第9話:小説教室終了と幸恵さんの肺がん

文字数 2,823文字

 次が山田修吉の「岩倉家の忘れ形見」と言う題名の小説で昭和7年の515事件で殺された日本の岩倉公爵の娘と息子が命からがら屋敷の隠れ部屋に身を隠し、助かった。その後、終戦後、息子が肺結核で倒れて死亡して娘は疎開した信州の豪農に嫁ぎ、難産の末、息子を授かり、その後、子供ができない身体になった。

 その息子が岩倉公爵家の忘れ形見となり戦前に岩倉家がスイスに資産を金「ゴールド」と米ドルにして預けた。戦後それがわかり、その後、1人ぼっちで大都会で生活して周りの人に助けられ育っていくと言う小説。この小説に対して山辺敏夫が導入部の使いはバッチリ、その後のストーリーも時代背景とマッチしていて良い。

 戦後、スイスの隠し財産を日本に戻す時の話の展開と米ドルから円へ、金「ゴールド」から円への投資的な要素も面白い、最終的に2025年問題にぶつけて、老人ホームの経営へ移行した点も終わりとして面白かった。こうれらの点が良かった点。もう一つという点はスイス銀行から日本の銀行に1950から60年代に戻す事は現実には無理だったと思われる点。

 なと細かいところで現実離れしていた点だと話した。田島華子が、私は、面白いと思い、また今どきのラノベにないスケールの大きさを感じて良い作品だと思うと誉めた。細かい点で歴史的事実にあわないと言うけれど歴史に忠実出なければならないのはノンフィクション小説のみで小説では多少のフィクションは許されるというか、それが小説のスパイスとでも言う大事なところじゃないかと弁護した。

 全体的には田島さんの意見に賛同する方が多い様だった。司会の池田松男は2時間で6編の小説の批評を終えられて目標通りに進行できて喜んだ。勉強会を終えて、夕食をとりながら、近くの居酒屋で乾杯して、小説の話の批評の話題で、盛り上がり、皆さん、小説のサークルとしてはレベル高いですねと田島華子さんが言い、横山輝彦さんが、ライトノベル、転生ものの小説がなくて良かったと本音を漏らした。

 そうして盛り上がって池田松男と幸恵さんが家に帰ってきたのは夜10時過ぎになってしまい、すぐ寝て翌朝を迎えた。池田幸恵さんが所定の施設で子宮ガン、乳ガンが11月8日を受けに行った。その後、11月10日に池田幸恵さんの肺がん検診で疑わしいので、かかりつけの佐藤医院を受診する様に書いてあった。

 翌日、佐藤医院へ行き、近い所沢の防衛医大病院の肺がん検診の精密検査外来受診のための紹介状を書いてもらい11月13日、池田松男と幸恵が防衛医大病院の肺がん検診の精密検査外来を受診した。大学病院で3時間くらいかかり、肺がんのステージは1Aで限局型、がんが原発巣のある側の胸郭内にとどまる0期・・・。がんが臓器の表面を覆っている膜、上皮内までにとどまっている。

 T分類でTIS上皮内がん、肺野に腫瘍がある場合は充実成分の大きさが0cm、かつ病変の大きさが3cm以下、NO、所属リンパ節への転移がないと早期発見ができて良かったですねと言われ、癌は表層だけであり、切除すれば、治癒する可能性が強いと言われて、池田松男も説明の時に診察室で話を聞き、ひと安心した。

 池田松男は小説の勉強会のホームページに病気の件で勉強会を継続できないので終了する事を宣言し、関係者全員にメールして、このホームページも閉じた。この話を池田幸恵さんが古くから勤めている店の店長に話し退職させていただいた。手術は2009年12月6日に実施予定。その後、月に1回ずつ受診する様に言われた。

 この件を池田幸恵さんの長男の池田和宏さんと長女の山下恵子に連絡すると手術当日、12時に所沢の防衛医大の病院の正面待合室で待ち合わせることにした。この話を小説の勉強会のサイトに正直に書き込み、残念ながら、小説の勉強会を継続できないことを打ち明け、解散することを関係者全員に通知した。

 2009年12月6日、所沢の防衛医大病院で池田松男と和宏、恵子の3人が見守る中、午後2時から池田幸恵さんの手術が始まり1時間で手術を終え、先生が無事、表層のがん細胞を取り終えたので安心して下さいと説明してくれた。

手術後、夕方5時に病室で面会して池田幸恵さんが心配かけてごめんねと言い不幸中の幸いで肺がんでも一番軽いステージ1の表層型だそうで転移もないし、しっかり検診して管理していけば再発の可能性は少なく、また退院は1週間後だと言われたと教えてくれた。12月14日退院。

 池田幸恵さんが退院して飯能のマンションに帰ってきた。帰ってくると池田松男が、これから療養して、ゆっくりと温泉に行ったりして治療に専念しようと告げた。何か、こんな若い身空で俺みたいな爺さんと結婚して肺がんにまでなって何て不幸なんだろうと思うと松男は大粒の涙を流し幸恵にわびた。幸恵が、そんなことはない、私こそ小さな子供の面倒見てもらった。

その上、結婚までしてくれて、私たち家族をずっと守ってきてくれた事に感謝しますと涙を流した。12月24日、飯能の近くの洋食屋さんで部屋を借り切って家族11人で盛大なクリスマスパーティーを開いた。乾杯をして家族達も幸恵さんの肺がんがステージ1と言う事で再発の可能性も非常に少なく、普通の生活を送れると聞いて安心したようだ。

 この日は、普段あまり、お酒を飲まない池田松男がスパーリングワインで乾杯しビールを飲んで佐藤幸恵さんと幼い子供の孝夫、恵子さんとの出会いを回想して、あの頃は、幸恵さんは、旦那さんに先立たれて子供のために一生懸命に働き子供達を守っていた、それがいじらしくて孝夫と恵子さんを家に呼んで、仲良くなっていったと昔話をはじめた。

 恵子さんが、この叔父さん良い人だと直感でわかったと言い孝夫さんも遠慮無くお腹が空くと美味しい料理をいただいたと言い幸恵さんが何か見えない運命の糸に引っ張られるようにして結婚したのかもしれないと言うと、松男が確かに、そうかもしれないとしみじみと語った。これから幸恵さんと裕福とは行かないが、ゆっくりと楽しみながら人生を送っていくよと宣言。

 そうして20時になったので子供達をお別れを言って家に戻った。家に戻ると、松男は、そのまま、こたつに入り寝てしまい幸恵さんが上に厚い布団を掛けてくれ翌朝を迎えた。朝、松男は二日酔いで頭が痛くて濃いコーヒーを入れてトーストとハムサラダで朝食をとった。幸恵さんに春になったら、どこ行きたいと聞くと、暖かい、沖縄へ行きたいと言った。

 すると予約していこうと言った。その後はと言うと江ノ島、茅ヶ崎、静岡の熱海、沼津、清水あたりできれいな富士山を見たいと言うので3月、暖かくになったらドライブに出かけようと話した。海外はと聞くと、英語苦手だから、国内で良いというので、分かったと答えた。やがて、年が明け2010年となった。
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