第三話 一番強いカード

文字数 4,394文字

 夕陽の名残が薄く雲を染めている。木立の向こうに見えるのは森に囲まれた湖だった。二人を乗せた車が邸宅の門を抜けてから、もうしばらく経つ。
「私有地だろ? これ」
「管理するのが大変でしょうね」
 うんざりした声をあげるカツミに、ハンドルを握ったままルシファーが笑う。
 カツミはジェイの家のことはなにも知らないらしい。
 そう察して、ルシファーは不思議に思っていた。
 ミューグレー家は元貴族。そして情報の根幹を握る大企業なのだ。なのに、カツミの興味の対象はジェイ個人のみ。他人とは求めるものが根本から違うらしい。

 宵闇の薄い幕があたりを覆う頃、車はようやく屋敷のアプローチに滑り込んだ。ミューグレー邸は、石造りの古城のような邸宅である。
 ひんやりした空気は森の香を含んでおり、淡く街灯に照らされた前庭にも大きな落葉樹が枝を広げる。そこには、春の到来を待ちわびる花の蕾が見えた。

 二人が屋敷に歩み寄ると、察したように正面のドアが開いた。暖色の灯りの漏れ射すなかから、小柄な人物が現れて会釈をする。
「いらっしゃいませ。お久し振りですね」
「……リーン?」
 出迎えた人物を見た二人は、息を飲んだ。
 リーン・フェリー。全員処分されたはずのクローンが、そこにいた。

 ◇

「抜け目がないですね。こんな都合のいい使用人は、いないじゃないですか」
 客間に通され二人きりになると、さっそくルシファーが呆れ声を漏らす。
「リーンは存在しないんです。どんな秘密を知られても、殺してしまえばいいんですからね」
「どんな秘密って、それが仕事なのか?」
「情報の錬金術師ですよ。来ました」
 重厚でクラシックなドアが開いた。
 入ってきたのは背の高い端正な顔立ちの人物だった。長めのくすんだ金髪をゆるく束ね、薄い茶色の瞳。
 アーロン・ド・ミューグレー。ジェイの弟である。
 無意識に緊張を覚えさせる独特の雰囲気。口元は微笑んでいるように見えるが、その視線は鋭かった。
 ただ、多くの特権階級の人物たちが持つような、高慢な態度は漂わせていない。むしろドライな現実主義者に見えた。
「突然招待状をお渡ししたので、さぞかし驚かれたのではないかと」
 アーロンの声を聞いたとたん、カツミが雷にでも打たれたような表情になった。
 それを横目で見たルシファーは、内心ほぞを噛む。
 アーロンの声がジェイと瓜二つだと聞いたことがあったのだ。ルシファーはアーロンとは顔見知りだが、家の跡継ぎとして特別扱いだったジェイとは会ったことがない。しかし、今のカツミの表情で裏付けが取れてしまった。

 アーロンから本題が切り出されたのは、食後のお茶の時だった。
「こういうことは早めに済ませておきたくてね」
 アーロンが一枚の書類をテーブルに広げた。
「遺言状です。兄は昔の事故の後、ほとんどの財産権利を放棄した。でも南部の別邸だけは所有してましてね。その権利を貴方に譲渡したいと書いているんです」
 黙って聞いていたカツミが、ゆっくりと口を開いた。
 頭がぼんやりする。思考がまわらない。特殊能力者を警戒する気持ちは分からないでもないが、どうやら一服盛られたらしいとカツミは感じていた。
「俺がいらないと言ったら、どうするんですか?」
「次の候補者、シド・レイモンド医師の返答を待ちます。彼も権利を放棄すれば、壊して土地は売ります」
 アーロンは、取り繕うことなくあっさり答えた。
「じゃあそうして下さい。俺には必要のない物です。そんな権利は初めからありませんし」
「欲のない人だな」
 呆れ顔を向けたアーロンだったが、ルシファーが眠り込んだのを見るなり、がらりと態度を変えた。

「一人じゃ警戒するだろうと彼も呼んだのだがね。これくらいのことで物怖じする人間じゃないようだな」
「こんな書類のことなら手紙で十分だろ?」
 表情を硬くしたカツミに、アーロンが冷笑を向ける。
「そう。これは二の次だ。一度会ってみたくてね。兄の愛した人物を知りたいと思うのは当然だろう?」

