第四話 作戦司令官

文字数 3,726文字

 夕闇の迫る頃。寮のエレベーター前で、ルシファーは思わぬ人物と鉢合わせした。
「なんっで、あんたがここにいるんだよっ!」
 声を荒げたルシファーを、ライアンが余裕の笑みであしらう。
「こりゃまた、ご挨拶だな。機嫌悪いのか?」
「自分が上機嫌だった記憶なんてないね!」

 ライアン・クレイスンは、ルシファーが幼年学校の時の先輩だった。
 当時のルシファーは、のべつまくなしに敵をつくる問題児。他人の裏が『聞けて』しまうがゆえに人間不信の塊になっていて、すぐに先制攻撃をぶちまかす。弾幕を張ることで自分を守っていたのだが、学校にとっては扱いにくい困り者だった。

 ライアンはそんなルシファーのお目付け役。
 もっとも頼んでもいないのにしゃしゃり出てくるライアンは、ルシファーから見ればしょうもないお世話焼きだった。
 ルシファーが他人の表裏に対してどうにか折り合いをつけたのは、士官学校に入る頃になってからだ。子供時代のルシファーをよく知っているライアンは、当然、その扱いにも慣れていた。

「つけ加えるなら上官だぞ。ちったぁ敬意を払えよ」
 払ってもらう気などないが取り敢えず言ってみたライアンだが、予想通りに手厳しく切り返された。
「払いたいような相手なら、俺はいつだって低姿勢ですよ!」
「どこがだよ!」
 挨拶代わりにひとしきり噛みつき合った後、けろりとしてライアンが切り出した。
「聞きたいことがあってね」
「ふーん。いい女でも見つけたんですか?」

 ライアンは先制攻撃を食らった。相手の手の内をよく知っているのはルシファーも同じなのだ。絶句したライアンを含み笑いとともに一瞥したルシファーは、先にエレベーターに乗り込んだ。

「てめー。反則だぞ!」
 後を追うように乗り込んできたライアンが食ってかかったが、ルシファーはどこ吹く風でやり過ごす。
「読んでませんよ。あんたの場合は顔に書いてるし。ほんと馬鹿正直なんだから」
「馬鹿は余計だ。じゃあ話は早いな。セアラ・ラディアンって知ってるか?」

 今度はルシファーが絶句した。ライアンが突然の沈黙にまごついている間にチャイムが鳴り、エレベーターが停止する。さっと籠を出たルシファーを、慌ててライアンが追った。
「俺、なんかまずいことでも言ったか?」
「まあね。でもなんで知り合ったんです?」
「なんでって。具合悪そうだったから声かけて……」

 ルシファーの足がエレベーターホールの窓の前で止まった。陽の落ちた窓外には常夜灯の灯りとサーチライトの光。しかし彼の瞳にそれらは映っていない。ライアンにとっては見慣れた態度だ。ルシファーが何か言い出すのをじっと待っている。
「彼女、特区にいませんね。気配がない」
「そんなことまで探る必要あんのかよ?」
 ルシファーの呟きを聞いて、ライアンが呆れる。セアラがいきなり現れる可能性なんかほとんどないだろうに、と。
「話なら、俺の部屋で」
 そんなことだから必要以上にイライラするんだろうが。自室に向かうルシファーの背に向かって、ライアンがぶつくさこぼした。

 ◇

「なんだってー?」
 しかし部屋に入るなりルシファーの言った言葉に、ライアンは声を上げて驚いた。
「だからぁ、カツミ・シーバルの恋人ですよ。ったく。廊下で話さなくて良かった」
「言っちゃあ悪いけど。特区に来たときから、あいつの悪い噂ばっか聞くぞ」
「知ってますよ。流してる相手もね。くだらない」
 ルシファーの返答を聞いて、ライアンが首を傾げる。
「くだらない?」
「根も葉もないことばかりですよ。あの人は元最高司令官の息子だから、嫉妬されてるんです」
 ルシファーもとばっちりを食らっていたが、当のカツミがまるで態度を変えない。悪評に反応するほど事態をこじらせるということを、熟知しているからだろう。

「ふぅん。やけに庇うんだな。お前にしちゃ、進歩だけど」
 面白そうに茶化すライアンを見て、ルシファーが冷たく釘を刺した。
「ここはそういう所ですよ。中途半端な実力じゃ、太刀打ちできないんです。あの人もオッジ行きですしね」
「俺は大丈夫だろ? 士官学校出身じゃないし。能力者でもないしさ。駐留艦隊だってチャンスかもしれないじゃないか。戻ってきたらまた昇進だろ?」
「チャンスなのは貴方の方でしょうが」
「はははー。バレたか」
 にたりと笑ったライアンに一瞥をくれたルシファーが、椅子に身体を投げ出す。苛立って見せたものの、頭のなかは急速に冷めていた。
「恋人って言っても片恋ですよ。彼を支配してるのは、もう死んだ人間ですからね」
「ジェイ・ド・ミューグレーね。一流どころが揃ってて目が眩むよ」
 噂を流したのはアーロン、依頼したのがシドということをルシファーは知っていた。アーロンにとっては、自分の兄もただの道具なのだ。
 フィーアのクローンをつくる。そんな馬鹿げたことを考えた人間だ。利用できるものは全て利用する。そういう考えなのだろう。
 フィーアにはカツミと拮抗する高い能力があった。それを早くから見抜いて援助した慧眼(けいがん)は称賛に値する。しかし、その間にフィーアは……。

