ノルウェー・ホニングスヴォーグ(1)

文字数 2,523文字

2014年3月

「やっぱり風力だけで動かせるようにすべきだな」
「俺の脳みそじゃ無理・・・これが限界」
 ライチョウとサイガはホニングスヴォーグの港に来ていた。八名の気候調査団は二人一組、四班に分かれてそれぞれ別の地域で活動を始めた。サイガは極域海洋学が専門のため、主に海の環境調査をすることになっている。約一ヵ月間、ライチョウはサイガと組むことになった。
「バイオ燃料はコストがかかる。北極じゃ手に入りづらいし」
 サイガが言った。
「ちょっと前から各地のガソリンスタンドで取り扱いが増えてきてるよ。南極でもな」
「今後の課題だ」
 ライチョウは当初雪山班に充てられていたが、雪山専門家の二人はスノーモビル熟達者で、砕雪モビルもあっという間に乗りこなすことができた。従ってライチョウのフォローは必要ないとあっさり言われ、特にやることがなくなってしまった。そこで一人で活動する予定だったサイガの助手としてついていくこととなったのだ。
「きれいな港だ。来たことあるか?」
 そう言ってサイガはライチョウの方に顔を向けた。
「一回だけ。ノールカップ岬に行く時に」
「俺は三年ぶりだ」
 サイガは地元の漁師と顔見知りらしく、話を聞くため港の埠頭近くで待ち合わせをしていた。
「こんにちは」
「やあ先生、久しぶりだな」
 明るい表情で現れた漁師は六十歳ぐらいで、片足が悪いような歩き方をしていた。
「報告できることは前回と変わらないよ。サバ問題が続いてるってことかね」
 漁師が言った。
「サバ問題?」
 ライチョウが聞き返した。
「サバの活動領域が北上してノルウェーの排他的経済水域で獲れていたものがアイスランド側へ移ったんだ。そうするとアイスランドやフェロー諸島でもサバの漁獲が始まった。自国の海に入ってくればそりゃあ獲るだろうが・・・そこで問題が発生する。各国漁獲枠を独自設定してそれぞれの地域で乱獲が起きた。・・・ノルウェーに住んでるならそういうことは知っておけよライチョウ」
「そうだな、ごめん・・・ところでサバが北上したって話だけど、ホニングスヴォーグはアイスランドより北だ。この辺りのサバも移動したのか?」
「察しはいいな。北上したものが大半だが、ホニングスヴォーグ沿岸のサバもアイスランド側へ移動してる。向こうの海の方が住み心地が良いのか・・・」
 ハンメルフェストの北東にあるホニングスヴォーグは、アイスランドより高緯度に位置している。サバの移動に関しては謎の部分もあった。
「ノルウェーではサバの漁獲量に関して厳しい制限がある。しかしその管理体制のおかげで品質の良いサバが獲れるし、輸出においてもノルウェーサバの価値は高い。だから元々ここらにいたサバは我々の手で育ててきたという意識が強いんだ」
 漁師は船の停泊していない埠頭の、除雪され残った雪を見つめて言った。
「サバの北上は温暖化の影響?」
 とライチョウ。
「そうだと言われている。温暖化による獲れる魚の変化は世界各地の漁場で起こっている。グリーンランドでもな」
 サイガが答えた。
「幸い、サバの漁獲量は落ち込まずに済んでるんだ。全てがあっちに行ったわけじゃない。ノルウェーで育ったサバは実は豊富に残ってくれてるんだ。だけど思い知らされたよ。魚そのものは減っていなくても、漁ができるエリアの外に行かれるなんて考えたことなかった」
「資源があるとはいえ・・・各国での獲り過ぎ問題の終止符はいつになりますかね」
「漁獲枠は互いに譲らない。かと言ってサバが大幅に減少しているわけでもない。だから未だ以前の様に獲り続けているが、これがこのまま続けば数年後は資源に限界が出てくるだろう。すでにその傾向は数字で表れてるんだってね」
「そうなる前に研究者がストップをかけるでしょう」
「ああ、きっとな。仲良く分け合えられるように」


 漁師と別れたサイガとライチョウは、港町のベンチに座ってコーヒーを飲んだ。
「さっきのインタビューで何かわかったのか?」
 ライチョウが言った。
「ああ。俺が知りたかったことは聞けた」
「何?」
「主役はサバだってこと。この問題の発端は温暖化だ」
「人間活動の結果だよ」
 小さく呟いたライチョウの横顔を見て、サイガは何故か笑った。
「ところでライチョウ、痩せたな」
「今頃気づいたのか!五ヵ月で十五キロだぞ!言われた通り髭もやめた。ここまで蘇らすのに水泳やら食事制限やら、結構がんばったんだ」
「気づいてたけど言うタイミングがなくて。南極で初めて会った時のお前に戻ったみたいだ」
「笑うけどサイガが痩せろって言ったんだろうが!ダイエット中はしんどかったんだから」
「いや・・・悪い、そこまで真剣に受け取ると思ってなかった。でも今ぐらいがちょうどいいと思うぜ。もし砕雪モビルが『ナイト オブ マシン』に選ばれたら、世界のメディアがお前の写真を撮りまくる。そんな未来のために自分磨きは大いにしとくべきだ」
「何の話だまったく・・・」


 サイガはマケドニア(2019年2月~「北マケドニア共和国」に改名)出身。四方を五つの国に囲まれた、ヨーロッパ南部のバルカン半島に位置する内陸の小さな国だ。今現在はノルウェーのドランメン海洋科学大学准教授となり、極域海洋学を専門としている。ライチョウがマケドニア人と出会ったのはサイガが初めてだった。南極で一年半前と、去年ハンメルフェストの極地研究所、そして気候調査団、分野の異なる研究者と期間を空けて三度も会うというのは、ライチョウにとって珍しいケースだった。今回の仕事でライチョウはサイガの助手を務めることとなったが、彼がどんな人間であるかはほとんど知らなかった。最近わかったことといえばサイガの方が少し年上であるということと、世界中どの国の人が見ても彼のことをイケメンと認めるであろうこと。この二つだ。
 誰かと組んで仕事をすることは今までもあったが、相手のパーソナルな部分にはあまり触れずに終わっていった。この気候調査の仕事で一ヵ月一緒に過ごした後、次いつ会えるかわからない。サイガ自身語ることが好きなタイプにも見えない。だからライチョウはこれまで同様根掘り葉掘り聞いて相手を知ろうとするのはやめておこうと決めていた。
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