スウェーデン クラカケ村(1)

文字数 4,219文字

2015年3月5日

「砕雪モビルで国境越えするのかと思ってました」
 レミンが言った。
「フィンランドに行くならそれもありだった。けど次の目的地はスウェーデンの北部クラカケ村ってとこに決まってる。ここキルナの空港からまあまあ近い」
 ライチョウとレミンはスウェーデン北部、キルナ空港の貨物受取所へ到着した。ノルウェーのキルケネスからまずベルゲンへと向かい、国際線に乗り換えてスウェーデンストックホルムへと渡った。そこからさらに国内線に乗り換えてようやくキルナへと着いたのだ。砕雪モビルもまたいくつかの空港を経由して、ライチョウ達とは別のルートでキルナへと送られた。移動に一日半かかってしまったために二人の顔には疲労感が滲み出ていた。体力に自信のあるレミンはメルゲセイルフィヨルドの悪路走行後全身の筋肉痛に襲われ、加えて慣れない飛行機での移動続きとあって激しく消耗していた。
「大丈夫か?」
 ライチョウは待ち合いのソファーに深くだらりと座るレミンを心配そうに見つめた。
「ええ・・・」
「まだ到着しないみたいだし、コーヒー買ってきてやるよ」
 ライチョウは近くの売店へ行って二人分のコーヒーを買った。レミンのために砂糖を多目に入れてもらった。甘ければ甘いほどいいらしい。
「ありがとうございます」
「クラカケ村までは砕雪モビルで三十分ぐらいだ。運転できるか?」
「大丈夫です。これで眠気は覚めました」
 レミンはコーヒーを片手に弱々しく笑った。
「今日はもう泊まるだけだよ。日が暮れる前には着くだろ。この待ち時間が長引かなければ」
「クラカケ村ってどういう村なんですか?」
「スノーモビルレースに使われるコースがあるんだよ。村はレースのスタート地点になってる。毎年十二月に国内の大きい大会も開催されてるらしいぜ」
「へえ!でもその村が極地調査の対象になってるんですか?」
「預かった資料によるとだな、村を含めレースコース周辺はツンドラ地帯なんだと」
「永久凍土ってことですよね?」
「そう。温暖化で永久凍土が解けると閉じ込められてた温室効果ガスが一気に出てきちまうんだってさ。クラカケ村もすでに融解が始まってそのスピードが上がってきてるらしい」
 ライチョウは砕雪モビルが来ないか気にしながら頭をかいた。
「氷って海や山だけじゃないんですよね。地中にも埋まってるんだ」
「北極圏てのはそういうところだよ。で、クラカケ村は融解に拍車がかかる前に人工アイスウェッジの開発に乗り出したって話だ」
「人工アイスウェッジ?」
「お!来た!」
 二つの巨大なコンテナが貨物用ベルトコンベアに乗って運ばれてきた。貨物カウンタースタッフが二人掛かりで手際良くコンテナを開ける様子を、ライチョウは近くで見守っていた。
「変わった形のスノーモビルですね、スキーが長いのでバイクなどを運ぶ時に使うコンテナでは間に合いませんでした。重量も結構なもので・・・」
「・・・お手数おかけしました」
 少し皮肉に聞こえた。
 ライチョウとレミンは砕雪モビルを受け取りキルナ空港を出た。風は穏やかだが雪がちらついている。空港周辺にはタクシーを待つ人や旅行者、ビジネスパーソン達が大勢いた。スウェーデンのラップランド地方に位置するキルナの街は人気の観光地で、とりわけ北極圏らしさ満点のアイスホテルに宿泊するため、外国からも多くの観光客が訪れた。
 黄昏時。空は雪の影響で寂しげな青灰色になり、立ち込める寒々しい雰囲気に抵抗するかのように街にネオンが灯り出した。二人は街の北東にあるクラカケ村を目指し、暗くなる前に到着すべく砕雪モビルのスピードを上げた。
 レミンは走行しながら人工アイスウェッジについて考えた。ライチョウに話の続きを聞こうかと思ったが、今はやめておく。ここはメルゲセイルフィヨルドほどの凸凹道ではないが、村長は走行中話しかけられるのが好きではなさそうだ。
 街の中心部はすでに離れ、郊外の林道から外れると辺りは何もない殺風景な土地が広がっていた。平坦で所々雪解けしている箇所には短い草が生えている。その土の下には広範囲の永久凍土。薄明かりのツンドラ地帯を走る砕雪モビルは唯一の人工物で、その走行音はライチョウにとって不思議と癒しの音色に聞こえた。そしてレミンがいてくれて良かったと思った。荒涼とした景色に植物以外の生命の息吹は感じられず、この先本当に村があり、スノーモビルのコースに使われる場所があるのかどうかも疑わしく思えてきた。一人だったら気が滅入る。
 到着予定の三十分はとっくに過ぎ、もう間もなく日が暮れる頃、平坦だった道は丘陵地へと変わっていた。最も大きな起伏を越えた時、ライチョウは思わず安堵の吐息を漏らした。
「やっと着いた・・・」
「もう今日は無理かと思いましたね。みるみる真っ暗だし」
 村の十数軒の家々からは暖かな光が灯り、夕飯の香りもどこからか漂っていた。村の西側にあるホテルに向かう途中、ライチョウはその反対側に林立する倉庫群に視線を向けた。
「何の倉庫でしょう?」
「スノーモビルのガレージ・・・じゃないか?」
「ライダー達がレース期間中駐めておくための!」
 ロッジ型のホテルに到着すると、砕雪モビルの音に気づいた若い男性従業員が玄関ポーチに出て来て二人を出迎えた。
「こんばんは!ご宿泊ですか?」
「ええ。スノーモビルはどこに置いたらいいですか?」
「ご案内します!」
 ホテル横の駐輪場とも呼べない空地に砕雪モビルを駐めた後、ライチョウ達はチェックインして部屋へと案内された。他に宿泊客はおらず、また従業員も彼以外いない様子だった。
「御用がありましたらいつでもお呼びください。オーロラを出現させること以外でお役に立てるなら何なりと!今日はあいにく見えなくて残念ですね!」
 軽いジョークのつもりだった。が、ライチョウはあっさり受け流して言った。
「村の東側にある倉庫はスノーモビルを駐めるためにあるんですか?」
「ええそうです!普段は空っぽなんですけどね。毎年十二月にスノーモビルレースが行われますから、その時期にライダー達が駐めるんです。でも去年は開催されませんでしたけど」
「どうして?」
「大掛かりな工事をしたんですよ。村からコース周辺にかけて。人工アイスウェッジとかいうのを埋めたらしいです。で、今年一年はその効果を見るそうで、もしかすると今年もレースはないかもしれません」
「それは残念・・・」
 レミンが悲しそうに言った。
「その件について村長にお話を伺いたいのですが、家はわかりますか?」
「え?スノーモビルレースのことで?」
「いえ、去年やったという工事の件で。どちらかというと」
「もちろん、村長の自宅はわかりますが、こちらから連絡をとってみましょうか?」
「そうして頂けると助かります」


