第20話:「最終話」ハワイクルーズと人生の伴侶

文字数 3,226文字

 2016年になり念願のハワイクルーズへ米国の格安クルーズサイトで1人千ドルで購入しホノルルの空港に着いたのが朝に8時過ぎで店は閉まっておりクルーズ船用のバスは11時半出発で3時間以上、時間つぶすのに苦労した。コーヒーショップやレストランで休んでいると時差の関係で非常に眠くなってしまいテーブルに突っ伏して寝ていると店のウエイトレスが起こしにきた。やがて時間となりノルウェイジャン・クルーズ専用のバスに乗った。

 その後ホノルル港「アロハタワーの近く」へ行きクルーズ船にチェックイン。場所は空港の格納庫の様な所。8列に並ばされチェックイン。必要書類にサインとクレジット番号の登録、身分証明書、パスポートなどを提示し、各寄港地でのオプショナルツアーのデスクもあった。北島夫婦は日本語のツアーもあるのだけれど料金が二倍以上もするので、マウイ島、カウアイ島での英語のツアーに参加することにした。あたりを見回しても日本人のツアー客は見当たらなかった。

 チェックインして海側の窓のある部屋を予約しておいた。入ってみると普通のホテルの小さめのツインルームといった感じであった。お風呂はなくシャワールームのみ。部屋に入り少ししたら、黒人の大柄な男性がノックをしてきたので、用件を聞くとノルウェイジャンクルーズの日本人向け通訳。彼は日本語は堪能であり、出航前に、救命ボートの使い方の訓練があるから必ず出席して下さいと最初に言われた。

 出向まで上の階の広いレストランで食事しながら待っていると良いよと言った。また飲食は、ほとんど無料ですがアルコール飲料だけは有料で見つかるとペナルティーフィーをとられるから注意して下さいと言ってくれた。その他、大きなレストランは、いつでも無料で飲食できますが、ほかのイタリア料理、中華料理、フランス料理、ステーキハウスは、予約料金が必要。

 ぞじて必ず事前に予約しておくと利用可能だそうだ。予約料金は、20~50ドル。劇場でショーや、歌、おどり、手品などをやっていますから、気が向いたら、開演時間より30分くらい前にいけば、座れるそうです。最後に何か質問はと聞かれ、ないと答えるとクルーズを楽しんで下さいねと言って立ち去った。

 この船が港から離れる時間が近づいてきて甲板に出て見る事にした。大きなクルーズ船が、夕暮れ時のハワイ港をゆっくりと出て行く。数分後、ホノルルの町が見えて、ナイトショーの遊覧船が近くに見えて、お客さんが手を振ってくれるので、こちらも手を振り返すのであった。何だか妙に興奮するのである。岸を離れてから、すぐに太平洋の荒波が感じられた。

 その晩はハワイについた初日とあって疲れのせいで、すぐに眠りにつき、翌日は、朝6時に起床し、すぐに甲板を散歩し、気持ち良い潮風と海の景色を楽しみ、その後大きなレストランで朝食をとった。ただ、料理の種類は充実していた。更に海が見える景色は最高。翌日、マウイ島のカフルイ港に到着した。ハレアから火山噴火口めぐりのツアーに参加し、ツアーバスに乗り込み、ひたすら曲がりくねった山道を登っていくのであった。

 山頂からの景色は、マウナロア、マウナケアまで見えて素晴らく、火口のクレーターの雄大さは見るものを圧倒するが、標高が高く寒くて風も強いので暖かい服にウインドブレーカを重ね着でないと寒くてたまらない。翌日は、ハワイ島に到着してコナの港のおきに停泊して小さなボートに乗り換えコナ港に上陸。ここではホテルのキング・カメハメハの写真を見て回り、ビーチサイドのレストランでコナコーヒーと軽食をとった。

 景色が良い大きな木の下で少し涼んで行き交う人を眺めていると時間になり迎えのボートでクルーズ船に乗り込んだ。歩き疲れたので仮眠をとり、夕方のキラウエア火山の溶岩流失を海上から眺めると真っ赤な溶岩が海に流れ落ち溶岩の熱で蒸発した海水が湯気を上げてる姿は圧巻。翌日はハワイ島の反対側のヒロ港から地元のツアーでマカデミアナッツの工場やレインボーフォールズを見学するツアーに出かけた。

