第三話 告白

文字数 3,681文字

 柔らかな雨の降る一日だった。新緑の季節を迎えるための慈雨。しかし、春への扉を開くのは容易ではない。

 夜半近い時刻。カツミの部屋を訪れたルシファーは、ドアを開けたカツミを見るなり顔をしかめた。
 カツミは、発熱しているのがすぐに分かるほど顔が赤くなっていた。
「言わんこっちゃない。風邪引いたんでしょうが」
「うん」
「だからって、タオルケット握ったまま出迎えるってのは、どんなものかと」
「寒いんだよ」
 億劫そうにベッドに戻ったカツミだったが、無言のまま隣に滑り込んだルシファーに驚き、くるりと寝返りをうった。
「添い寝してあげますよ。今回は自主的に」
「風邪うつるよ」
「うつしてくれますか?」
「ルシファー?」
 貪るように唇を奪われる。痛いほど真っすぐ向けられた深緑の瞳を見て、カツミは嫌な予感を覚えた。
 唇をようやく解放されたカツミは、すかさず問いただした。

「なにかあったの?」
 ルシファーは、押し黙ったままカツミの背を抱き締めた。
「言ってよ。なにがあったの?」
 カツミは、以前にも同じことがあったのを思い出していた。そう。ジェイがフィーアの死を伝えた時だ。痛いほど強く抱かれた。身動き出来ないほど強く……強く抱かれた。
「ルシファー?」
「ドクターが退官するそうです」
「えっ?」
「父親が亡くなって月末に辞めるそうです。もう会わないほうがいい。あの人は」
 ──あの人は自分の進む道を見出してしまった。
 ルシファーは言葉の最後を飲み込んだ。口に出せなかった言葉が身震いに変わる。
「なんで会わないほうがいいなんて言うんだ?」
 カツミがせわしなく聞き返す。しかし、ルシファーは唇を噛んだまま答えない。
「なにを知ったんだよ」
「……」
「言ってよ。大丈夫だから言って」

 意地を張り通していたルシファーの中に恐怖が芽生えていた。失くしてしまうのではという恐れが。失くしたくないという本音が。ルシファーは一気に想いを吐き出した。

「なんで読んでくれないんですか? ずるいですよ。なんで訊くんです? 知りたくないくせに、なんで。そうやって力を封印していないと、自分が傷つくのを知ってるからでしょう? でも貴方は、あの人に会ったらその封印を解かなきゃならない。俺は、そんな貴方を見たくない!」
 ルシファーの畳み掛けるような口調は、これまでの一歩引いた冷めたものとは違っていた。
「ルシファー?」
 腕を解いたルシファーを、カツミが真っすぐに見つめていた。

 ──いのちのクリムゾン、死のトパーズ。
 生死を映す鏡。その神秘的な瞳に射すくめられながら、ルシファーがカツミに告白した。
「好きだから。失いたくないから。貴方を壊すような目には、あわせたくない」
 ルシファーは、発熱しているカツミと同じくらい顔が紅潮していると感じた。

「こんなこと言うつもりなかった。貴方の気持ちに入り込む隙間なんて……」
 気まずそうに俯いたルシファーの言葉を、カツミが遮った。
「ありがと。嬉しいよ。これ以上聞かないから、もう一回抱き締めて」
 ルシファーが切なさの滲む笑みをこぼした。
 再び与えられる温もりのなか、カツミは瞼を閉じて彼の心を──読んだ。

 人それぞれの価値観は誰も否定できない。幸せの形は星の数ほどあるのだ。
 ただカツミに向けられたのは、彼の持つ価値観と真っ向から対立する価値観の強要だった。

 カツミは幼い時に能力のほとんどを封印した。強大な力は、もはや呪いでしかない。それを受け入れろと現実を突きつける者は、あまりにも無慈悲だった。

 ◇

「……ほんとなの?」
「嘘つく意味なんかないよ。サラ」
 ユーリーからシドの突然の除隊を聞かされたサラは、しばらく絶句していた。彼女を横目に、ユーリーは落ち着きなく医務室のなかを歩き回る。

「もう受理されたの? こんなに軍医が少ないのに」
「あの事件の後ですら、上部が引き留めてたくらいですからね。確かに軍医不足は深刻ですよ。でも今度は無理でしょう。仕事が増えますね。ご愁傷さま」
「うるさいわね。せいせいしたわよ」
「また強がり言って」
 サラは鼻で笑うとそっぽを向いた。しかし動揺は隠しきれない。その顔は青ざめていた。

「今日になってカツミの噂がすっかり立ち消えたの、感じました?」
 ユーリーが話題を変えた。それは彼なりの優しさでもある。ユーリーはもう、サラの本音を確信していたのだ。

 幼年学校時代のサラをユーリーは思い起こす。
 子供の頃からサラは気が強かった。学校の成績で一番になれなかった時には、悔しがって泣いていた。
 そんな時に八つ当たりを食らっていたのが、幼馴染みのユーリーだった。サラはユーリーにだけは本音を見せていたのだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、悔しさを爆発させていた。他の生徒には、そんな態度を微塵も見せなかったというのに。
 サラが勉学に励むのは、彼女の親の影響だった。彼女の両親は、揃って大学の教授だったのだ。
 模範的であれ。完璧であれ。弱みを見せるな。一番であれ。そして、男性に負けるな。
 子供の頃からユーリーはサラの両親が大嫌いだった。自分たちの価値観を子供に押し付ける大人の代表に見えていた。子供には拒否権などないのに。
 ずっと押し付けられ続けた価値観ってものは、なかなか変わらないものだな。ユーリーは自分を振り返りながら、そう思っていた。自分も、フィーアのことがあるまでは、善悪の境目を見失っていたのだから。

