第四話 責める者も嘆く者も

文字数 3,899文字

 来月の作戦に向け、特区司令部は蜂の巣をつついたような様相を呈していた。達成目標はオッジの完全制圧。レーダー基地の復旧前に叩く必要があったからだ。
 駐留艦隊への増員は締結したばかりの休戦協定破棄と同意だった。今回の作戦は茶番ではない。皮肉な言い方をすれば『本当の』戦争である。

 しかしシドにとっては、国の持つ切迫感など全く無意味だった。夜に彼の医務室を訪ねたサラも、その事実を知らされただけに終わった。

「貴方が担当した患者、亡くなったわ」
「そうか」
 サラの言葉をシドが素っ気なくかわした。相変わらず感情が見えない。分からない。その困惑と苛立ちが、サラの口調をいっそう尖らせていった。
「なぜって聞かないのね」
「私の管轄は特区の隊員だよ。他の住人じゃない。手が足りないからって駆り出された仕事に、後々まで責任を持つ義務はないよ」
 全てを終わらせた者の突き放すような返答。特区を去ると決めたシドには、義務外の仕事への執着などないのだ。
「割り切りがいいのね」
「隊員の健康管理と有事の対応だけが仕事だよ。戦場じゃ、助けることより死亡診断書を書くことの方が多いけどね」
「それが嫌になったの?」
「なんだ、知ってたのか」
 そう言うとシドは遠くの滑走路を眺めた。ナイトフライトから帰投してきた戦闘機が格納庫に向かっている。待機している整備車両のライトが赤く滲む。

「引継ぎの質問は早めに頼むよ。なにかあったら、他のドクターに。あの上司はちょっと堅物だけどね」
「厄介ごとを人に押しつけて、せいせいしたって顔ね。院長か。一度なってみたいものだわ」
 皮肉をぶつけたサラに、シドが素っ気なく答えた。
「医院はしばらく閉めるよ」
「えっ? なんで?」
「やりたいことがあるんでね」
 サーチライトの光が室内を舐めるように通り抜ける。
 サラの探るような視線は、シドの硬い笑みで遮られた。それは拒絶だった。
「やなやつ。性格直したほうがいいわよ」
「そうかな」
 あくまでもとぼけるシド。その頑なに変わらない態度を見て、サラは超えられない壁の存在を意識するしかなかった。
「いつだってそう。貴方は上手くかわして来たつもりでしょうけどね。また自殺でもする気?」
「まさか」
 シドは薄く笑うばかり。表情からも言葉からも真意を汲み取れない。極限まで苛立ったサラは、シドがどうしても外そうとしない仮面(ペルソナ)を強引にむしり取ろうとした。

「質問してもいいかしら?」
「どうぞ」
「ジェイとそれ以外の人の、どこがどう違うっていうわけ?」
 するどい詰問に、シドの視線が虚空に泳いだ。
「それを言葉で説明しろって言うのか?」
「ぜひともね。人の志向にいちゃもんつける気はないけど、説明なしじゃ理解できないから。貴方が築ける幸せな家庭っていうのも、全然想像できないし」
「ずいぶんだな」

 サラの皮肉は、シドにとっての事実だった。
 幸せな家庭だと? そんなものは、この世のどこにも存在しないよ。馬鹿ばかしい。サラは一般的な価値観しか理解できないんだろう。私はそれを非難する気はない。だが、他人と私の生き方は違うんだ。

 シドは、価値観の噛み合わないサラを突き放すことにした。これ以上やりあっても時間の無駄。互いに消耗するだけだ。

「愛した人が彼だった。それだけだよ。私が愛せるのはジェイだけだった。彼だったから許せたし、彼になら抱かれたいと思えたんだ」
 サラにとって、それはあまりに予想外の告白だった。そして、彼女の失恋を確定させる宣言だった。
 学生時代のシドは世渡り上手で、まわりの評判はすこぶる良かった。彼の演技を見破れる人物は、ひとりもいなかったのだ。幼年学校を二年もスキップして医大に入学したというのに、成績は常にトップ。浮ついた話が出たことは一度もなかった。
 同じ研究グループに所属していたサラは、いつもシドの助手をしていた。一緒にいる時間が増えると、見えてくるものがあった。
 ──この人は、自分を偽って生きている。
 サラはシドのなかにある空洞を見ていたのだ。だからこそ惹かれた。しかしシドはすぐに卒業して、ストレートで特区に入ってしまった。遠く手の届かない場所に行ってしまったのだ。

 サラの心の中は、ショックと悔しさと悲しさで、ぐちゃぐちゃだった。大嵐が吹き荒れていた。
 やっとまた会えたのに。こんな失恋の仕方ってある?
 ジェイはきっと、シドの本心を見抜いたんだわ。彼は特区百年の逸材と言われた人だもの。でも……。
 でも私は油断してた。ジェイが男で、私が女だから。たったそれだけのことで、自分が優位だと思い込んでいた。たったそれだけのことで……。
 ショックのあまりサラは言葉を失った。ようやく出せた声は、ひどくかすれていた。
「彼は貴方のなに?」
「全てだよ。私はジェイが欲しかったんじゃない。ジェイを入れる殻になりたかったんだ。彼の欲求に応えることだけが、自分の心を満たしてたから」
「捨てられた相手への言葉じゃないわね。あの子にとっては、とんだとばっちりだわ」

 サラは悔しさをカツミの話題にすり替えた。粉々に砕け散った自分の想いを、シドに知られたくなかった。
 彼女の指摘に、シドはいつもの苦笑で応じる。
「カツミはジェイの唯一だったんだ。返せば私にとってもそうだったはずだ。自分がただの殻だと認めるなら、嫉妬なんて筋違いだけどね」
「あなたはあなたよ。殻になんてなれるものですか。けれど貴方がジェイと一対で在りたかったのなら、カツミともそうすべきじゃないの? 少なくとも殺すなんて思わずに」