「ええ、わかったわ。明日の午前十時にガレージで」
 クラカケ村の村長キウイは通話を終えるとスノーモビル用ガレージの床に座り込み、鉄でできた円錐形の人工アイスウェッジを見上げた。
 アイスウェッジは永久凍土の中に存在する楔の形をした巨大な氷の塊である。ツンドラ地帯のクラカケ村とその周辺にも、アイスウェッジが地中深く無数に埋まっている。しかし近年永久凍土の融解は顕著で、この辺りの地域も例外ではない。永久凍土が融解している現実を今すぐ変えるのは難しい。しかし悠長にしている時間もない、持続可能な方法で、永久凍土を守ることはできないか・・・
 人工アイスウェッジに着手することとなったきっかけは一年前の出来事にあった。キウイはクラカケ村の村長になる以前、キルナの鉄鉱業を営む会社で働いていた。キルナは小さな町だが、長い年月続く鉄鉱石産業では世界トップクラスを誇る。村で生まれ育った彼女はストックホルム大学で自然科学について学んだ後、故郷に近いキルナで地域産業に貢献したいという思いから “鉄” に関わる仕事を選んだ。資源はこの地に活気と、南部への人口流出をくい止める一翼を担っているのでは、とキウイは思う。
 勤め始めて十二年目の春。彼女の会社はクラカケ村で毎年開催されるスノーモビルレースのスポンサーになっていた。この年レースコースの大幅な見直し案が出され、キウイも村出身者という立場と、彼女自身がスノーモビルライダーであることからコース候補になる場所への同行を求められた。スノーモビルライダーと言っても、クラカケ村での大会に最後に出場したのは三年前で、以降は見学と応援だけの年となっていた。それでも自分に協力できることがあればと、大会実行チームに付いて変更予定コースの村付近を流れる川沿いを歩いている時だった。
「川の流れ、こんなに速かったかしら・・・」
 キウイが独り言のつもりで呟いた言葉に彼女の同僚が反応した。
「雪解けのせいじゃないのかい?もう春だし」
「雪解けにはまだ時期が早いわよ。それなのに水量も随分増してる気がする」
「気がするってだけ?」
「少なくとも去年とは違う・・・確信はできないけど」
 この時大会実行チームに同行しなければ、去年十二月のスノーモビルレースは例年通り行われていただろうし、キウイ自身会社を辞めることもなかっただろう。しかし彼女は川の増水に違和感を持った明くる日から、その原因を突き止めることに執心した。大学時代研究テーマでもあった土壌学においてこの現象を説明できるのではないかと考えたのだ。
 調査の結果、川の増水は春の雪解けによるものではなかった。雪解けが始まると川は増水することに違いはないが、それは時期的にもう少し先である。問題は土壌の雪より下で起きていた。
 ツンドラ地帯の永久凍土が融解していることが増水の原因だったのだ。キウイはそのことを会社に伝え、大会実行チームに今年のスノーモビルレースは中止するよう嘆願書を出した。クラカケ村含め、実行チームの面々は多少不満はあるものの、今年の大会に関しては見送ることに合意してくれた。
 キウイの行動は環境保全に対する意識の高さ、という感覚ではなかった。ただ自分の故郷を守りたかった。
 永久凍土が融解することで起こりうる影響は河川の増水だけではない。土壌の中に存在するメタンが大気中に放たれれば、温室効果ガスの濃度はたちまち上昇し温暖化を進行させる。それに地盤沈下。クラカケ村は永久凍土の上にある。想像したくないことがもし起これば、村民は故郷を失い、行き場をなくす・・・
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