 気の抜けたような表情で、サラが返事をした。
「そうなのよね。蒸し返したら自分の身が危ないって雰囲気。なんか嫌な感じね」

 サラは、シドに会うためだけに特区に来たのだろう。そうユーリーは思った。
 特区の軍医認定試験は、医師国家試験の比ではない。医大を卒業して七年。サラは、仕事をしながら試験勉強をしたのだろう。なのに。ほんの数日顔を合わせただけで、シドは特区を去っていくのだ。
 サラがシドに告白したところで、振られるのは目に見えていた。でも、ユーリーは思う。意地を張っている暇があったら、とっとと撃沈してしまえと。木っ端みじんになって、また一から自分を建て直せばいいのだ。
 やった後悔よりも、やらなかった後悔のほうが大きい。自分が抱えている後悔のように。

 自分は、フィーアが自分に依存してくれることを望んでいた。彼の心と身体を蝕むことを知りながらも、自分の欲に打ち勝てなかった。それがフィーアの自死を招いたのだ。
 殺してしまった罪を償うためには、生かすための行動が必要だ。頭でごちゃごちゃ考えてる場合じゃない。動かないことには何も変わらないのだ。
 そのためには、一度底まで落ちる必要がある。もうこれ以上、落ちることが出来ない穴の底に。

「特区はどこまでも実力主義だからね。ゴシップなんかじゃ、カツミの武勲には傷ひとつつけられないってことだよ」
 サラにはそう説明したユーリーだったが、事の真相は知っていた。
 汚い噂を流す力を持つ者なら、その伝搬が危険だと思わせることも出来る。そんな鮮やかな情報操作が可能な人物は、一人しかいないじゃないか、と。

 この世界にある多くの矛盾。それは不純物ではなく起爆剤だ。濁っているからこそ世界は機能し続けているとユーリーは思っていた。
 それは事実かもしれない。しかし自分の心が虚しく乾いていることもユーリーは自覚していた。手の中に残るのは、まがい物ばかり。本物などどこにもない。

 だったら、どうする? ユーリーは自己に問うた。
 『生かす』ためには、何が必要なんだ?
 まがい物だらけのこの世界を、緩やかに死へと向かっているこの世界を、百年前のような高い志を持った国に戻すには、何が必要なんだ? いったい、何が……。

 ◇

 交換条件を出されたアーロンは、硬い表情でひと言、いいのか? と訊き返した。黙って頷いたシドは、言葉とは裏腹にとても穏やかな笑みを浮かべている。
 帰りしな、シドは視線を逸らせたままで、手紙ありがとうと呟いた。
 アーロンは思う。ジェイの手紙だけが理由ではないのだろうと。だが、シドの望みはシドだけでは叶えられない。実行を決めるのは、あくまでもカツミなのだ。
 シドは、カツミに拒絶されることなど微塵も想定していないようだ。まるでみずからの未来を知っているかのように。
 なぜ、それほどの確信が持てるのだろうとアーロンは思う。これは狂気ではないのかと疑う。自分は、シドの凶行に加担してしまうのでは? 歯止めになるべきでは? 何より、こんなことを実現させていいのか?
 次第に宵闇に包まれる中、遠ざかる車を見送る。アーロンにとって、与えられた役割は簡単なものだった。そして、彼はもうシドの提示した交換条件を承諾していた。

 どこから歯車が狂いだしたのか。それともこれは狂気ではなく浄化なのか。安らぎに向けての浄化なのか。
 大きな賭けだった。それに勝利する者がいるかどうかも分からない賭け。もう誰も止めることの出来ない歯車が回る。次第に加速しながら。
 残された時間はわずか。言い訳はしないでおこう。
 アーロンは、そう思うことにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。


□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。


□サラ・ノース

シドの医大時代の後輩。ユーリーの幼馴染み。

女性。二十七歳。少尉。軍医(内科医)。

完璧主義で竹を割ったような性格。物事を突き詰めて議論しないと気が済まない面があるが、逆に繊細で素直な一面もある。バイタリティのある人物。

内心、シドのことが好き。


□ライアン・クレイスン

カツミとは別の飛行隊所属。ルシファーの幼年学校時代の先輩。

男性。二十三歳。大尉。

短い黒髪。黒い瞳。筋肉質な身体。長身。

北区の基地から特区に転属。士官学校出ではなく能力者でもないので、レアケース。

父親の代からの移民(亡命)。

努力家。おおらかで正義感が強く面倒見がいい。実は女好き。

セアラにひとめ惚れする。

□アーロン・ド・ミューグレー

ジェイの弟。

男性。二十七歳。ミューグレー家の次期当主。

くすんだ長い金髪をゆるく束ねている。薄い茶色の瞳。長身。声はジェイと瓜二つ。

天才ともてはやされた兄と常に比較されて育ったため、ジェイに対するコンプレックスと両親やそれに連なる特権階級に対する憎しみを持っている。

他人は自分の目的を達成させるための道具。目的のためには手段を選ばない冷酷な人物。


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み