第四話 責める者も嘆く者も
文字数 3,899文字
駐留艦隊への増員は締結したばかりの休戦協定破棄と同意だった。今回の作戦は茶番ではない。皮肉な言い方をすれば『本当の』戦争である。
しかしシドにとっては、国の持つ切迫感など全く無意味だった。夜に彼の医務室を訪ねたサラも、その事実を知らされただけに終わった。
「貴方が担当した患者、亡くなったわ」
「そうか」
サラの言葉をシドが素っ気なくかわした。相変わらず感情が見えない。分からない。その困惑と苛立ちが、サラの口調をいっそう尖らせていった。
「なぜって聞かないのね」
「私の管轄は特区の隊員だよ。他の住人じゃない。手が足りないからって駆り出された仕事に、後々まで責任を持つ義務はないよ」
全てを終わらせた者の突き放すような返答。特区を去ると決めたシドには、義務外の仕事への執着などないのだ。
「割り切りがいいのね」
「隊員の健康管理と有事の対応だけが仕事だよ。戦場じゃ、助けることより死亡診断書を書くことの方が多いけどね」
「それが嫌になったの?」
「なんだ、知ってたのか」
そう言うとシドは遠くの滑走路を眺めた。ナイトフライトから帰投してきた戦闘機が格納庫に向かっている。待機している整備車両のライトが赤く滲む。
「引継ぎの質問は早めに頼むよ。なにかあったら、他のドクターに。あの上司はちょっと堅物だけどね」
「厄介ごとを人に押しつけて、せいせいしたって顔ね。院長か。一度なってみたいものだわ」
皮肉をぶつけたサラに、シドが素っ気なく答えた。
「医院はしばらく閉めるよ」
「えっ? なんで?」
「やりたいことがあるんでね」
サーチライトの光が室内を舐めるように通り抜ける。
サラの探るような視線は、シドの硬い笑みで遮られた。それは拒絶だった。
「やなやつ。性格直したほうがいいわよ」
「そうかな」
あくまでもとぼけるシド。その頑なに変わらない態度を見て、サラは超えられない壁の存在を意識するしかなかった。
「いつだってそう。貴方は上手くかわして来たつもりでしょうけどね。また自殺でもする気?」
「まさか」
シドは薄く笑うばかり。表情からも言葉からも真意を汲み取れない。極限まで苛立ったサラは、シドがどうしても外そうとしない仮面(ペルソナ)を強引にむしり取ろうとした。
「質問してもいいかしら?」
「どうぞ」
「ジェイとそれ以外の人の、どこがどう違うっていうわけ?」
するどい詰問に、シドの視線が虚空に泳いだ。
「それを言葉で説明しろって言うのか?」
「ぜひともね。人の志向にいちゃもんつける気はないけど、説明なしじゃ理解できないから。貴方が築ける幸せな家庭っていうのも、全然想像できないし」
「ずいぶんだな」
サラの皮肉は、シドにとっての事実だった。
幸せな家庭だと? そんなものは、この世のどこにも存在しないよ。馬鹿ばかしい。サラは一般的な価値観しか理解できないんだろう。私はそれを非難する気はない。だが、他人と私の生き方は違うんだ。
シドは、価値観の噛み合わないサラを突き放すことにした。これ以上やりあっても時間の無駄。互いに消耗するだけだ。
「愛した人が彼だった。それだけだよ。私が愛せるのはジェイだけだった。彼だったから許せたし、彼になら抱かれたいと思えたんだ」
サラにとって、それはあまりに予想外の告白だった。そして、彼女の失恋を確定させる宣言だった。
学生時代のシドは世渡り上手で、まわりの評判はすこぶる良かった。彼の演技を見破れる人物は、ひとりもいなかったのだ。幼年学校を二年もスキップして医大に入学したというのに、成績は常にトップ。浮ついた話が出たことは一度もなかった。
同じ研究グループに所属していたサラは、いつもシドの助手をしていた。一緒にいる時間が増えると、見えてくるものがあった。
──この人は、自分を偽って生きている。
サラはシドのなかにある空洞を見ていたのだ。だからこそ惹かれた。しかしシドはすぐに卒業して、ストレートで特区に入ってしまった。遠く手の届かない場所に行ってしまったのだ。
サラの心の中は、ショックと悔しさと悲しさで、ぐちゃぐちゃだった。大嵐が吹き荒れていた。
やっとまた会えたのに。こんな失恋の仕方ってある?