 マカデミアナッツ工場ではナッツとナッツ入りのチョコレートが食べ放題だったが、そんなに食べられるものでもない。日系人が多く住む地域らしく商店には日本人の名前の商店が多い。ヒロは雨が多く湿っているそうだ。

 この日は早めに船にもどり、翌日はカウアイ島ナウィリウィリ港へ寄港。予約しておいたワイメア渓谷のツアーに参加した。最初に、お決まりの観光コース潮吹き岩の見学をし、その後、太平洋のグランドキャニオンと呼ばれるワイメア渓谷についた。雄大な景色で、写真を取りまくった。最終日にホノルル港に戻り、解散となり、日本への帰路についた。

 2017年11月30日、羽田から台北へ飛行機で飛んで最初に台北からタクシーで1時間半もかかる北部海岸近く新北市の金宝山にある墓園にあるテレサテンのお墓、鄧麗君・テレサ・テン紀念公園 へ行って、墓参りをすると墓園には、絶えずテレサ・テンの歌声が流れていた。台北の九分、その姿は、まさに 千と千尋の世界観そのものだった。翌日、台北の郊外の秘湯温泉、陽明山国家公園でゆっくり風呂を楽しみ、美味しい食事を楽しみ名物の士林夜市を見物した。

 翌日に台北から列車で1時間の十分で台湾の天燈、ランタンあげに興じて一生の思い出になる様な気がした。2018年12月4日。台湾・台北・基隆から12月7日に出かけると、鍋島恒夫さんと君子さんの夫婦に、お会いして、久しぶりと挨拶した。その後、2000年の12月に脳梗塞で倒れ生死の境をさまよい何とか生き延びた。翌年は記憶を失って大変でした。

 しかし2001年の4月、東京の病院からの紹介で厚木の郊外の七沢リハビリ病院に転院して約1年の午前中の厳しいリハビリ訓練と自然環境に恵まれた所でのんびりとした散歩を継続して、過去の記憶もすっかり戻り一人で着替えたり出かけることができるようになった。その後17年経っても元気でやってますと言った。池田松男さんには、あれだけ世話になっておきながら、ごめんなさいねと言った。

2001年の1月の年始の時、私も気が動転して、どうして良いかわからないときに、あんな失礼なことを申しまして、ごめんなさい。その後、本当に悪い事としたと反省したのよと話してくれた。今でも、その時に松男さんの寂しそうに去って行く姿をはっきりと覚えていますと、わびてくれた。それに対して、お気持ちは良くわかりますと池田が優しく言った。

 鍋島さんが、どうだ、元気かと池田松男の肩をたたき、再開をとても喜んでくれた。最近は、寒いときに暖かい所へ行ったり、今回みたいにクルーズに参加したりして、人生を楽しんで暮らしてると笑いながら言った。池田松男さんは仕事熱心で女っ気なかったのに、こんな、お若くきれいな方と一緒になられたのね言った。すると幸恵さんが、嫌私の方こそ、家族ともども、大変、お世話になったと言い、詳細を話し始めた。

 私が若くして亭主を交通事故で突然亡くして飯能の田舎の安アパートに引っ越した。食べるために。小さい子を2人を家に置いて朝から晩まで働いている時、この池田松男さんが、私の子供達に、無償で料理を作ってくれた。そして、私が、帰ってくるまで、面倒見てくれたんですと言い、私には、すぎた人ですと涙を流しながら話した。鍋島恒夫さんが、彼は、そういう優しい奴なんですよと言った。

 鍋島君子さんも、本当に人に優しく、好かれる素晴らしい方だわと言うと、池田松男が照れるじゃないですかと笑いながら言った。そんな、話をしていると、今まで曇って、雨が降りそうになっていた空が、急に雲が切れてた。そして突然、素晴らしい太陽が幸せの光で4人のこの先の人生の歩む道を照らすかのように、神々しく輝いていた。「終了」
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