セツド村 東部沿岸

文字数 1,407文字

2015年3月16日

「ライチョウ」
「ジュライ」
 ライチョウは一人だった。兄ジュライは一時的にセツド村に帰省していた。二人が顔を合わせたのは黄昏の十六時、ジュライと会うのは久しぶりだった。父親と狩猟のことでもめていて、彼がずっと家に戻ることはなかった。
「村長に就任したと聞いて帰って来た」
 ジュライが言うとライチョウは笑顔で頷いた。
「しばらくいるの?」
 とライチョウ。
「配達があるからすぐ帰るよ。まあ明後日には」
 ジュライは岩に腰かけるライチョウの隣に来て言った。
「フィンランドでモウコと知り合いになったんだ、ジュライによろしくと言ってたよ」
「モウコと!?元気にしていたか?」
「うん。ビオマサキュラという辺境の村で研究に没頭してる」
 ジュライとは話したいことが山程あるはずだった。だけどそれを今話したくはなかった。現実的なことはまた話せばいい。極地紀行とは関係のない兄弟の交流を、今はしたいとライチョウは思った。
「ジュライ、ありがとう」
 ライチョウが言った。
「何を?」
「たまに連絡くれて。俺がハンメルフェストにいる時も」
 ジュライはライチョウに背を向けて岩に寄りかかった。
「ジュライが村長になるべきだと思ってる」
「家の玄関に吊るしてあったの何だあれ?」
 ライチョウは思わず笑ってしまった。
「話を逸らすなよ」
 ライチョウは雪の上に立った。渚はライチョウ一人の時より少しだけ強く謙虚に、まるでジュライに近付きたがっているようだ。あの時のような熱波が来る気配はない。
 二人から離れた背後の空地に (多くは何もない空間なのだが) 、砕雪モビルを駐めてあった。サファイアブルーとネオンイエローのカラーリングはジュライの好みではないが、ライチョウらしいなと彼は思っていた。
 ライチョウは砕雪モビルの前ポケットからアイスキャンディーを二本取り出した。ジュライは一本渡されたが、食べる前にライチョウの左手の包帯に気付いた。
「それどうしたんだ?」
 ライチョウはすでに黄緑色をしたアイスをかじっていた。
「鳥につつかれたんだ」
 ジュライは弟の手を見つめながらオレンジ色のアイスキャンディーを食べた。
「嘘だろう」
「マックスと入れ違いにならなかった?」
 ジュライは溜め息をついた。
「お前こそ話を逸らすなよ」
「玄関に吊るしてあるものは温度計さ。俺がいる間はそのままにしといてよ」
「研究に使う?」
 怪我のことに答えるつもりのないライチョウにジュライは合わせることにした。
「友達からもらったもので、機械工学とは関係ないけど」
「どんな友達だ?」
「マケドニア人」
 ジュライはマケドニアが地図上のどこにあるのか考えた。弟は世界中に友達がいる。
「ライチョウ、俺はクレバスの村の配達が終わったら村に戻って来るつもりだ。お前も機械工学を続けろよ。セツド村に縛られることはないさ」
 ライチョウはアイスキャンディーを食べ終えていた。兄に顔を向けることはなく、海を見つめていた。
「先に帰るよ」
 ジュライが歩き出す。ライチョウの視線はほとんど動かない海氷に伏目がちにあったが、今彼の頭の中に存在するのは目の前の白や灰色の世界ではなかった。
「ジュライ、俺また機械工学をやりたいと思ってる」
 振り返って言った時、ジュライはもう離れてしまっていた。後ろ姿の近くに砕雪モビルがあった。オートマチックと再生可能エネルギー共存の世界、ライチョウの全てを持った乗り物である。

 (終)
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