだろう。だが、特区に戻ったカツミを待っていたのは非難や懲罰ではなく、特進の栄誉だった。カツミが単騎断行した作戦への誹謗中傷は全て伏せられ、代わりに栄誉を着せることによって、あまりに無策だった司令部の失態が覆い隠された。
祀り上げられていくことにカツミは何の感情も示さなかった。ルシファーはそれが不思議でならない。カツミは自分自身のことを道具だと思っているのだろうか。彼は死への恐怖すら覚えない最強の道具なのか。
いや……。ルシファーは首を振り、その疑念を振り払った。飛んでいる時のカツミはまるで別人だった。大地の鎖から解放された彼は、鳥のように自由を謳歌していた。まるで、百年前の伝説の英雄が再臨したかのように。
カツミ専属オフィサであるルシファーは、この先ずっと彼の変貌を見続けることになる。