 サラは思っていた。自分こそシドと一対でありたかったと。
 しかしシドの思考は、現実から遠く離れていた。
 シドには、ジェイが遺した『望み』を叶えることしか頭にない。

「殺す? 君の情報源もたいしたものだね」
 皮肉ったシドをサラが睨みつける。シドはもう、彼女の追求に応じることに疲れていた。

「話を逸らさないで。貴方を必要としてるのはジェイだけじゃないのよ。同じようにカツミもね」
「欲しくもない能力を与えられて、有効に使えと強要されるなんてね」
「なに言ってるの? あの子だけじゃないわ。貴方は能力者部隊を否定するの?」
「カツミは能力を受け入れることが出来ていない。これはジェイが私に残した課題なんだ」
「課題? なんのことよ」

 シドはもう答えようとせず、返事の代わりに帰り支度をはじめた。
「逃げるの?」
「言いたくない無駄なことを言わない権利くらいある」
「そんなことじゃ、貴方は一生誰からも理解してもらえないわよ。上っ面だけを上手に進んで、ただの臆病者じゃないの」
「臆病者? けっこう。その通りだね。私が必要なのはジェイだけだ。ジェイ以外に理解される必要なんてない。今からそんなことを始めて、どうなるって言うんだ。私はジェイしかいらない! 他のものなんていらないんだ!」

 ──他のものなんていらないんだ!
 シドの放った残酷な矢が、サラの胸を深々と射通した。
「だったら、そうするといいわ! 死人と自分だけの狭い世界に生きてなさいよ! でもそうしたいのなら、他人を巻き込むのはやめて! 自滅するなら勝手にすればいいわ! 一人でね!」
 サラの非難は、もうシドの心に届かなかった。
「そうさせてもらうよ。ありがたくね」
「貴方は馬鹿よ!」
 シドは振り返ることなく、医務室を出て行った。

 ◇
「ドクター」
 久し振りに医務室を訪れたセアラは、がらりと印象を変えていた。彼女は長かった黒髪をボブに仕上げている。
「髪、切ったのか」
「似合う?」
「似合うよ。大人っぽい」
「元がいいから、何したって似合うのよ」
「……今日は休み?」
 笑顔と苦笑が交差した。しかし、セアラはすぐ真顔になった。

「昼休み。訊きたいことがあって来たの。分かる?」
「……カツミのことだね」
 諦め顔のシドに、食い入るような視線が注がれた。

「私ね。カツミくんが大事なの。大切なの。ドクターもそうじゃなかったの? それとも、今までのは嘘だったの? ジェイが亡くなってから変わったの?」
「私はセアラの敵かい?」
 それはセアラにとって予想外の返答だった。彼女の毅然とした表情が困惑に変わった。
「カツミくんはドクターのこと好きなのよ。大事なの。失いたくないの。私もそう思っていたいわ。ドクターが変わっていないなら」
「私が変わった?」
「変わったわ」
「嫌いになった?」
「なりたくないから来てるんじゃないの!」

 重苦しい会話を遮るように戦闘機の爆音が轟いた。
 時計に顔を向けてから、セアラが再びシドの瞳を見据える。
「カツミくんのとこに行ってあげて。なにも言わないけど待ってるのよ。でも」
「でも?」
「ドクターが今までのドクターじゃないなら、私は二度と会わせないわ!」

 ──心のままに。追われてもいい。安らぎは別の場所にあるのだから。
 セアラの残した言葉に、シドはむしろ安堵していた。自分はもう迷うことなどないのだ。道を狭めてくれたことに、感謝すらしたい思いだった。
 流れる水は加速する。澱む暇など与えられない。自分の進む道は決まっているのだ。誰もそれを阻むことはできない。

 今のシドは奇妙な高揚感に満たされていた。なぜだか楽しかった。責める者も嘆く者も今にしか影響しない。その今はすぐに過去になる。いや、消えてなくなる。
 あと四日。到達点の見えているシドは、自分の欲求に忠実だった。そして心は穏やかだった。

 シドがデスクの引き出しを引いた。中にはあの手紙だけがひっそりと置かれていた。
 シドは、何度も読んだ追伸の文面に目を通す。そして確認を終えると、安堵の笑みをこぼした。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。


□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。


□サラ・ノース

シドの医大時代の後輩。ユーリーの幼馴染み。

女性。二十七歳。少尉。軍医(内科医)。

完璧主義で竹を割ったような性格。物事を突き詰めて議論しないと気が済まない面があるが、逆に繊細で素直な一面もある。バイタリティのある人物。

内心、シドのことが好き。


□ライアン・クレイスン

カツミとは別の飛行隊所属。ルシファーの幼年学校時代の先輩。

男性。二十三歳。大尉。

短い黒髪。黒い瞳。筋肉質な身体。長身。

北区の基地から特区に転属。士官学校出ではなく能力者でもないので、レアケース。

父親の代からの移民(亡命)。

努力家。おおらかで正義感が強く面倒見がいい。実は女好き。

セアラにひとめ惚れする。

□アーロン・ド・ミューグレー

ジェイの弟。

男性。二十七歳。ミューグレー家の次期当主。

くすんだ長い金髪をゆるく束ねている。薄い茶色の瞳。長身。声はジェイと瓜二つ。

天才ともてはやされた兄と常に比較されて育ったため、ジェイに対するコンプレックスと両親やそれに連なる特権階級に対する憎しみを持っている。

他人は自分の目的を達成させるための道具。目的のためには手段を選ばない冷酷な人物。


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