第五話 嵐のただなか
文字数 3,491文字
「不安かね? それとも不服かね?」
挨拶の後、グレイ中将が口にしたのは詰問ではなく、純粋な確認だった。それはカツミをひどく困惑させた。
まさか上官が心情を確かめるなんて。特区で、まことしやかに流れている自分の悪評を追求され、叱責されると覚悟していたのに。
しかし、最高司令官となったグレイ中将は生粋の実力主義者であり、ゴシップなど一顧だにしなかった。
緊張で息が詰まったが、カツミは思い切って心情をぶつけた。
「不服はありません。しかしこのような大任は自分の手に余ります」
「君を推したのは私だ。そんなことを言われると、私の立場がなくなる」
グレイ中将の表情には、厳しさの中にもおおらかさが滲んでいた。予想外の姿勢に戸惑っているカツミの着席を促し、グレイが言葉をつないだ。
「私は君の父親と同期でね。彼のことは良く知ってるよ。だが、彼の息子だから君に期待しているわけではない。初陣での君の武功は誰もが認めるところだ。君には、能力も勝負勘も運も備わっている。今回の作戦は、その実績をもとに立案された。気後れすることはない。後方支援は私が責任を持って行う。君は能力者部隊の統括だけ全力で遂行してくれればいい」
「はい」
「不安なのは分かるがやってもらう。それと、ここだけの話だが」
急に声を落としたグレイが、視線を外した。
「私はこの機会に君に実績を積んでもらいたいのだよ。特殊能力者の実力を、能無しどもに見せつけるいい機会だと思っている。私は君を必要としているし、君も私を利用してくれていい。急を要している。こんな時期に生半可な人事をするほど、私はこの国を嫌ってはいないのでね」
カツミの初陣であった前回の作戦。
あの時は、オッジのレーダー基地を無力化したものの、両星が星間ミサイルを向け合ったことで戦場は凍り付き、シャルー星国王の崩御によって休戦が決まった。
現在は国王の遺言により王政は廃止され、軍の指揮権は完全に評議会に委ねられている。
戦争はもはや経済活動の一部となっており、終戦を願う政財界人は少なかった。一方、社会環境が大きく様変わりするなか、戦況の変化を望む者が評議会や特区に増えている。
意識変化をもたらす一因となったのは、至近に発生した大型避難船爆発事故。
事故原因は不明。だが、それにより政治経済の中枢にいた上流階級者の六割が死去した。
彼らがこぞって避難船に搭乗したのは『星間ミサイルが発射された』という情報を信じていたからだ。しかしそれは発信源不明の怪情報であり、情報通であるはずの上流階級者がなぜ誤報に踊らされたのかは明らかになっていない。
情報の出どころについては様々な憶測が流れた。大手情報企業であるミューグレー家にも疑念が向けられたが、事故で社長夫妻が死亡していたことが判明し、疑念は同情へと変化した。いずれにせよ、真相を知る者は極めて限られていた。
「オッジを抑えれば、独立戦争という名のゲームは終わりだ。政府交渉さえ上手く行けば一年以内に収束すると、私は思っているのだがね」
ゲームなどという言葉が中将の口から飛び出したことにカツミは面食らった。苦笑したグレイが、これは君の父親の口癖だったと付け加える。
「敵も多かったが、誰もが実力を認めていた。私もその一人だったのだよ。前回の作戦も、彼が指揮していれば違った結果だったと思う。私は実力差をしっかり思い知らされたよ」
率直に自分の非を認めた最高責任者に、カツミは驚いたが好感を持った。
「君は父親を目標に特区に来たのではないのかね?」
「はい」
カツミの表情は硬かったが、グレイはそこに強い決意が宿っているのを見逃さなかった。
「能力者部隊を率いられるのは、超A級の君だけだ。それをスケープゴートにしたがる連中もいるがね。だが私は、やつらの考えには賛同出来ない」
信頼は心を縛るが、人を動かす原動力ともなる。
密談をするような表情だったグレイが再び厳しい表情になっても、カツミはもう怯まなかった。
「詳細は追って伝達する。下がってよろしい」
起立したカツミの敬礼に、グレイが頷き返した。
グレイ中将は、ジェイに次いでカツミの大きな可能性に気づいた人物だった。
◇