「なんだよ。黙りこくって」
 ライアンの声に我に返ったルシファーは、予想外のことを訊かれた。
「駐留艦隊のメンバー発表は? 遅くないか?」
「ああ。そう言えば」
「もうあってもいい頃だろ? お前、危ないぞ」
「俺が?」
「能力者部隊で編成するんじゃないのか? シーバル大尉が前例になったし」
 前例。それを作ったのはカツミだけではない。搭乗ペアを組んだのは、他の誰でもないルシファー本人なのだ。
 日課として、ルシファーは上層部の動きを探っていた。しかしここ数日はカツミに振り回され、それどころではなかったのだ。
「最悪……」
 呟いた途端に電話が鳴る。緊急会議への招集命令だった。もちろん、高みの見物はおあずけとなった。

 ◇

「生きてましたね」
 同日の深夜。カツミは、部屋を訪れたルシファーにのっけから皮肉をぶつけられた。シドには会うなと言われていた手前、カツミは強く出られない。

「心配してくれてたの?」
「まさか。でも死なれちゃ困ることになったんですよ」
 もう夜中だ。こんな時間に訪ねて来たのは、何か緊急事態が起こったからだろう。そう察したカツミが眉をひそめた。
「なにかあった?」
「オッジ行きのメンバー発表。貴方はとっくに決まってましたけど」
「まさか」
「そのまさかですよ。能力者部隊は根こそぎです。他の基地からの引き抜きもありました。見ますか? 壮観ですよ」
 ルシファーが組織図を広げたのを見て、カツミはむしろ安堵していた。なんだ、単なる部隊の組み換えじゃないかと。だが……能力者部隊のトップに自分の名前が記されているのを見て、思考が止まった。

「なんだよ、これ……」
「俺は笑いましたよ。まさか貴方を、作戦司令官に推す人間がいるとはね」
「階級は関係なしか」
「能力レベルだけで選んでますね」
 カツミが束ねる隊員は五十名以上だった。大規模な別動隊の指揮権が他に書かれているにしても、中心になって動くのはどう見ても能力者部隊である。

「で、ご感想は?」
 新人をいきなりトップに据えるというありえない人事。カツミはそれをどう受け取るだろう。ルシファーは蒼白になっているカツミの顔をじっと見据えた。
「逃げたいよ」
 カツミがぼそりとこぼした。カツミでなくとも、そう思うだろう。
「それは困りますね」
 だが、ルシファーからは不満声が上がった。言い返そうとしたカツミだったが、言葉が出てこない。頭の中は真っ白。パニック状態だった。

 入隊してたったの一年。実戦は一度きりだ。それなのに、二度目の出兵でいきなり作戦司令官をしろというのか。そんな前例などあるはずもない。カツミは前代未聞の指令の意図を図りかねていた。

「基本的に休暇の日程はそのままです。ただし、明日は仕事ですよ。今日の緊急会議。貴方が特区にいないから、俺がぶつぶつ言われました。……で? ドクターは帰って来たんですか?」
「明日……帰るって」
「これを知ったら、泣いて喜びそうですね。自分の手を汚す必要もないし」
 組織図を凝視したまま凍り付いたカツミには、ルシファーの皮肉に切り返す余裕はなかった。
 五十……五十六名。自分より階級の高い隊員が半数はいる。そのトップに自分の名前がある。アドバイザーも副官もいない。使える道具は使い倒すのが特区のやり方。自分は今、試されている……。
 カツミの動揺をよそに、ルシファーが話題を変えた。
「耳。撃たれましたね。火傷してますよ」
「うん」
「それと。ライアンってやつがいるんですけど。まあ、俺の知人で」
「ライアン?」
「大尉なんですけどね。セアラ・ラディアンに、ひとめ惚れしたって」
 ルシファーは笑いながらライアンを揶揄した。惚れっぽいライアンの悪い病気だ。どうせすぐに終わると、ルシファーは軽く考えていた。だがカツミは複雑な表情を浮かべている。
 タイミングが悪かったかと思いながら顔を逸らせたルシファーの目に、メッセージボックスが映った。届けられていたのは見慣れた紋章入りの封筒。
「ミューグレー家の紋章ですね」
「うん」
 またひとつ、カツミを追い詰めるものが増えていた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。


□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。


□サラ・ノース

シドの医大時代の後輩。ユーリーの幼馴染み。

女性。二十七歳。少尉。軍医(内科医)。

完璧主義で竹を割ったような性格。物事を突き詰めて議論しないと気が済まない面があるが、逆に繊細で素直な一面もある。バイタリティのある人物。

内心、シドのことが好き。


□ライアン・クレイスン

カツミとは別の飛行隊所属。ルシファーの幼年学校時代の先輩。

男性。二十三歳。大尉。

短い黒髪。黒い瞳。筋肉質な身体。長身。

北区の基地から特区に転属。士官学校出ではなく能力者でもないので、レアケース。

父親の代からの移民(亡命)。

努力家。おおらかで正義感が強く面倒見がいい。実は女好き。

セアラにひとめ惚れする。

□アーロン・ド・ミューグレー

ジェイの弟。

男性。二十七歳。ミューグレー家の次期当主。

くすんだ長い金髪をゆるく束ねている。薄い茶色の瞳。長身。声はジェイと瓜二つ。

天才ともてはやされた兄と常に比較されて育ったため、ジェイに対するコンプレックスと両親やそれに連なる特権階級に対する憎しみを持っている。

他人は自分の目的を達成させるための道具。目的のためには手段を選ばない冷酷な人物。


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