 張り詰めた空気がカツミを包んでいた。しかし、彼はなぜか、それを振りほどくことが出来なかった。

 ◇

 開け放たれた窓から、夜の冷気が染みるように入りこんでくる。空は濃紺の色に薄紫の雲を滲ませ、この星のリングを垣間見せていた。
 窓辺に立ち、アーロンは外気に紫煙を吐き出す。視線を戻した先には寒さに肌をさらす痩せた身体があった。
 天蓋つきの大きなベッドにうつ伏せに横たわり、身動きもしない。いや、たとえその意思があったとしても、彼にはシーツを引き寄せることすら出来ない。

 煙草をもみ消すとアーロンがカツミに近づいた。
「後悔しただろう?」
 冷ややかな問いに答えはない。仰向けに身体を返されると、痛みに息を飲みながら色の違う瞳が見開かれた。その胸にも背にも、赤い鞭跡が刻まれている。
 滲んだ血をシーツに移して横たわるカツミは、とても妖艶に見えた。ずっと噛み締めていたために、唇すら乾いた血が彩っている。

「嫌なら拒んだよ」
「お気に召したとでも?」
「そうじゃないけど」
 意地悪く追及するアーロンに、カツミは言葉を濁す。
 あまりに叫びすぎたために、その声は枯れてしまっていた。カツミの両手を戒めていた革紐が解かれる。
「くだらない遊びだがね。なにも考えなくてすむ。他人を完全に征服するなんて、今時そうそうないからな」
「完全に?」
 カツミが追求すると、アーロンが不敵に笑んだ。
「反撃に身構えているのも悪くはないさ。その方が楽しめる」

 アーロンがカツミの傍らに滑り込んだ。いたわるようにシーツを掛けられ、カツミが意外そうに見つめると、その視線を捉え直す。
「その目で見られると見透かされたような気になるな」
 淡い室内灯を受けて、クリムゾンとトパーズの瞳が問いたげに揺らぐ。
「後ろ暗いことのあるやつは、さぞかし嫌なことだろうよ」
「あんたは違うとでも言うわけ?」
 カツミが非難を含ませて追求すると、アーロンは視線を泳がせた。
「違わないよ。他人より良心ってものが少ないだけさ。いや、報復の覚悟があるってことかな」
 分からないと言いたげにカツミが眉を寄せると、アーロンは瞼に唇を寄せて閉じてしまう。声を出そうとすれば口づけで止められ、腕を伸ばそうとすれば傷口を舐め上げられて、身をすくめて痛みに耐えるしかない。

「質問だ。答えるな?」
「なんだよ。人の言うことは聞かないくせに」
「聞きたくないものは聞かないのさ」
 カツミのむっとした顔に薄っすらと笑みで応えたアーロンは、壁にかけられた絵画を指さした。
「知ってるか?」
「馬鹿にしてんの?」

 そこには、シャルー星初代統治者の家族画があった。
 母星からの移民を束ねて、精神的にも経済的にも強い拠り所となった王家。
 しかしそれは過去の事となった。つい先日の国王崩御に伴い、遺言によって王政は廃止されたのだ。

「まるで女神像だな。非の打ち所がなくて高貴すぎて」
 絵画の中心にいる人物。アーリッカ王女への言葉である。ブロンドの髪と青い瞳。真っ白なドレスの少女。
「こんな話があってね。国王の子供は十人いたんだが、その全てが違う母親なんだよ。そして一人娘で病弱なせいもあって、彼女ばかりが可愛がられてた。どうなると思うか?」
「やっかみがきついだろうね」
 話の主旨を明かさないアーロンに、カツミが苛立った声で答える。
「そんな可愛いもんじゃないさ。世継ぎ争いだぞ」
「国王は彼女を女帝にしたかったの?」
「正確には自分の愛人にしたかったのさ」
「ありえないだろ」
 顔をしかめたカツミが、邪推を疑ってかかる。
「事実かって? もちろん。仕事だからな」
「単なる興味で調べたんだろ?」
 ──アーリッカ王女は逃亡した。彼女の最期のことは誰も知らない。

