ノールカップ岬(3)

文字数 2,718文字

2015年3月3日

 窓辺に肘を置いて陽が沈んでゆく港を見つめながら、ライチョウは再び “海氷” に思いを巡らせた。海水調査用ラジオゾンデのデータからサイガが見つけた異変、局地的に異様な割れ方をした海氷を、サイガは芸術的と言っていた。それとメルゲセイルフィヨルドに流れてきた流氷が、同じものである可能性は?海氷の謎を解き明かすことなく、サイガは逝ってしまった。本当なら自ら調査しようとしていたはずが、できなくなったとしたら、その役割を誰かに託しているかもしれない。俺以外の誰かに海氷のことを話してはいないか?サイガの交友関係・・・気候活動のグループ・・・気候活動?
「そういや忘れてた!」
 ライチョウは急いで鞄の中からメモ帳を取り出した。今朝ネアから連絡があったことをすっかり忘れていた。
「えーっと・・・フィンランドの気候活動家、オウガンだ」
 聞いていた番号に電話をかけると、オウガンはすぐに応答した。
「もしもし?」
「あ、もしもし、グリーンランド・・・ハンメルフェスト極地研究所の元研究者、ライチョウと申しますが・・・」
「おお!ライチョウ君!初めまして、私はフィンランドのクオピオに住むオウガンという者だ。気候活動を、まあ今では “活動家” と名乗るほどではないんだが、やめてもいないからそう呼ばれているよ。すまないね急に連絡してしまって。今はグリーンランドに帰ったそうだね」
「まあ訳あって再びノルウェーに来てますけど。あの、僕に何か用件が?」
「ああ、実はね、君の友人のサイガ君のことで話がしたくてね」
 ライチョウの心はざわついた。急に何かが動き出したような、あらゆる事柄のタイミングが今かみ合い出した気がした。これはサイガの導きだろうか?
「彼は・・・もう亡くなっているね?」
「・・・ええ」
「今から一年前くらいだ。彼がこの世を去る直前に、私の元に海水調査用ラジオゾンデのデータと、グリーンランドの君の家の軒先に吊るしてあるラジオゾンデのデータが、サイガ君から送られてきた。海水調査用の方はすぐに受信が途絶えてしまったがね。グリーンランドの方はずっと気温観測を続けてくれているよ」
「ラジオゾンデのデータがあなたの所に?それは知りませんでした」
「だろうね。私の方は・・・彼が亡くなったと知るまで、このデータはサイガ君と共有しているものだと思っていた。しかしそうではなく、データは私が引き継いでいた。サイガ君のパソコンにはラジオゾンデに関するデータはなくなっていたようだ。ライチョウ君に連絡したのもこのデータがきっかけだ。ハンメルフェスト極地研究所で働く君に頼んで軒先に吊るしてもらっていると、メッセージに書かれていたからね」
「そうだったんですね」
「それと・・・ここからが本題だがね。データと一緒に送られてきたメッセージに、 “海氷荒らし” という現象について書かれていたんだ」
「海氷荒らし?」
「聞いたことはないかい? “海氷荒らし” というのはサイガ君がネーミングしたようだが」
「おそらく・・・異様な割れ方をした海氷に関することですね」
「そうらしい。海面水温が一時的に上昇したと書いてあった」
「オウガンさん、海水調査用ラジオゾンデの受信が途絶えたっておっしゃいましたね?何故?」
「最初は何か機械の不具合かと思ったが、多分違う。サイガ君からデータが送られてきて、その翌日には受信が途絶えたんだよ。彼が亡くなったとされる日に。海水調査用ラジオゾンデの行方も未だわからずだ。これが何を意味するか、わかるかい?」
「サイガとラジオゾンデは、一緒に消えた・・・」
「私が思うに・・・彼は海水調査用ラジオゾンデを探しに、海へ出たのではないかと考えている」
「オウガンさんはサイガの死の真相を知ろうと?」
「真相が解明されることはもちろん私の願いではあるが、私ももう八十を越えたじいさんだよ。体を使って探ることは難しい。かといって机の上だけで考えるのは限界がある。そこで気持ちの上では一年かかってしまったが、やはり同じ気候活動家として歩んだ彼の、本当のことを知りたいと思った。何故彼は死んだのか、そして “海氷荒らし” とは何なのか。サイガ君は私に、解明を託したのではないか」
 電話の向こうとこちらで、しばらくの沈黙があった。
「しかしここで矛盾を感じることがある」
 オウガンが言った。
「もしサイガが自らラジオゾンデを壊したとしたら、データは送信されなくなる。解明を託すつもりならラジオゾンデを壊す行為は・・・理解できませんね」
「そうなんだ。まるでわからない。だから君に今さら連絡したんだ」
「僕は海氷のことは全くの素人ですよ」
「わかってるさ。でも、サイガ君は言ってたよ。ライチョウという科学者は天才だと。再生可能エネルギーを使ったスノーモビルなんて面白いものを造った。来年の『ナイト オブ マシン』に選ばれるのはきっと君だとね」
 自分の知らない所でサイガはそんなことを言っていたのかと思うと、ライチョウは胸が締めつけられた。褒められるとなおさらだ。
「選ばれませんよそんなの。オウガンさん、僕は今グリーンランドの環境管理局からの依頼で極地村の調査に回ってるんです。フィンランドにも立ち寄りますので、その時クオピオでしたっけ?にも行きますから、直接お会いしましょう」
「極地村調査?君の方から来てくれるのか?何だか悪い気もするが・・・」
 と言いつつオウガンはそれを期待していたことが、ライチョウにはよくわかっていた。
「それはいいので、行った時にサイガの話をもっと聞かせてください。僕よりあなたの方が知っているでしょうから」
「わかった。来る前に連絡してくれ、待ってるよ」
 ライチョウは電話を切って外を見た。
「すっかり夜だな・・・話し過ぎたか」
 腹の虫が鳴り出した。隣の部屋にいるレミン (多分寝ている) を起こしてレストランへ行くことにした。まだまだ春というには程遠い厳しい寒さが続くノルウェー北部。去年の今頃、気温は平年より高く、ノールカップ岬の春の訪れは早かった。ライチョウは上着を着ながらふと旅の最後のことを考えた。予定ではスウェーデン、フィンランドを巡って極地村調査は終了となる。が、環境管理局の趣旨に沿えば、スバールバル諸島のコイド島へ行くことも意味があるのではないか。廃村の危機に直面していた先住民の島は今どうなっているのか、ライチョウは直接見たくなってきた。そしてそこにはサイガと言葉を交わした者がいるはずだ。

 “北極海航路開発がもたらす未来が一つの少数民族を救うなら、俺は自分の信念を曲げてもいいと思った”

 この旅はサイガのことを知るためにあるのかもしれない。
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