「シーバル大尉が、中将に呼び出されたんだって?」
そう言ったライアンは、同情を無邪気にぶちまかしていたが、ルシファーは警戒を解かなかった。
ルシファーは周囲を探りながらイライラしていた。寮の食堂はいつも居心地が悪い。まわりの連中が聞き耳を立てているのが嫌でも伝わってくる。フライトペアを組んでるってだけで、なんで自分がカツミのとばっちりを食らう羽目になるんだ。
二人分の昼食を平らげたライアンが、つらっと言ってのけた。
「お前も友情の薄いやつだなぁ」
すかさずルシファーが噛みつく。
「ゆうじょお?」
「声が裏返ってるってば。違うのかよ?」
からっと笑いながら、ライアンがルシファーをからかった。
「どう転んだら、俺がカツミ・シーバルに友情を抱くんだよ」
「んじゃ、愛情」
にやりとしたライアンの目に、図星と顔に書かれたルシファーが大写しになる。だが、ルシファーはすぐに表情を切り替えた。意地の悪い薄笑いとともに。
「無神経な詮索は、倍返しさせてもらう」
「ええっ?」
ルシファーが指差した先を見て、ライアンが慌てた。そこには二人に気づいて手を振っているセアラの姿が。
「あること無いこと吹き込んでやる。覚悟しとけよ」
「ルシファー!」
さっと寄って来たセアラが、ライアンに屈託なく話しかけた。
「こんにちは。こないだは、ありがとう。えっと」
「ライアン。ライアン・クレイスン」
引きつった笑みを浮かべたライアンを見て、セアラが不思議そうに小首を傾げた。同じテーブル席にルシファーがいることも、意外だったらしい。
「ライアン。ルシファーとは、どういうお知り合い?」
「あ、幼年学校のね」
「気をつけたがいいですよ」
ライアンの説明をさっと遮ったルシファーが、反撃を始めた。復讐するは我にあり。ルシファーの笑みはまさに悪魔のよう。ライアンは、こめかみを押さえて耐えるしかなかった。
「なにを?」
「ちょっと可愛い子をみると、声かけずにいられない病気持ちですよ。こいつは。でも成功率は一割切ってます。学習能力もないってことですね。幼年学校でずっと一緒だったんです。よく知ってますよ」
しばらくの間、セアラはルシファーとライアンを交互に見比べていた。
しかし、セアラが警戒心とともに見つめたのはライアンの顔。その瞬間、ルシファーの勝利が決まった。
「こんなのに引っ掛かってる暇あったら、先輩のとこに行ったらどうです? 昼から実家を引き上げるそうですし。場所、教えますよ」
「あら、協力してくれるの?」
住所を確認しながら立ち上がったセアラに、ルシファーが短く探りを入れた。その表情は硬い。
「身辺に不自然なことはないですか?」
「えっ?」
「先輩を良く思ってない連中が大勢いるんです。まわりにまで被害が及びかねない。監視されてるとか、そんな気配は?」
「全然ないわよ。そっか。カツミくんって、そういう立場なのね。なんか寂しいな」
きゅっと唇を噛んだセアラを見て、ルシファーが倍返しの総仕上げをした。
「ボディガードになら、こいつを推薦するんですけど」
「お前ねぇ!」
ルシファーからの攻撃に堪えかねて、ライアンが大声で抗議する。それをくすくす笑いながら見ていたセアラは、住所の書かれたメモに目を落としながら食堂を出て行った。その眼中に、もはやライアンは存在しない。
しばしの沈黙。そして沈黙を破ってテーブルに穴が開きそうな溜息をついたのは、もちろんライアンだった。
「どこが倍だ! 倍どころじゃねぇだろうが!」
「いちおう全部事実ですけど? 反論したけりゃ、すれば良かったんですよ。まあ事実に反論したってねぇ」
「ったく。もういい。長期戦で行く」
「へぇ。案外とご執心だったんですね。人生哲学変えましたね」
「なんだよ、それ」
「質より量だったじゃないですか。昔は」
「言ってろ!」
妙なとこに鋭いくせに詰めが甘いんだよ。そう思いながらもルシファーには分かっていた。他人から指摘されて苛立つのは、それが事実だからだ。
ルシファーの頭の中は、カツミのことでいっぱいだった。子供の頃から彼を知っているライアンが、すぐに見破れるほどに。
嵐のただなかにいるカツミ。その彼に、ルシファーはもう寄り添っていた。誤算の恋心に、たくさんの言い訳を重ねながらも。