「君が彼女の立場だったらどうする?」
「それが訊きたいこと?」
「そうだ」
 カツミはしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開くときっぱりと告げた。
「俺だったら残る」
「父親に犯されるんだぞ。場合によっては殺されるかもしれない」
「そんなの受け入れない」
「頑固だな」
「誰もが幸せになる方法なんて発見されてない。でも、主張することを止めてしまったら何も残らないよ。自分のために誰かが不幸になるなら、その父親と寝たっていい。そして裏で操ってやる」
「言い方を間違った。狡猾だな」
 苦笑したアーロンに向かって、カツミが小さく呟いた。
「彼女は一番強いカードを持ってたのに」

 沈黙が落ちた。長いながい沈黙の中で、自分の髪がただ弄ばれるのを受け入れていたカツミが、思い出したように問うた。
「なんでこんなこと訊くんだ?」
「作戦を立てるには情報が必要なのさ」
「鞭打ちもその手段かよ」
「遊びだよ。誰かに罰を与えてもらいたい気分なんだろう? カツミ」
 名前を呼ばれたカツミは思わず息を飲んだ。アーロンの声はあまりにもジェイに似ている。それだけで惹きつけられてしまう。
 その上、アーロンの言葉はカツミの本音だった。誰かに罰してほしい。狂気に落ちたシドの顔が脳裏にこびりついて離れないのだ。

「君を殺したい人物がいるんだ。誰だか分かるか?」
「ドクターだね」
「違うよ」
 分かりやすい嘘を聞きながらカツミは思っていた。
 シドはアーロンと顔見知りらしい。ジェイと十年ものあいだ恋人どうしだったのだ。ミューグレー家と繋がっていないわけがないと。
「私にとっては、どうでもいい話だ。それに、リーンの実験で君の必要性は確信されたろうしな。特区は手放さないと思う」
「実験?」
「そう、実験だ。シスの効力を試したのさ。将来的にはこの国でも、能力者にシスを使用することになるだろうよ。メーニェみたいにな」
 ──戦争の道具として。
「二十日までここにいるか? その間に、依頼主の方を片付けてやってもいいぞ」
 頷けば必ず実行しそうな顔をアーロンはしていた。
「逃げたくない。自分で解決したい。傲慢だって言われてもそうする」
「傲慢だよ。それに逃げることは卑怯じゃない。時間が経てば人の気持ちは変わる。たがの外れた人間になにを言っても無駄だ」
 アーロンの見方は冷静で客観的だった。だがカツミは思う。自分はそれでいいのか、そのままオッジに向かえるのかと。
「納得いかないか? まあいい。やりたいようにやることだな。下の様子を見てくるよ。そろそろルシファーが、お目覚めのことだろうし」

 ベッドから降り寝室のドアを開けたアーロンだったが、すぐにその人物を目にした。
 ドアの外で壁を背にして座り込んだルシファーが、ついっと顔を上げる。険悪な表情を浮かべていた。
「なんだ。いたのか」
「悪いかよ」
「で。一部始終を聞いてたのか? いい趣味だな」
「あんたほどじゃないけどね」
 睨みつけたルシファーに肩を竦めただけで、アーロンは階段を下りて行く。それを見送りながら、面倒なことになったとルシファーは思っていた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。


□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。


□サラ・ノース

シドの医大時代の後輩。ユーリーの幼馴染み。

女性。二十七歳。少尉。軍医(内科医)。

完璧主義で竹を割ったような性格。物事を突き詰めて議論しないと気が済まない面があるが、逆に繊細で素直な一面もある。バイタリティのある人物。

内心、シドのことが好き。


□ライアン・クレイスン

カツミとは別の飛行隊所属。ルシファーの幼年学校時代の先輩。

男性。二十三歳。大尉。

短い黒髪。黒い瞳。筋肉質な身体。長身。

北区の基地から特区に転属。士官学校出ではなく能力者でもないので、レアケース。

父親の代からの移民(亡命)。

努力家。おおらかで正義感が強く面倒見がいい。実は女好き。

セアラにひとめ惚れする。

□アーロン・ド・ミューグレー

ジェイの弟。

男性。二十七歳。ミューグレー家の次期当主。

くすんだ長い金髪をゆるく束ねている。薄い茶色の瞳。長身。声はジェイと瓜二つ。

天才ともてはやされた兄と常に比較されて育ったため、ジェイに対するコンプレックスと両親やそれに連なる特権階級に対する憎しみを持っている。

他人は自分の目的を達成させるための道具。目的のためには手段を選ばない冷酷な人物。


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