ジェイはきっと、シドの本心を見抜いたんだわ。彼は特区百年の逸材と言われた人だもの。でも……。
でも私は油断してた。ジェイが男で、私が女だから。たったそれだけのことで、自分が優位だと思い込んでいた。たったそれだけのことで……。
ショックのあまりサラは言葉を失った。ようやく出せた声は、ひどくかすれていた。
「彼は貴方のなに?」
「全てだよ。私はジェイが欲しかったんじゃない。ジェイを入れる殻になりたかったんだ。彼の欲求に応えることだけが、自分の心を満たしてたから」
「捨てられた相手への言葉じゃないわね。あの子にとっては、とんだとばっちりだわ」
サラは悔しさをカツミの話題にすり替えた。粉々に砕け散った自分の想いを、シドに知られたくなかった。
彼女の指摘に、シドはいつもの苦笑で応じる。
「カツミはジェイの唯一だったんだ。返せば私にとってもそうだったはずだ。自分がただの殻だと認めるなら、嫉妬なんて筋違いだけどね」
「あなたはあなたよ。殻になんてなれるものですか。けれど貴方がジェイと一対で在りたかったのなら、カツミともそうすべきじゃないの? 少なくとも殺すなんて思わずに」
サラは思っていた。自分こそシドと一対でありたかったと。
しかしシドの思考は、現実から遠く離れていた。
シドには、ジェイが遺した『望み』を叶えることしか頭にない。
「殺す? 君の情報源もたいしたものだね」
皮肉ったシドをサラが睨みつける。シドはもう、彼女の追求に応じることに疲れていた。
「話を逸らさないで。貴方を必要としてるのはジェイだけじゃないのよ。同じようにカツミもね」
「欲しくもない能力を与えられて、有効に使えと強要されるなんてね」
「なに言ってるの? あの子だけじゃないわ。貴方は能力者部隊を否定するの?」
「カツミは能力を受け入れることが出来ていない。これはジェイが私に残した課題なんだ」
「課題? なんのことよ」
シドはもう答えようとせず、返事の代わりに帰り支度をはじめた。
「逃げるの?」
「言いたくない無駄なことを言わない権利くらいある」
「そんなことじゃ、貴方は一生誰からも理解してもらえないわよ。上っ面だけを上手に進んで、ただの臆病者じゃないの」
「臆病者? けっこう。その通りだね。私が必要なのはジェイだけだ。ジェイ以外に理解される必要なんてない。今からそんなことを始めて、どうなるって言うんだ。私はジェイしかいらない! 他のものなんていらないんだ!」
──他のものなんていらないんだ!
シドの放った残酷な矢が、サラの胸を深々と射通した。
「だったら、そうするといいわ! 死人と自分だけの狭い世界に生きてなさいよ! でもそうしたいのなら、他人を巻き込むのはやめて! 自滅するなら勝手にすればいいわ! 一人でね!」
サラの非難は、もうシドの心に届かなかった。
「そうさせてもらうよ。ありがたくね」
「貴方は馬鹿よ!」
シドは振り返ることなく、医務室を出て行った。
◇
「ドクター」
久し振りに医務室を訪れたセアラは、がらりと印象を変えていた。彼女は長かった黒髪をボブに仕上げている。
「髪、切ったのか」
「似合う?」
「似合うよ。大人っぽい」
「元がいいから、何したって似合うのよ」
「……今日は休み?」
笑顔と苦笑が交差した。しかし、セアラはすぐ真顔になった。
「昼休み。訊きたいことがあって来たの。分かる?」
「……カツミのことだね」
諦め顔のシドに、食い入るような視線が注がれた。
「私ね。カツミくんが大事なの。大切なの。ドクターもそうじゃなかったの? それとも、今までのは嘘だったの? ジェイが亡くなってから変わったの?」
「私はセアラの敵かい?」
それはセアラにとって予想外の返答だった。彼女の毅然とした表情が困惑に変わった。
「カツミくんはドクターのこと好きなのよ。大事なの。失いたくないの。私もそう思っていたいわ。ドクターが変わっていないなら」
「私が変わった?」
「変わったわ」
「嫌いになった?」
「なりたくないから来てるんじゃないの!」
重苦しい会話を遮るように戦闘機の爆音が轟いた。
時計に顔を向けてから、セアラが再びシドの瞳を見据える。
「カツミくんのとこに行ってあげて。なにも言わないけど待ってるのよ。でも」
「でも?」
「ドクターが今までのドクターじゃないなら、私は二度と会わせないわ!」
──心のままに。追われてもいい。安らぎは別の場所にあるのだから。
セアラの残した言葉に、シドはむしろ安堵していた。自分はもう迷うことなどないのだ。道を狭めてくれたことに、感謝すらしたい思いだった。
流れる水は加速する。澱む暇など与えられない。自分の進む道は決まっているのだ。誰もそれを阻むことはできない。
今のシドは奇妙な高揚感に満たされていた。なぜだか楽しかった。責める者も嘆く者も今にしか影響しない。その今はすぐに過去になる。いや、消えてなくなる。
あと四日。到達点の見えているシドは、自分の欲求に忠実だった。そして心は穏やかだった。
シドがデスクの引き出しを引いた。中にはあの手紙だけがひっそりと置かれていた。
シドは、何度も読んだ追伸の文面に目を通す。そして確認を終えると、安堵の笑みをこぼした。