フィンランド ビオマサキュラ(3)

文字数 3,295文字

 フィンランドの有名な菓子メーカーの、一口サイズのチョコレートがたくさん入った箱がテーブルの上に置かれた。モウコは三つのマグカップに温かいコーヒーを注ぐと、椅子に座ってチョコレートを鷲掴みで取り出した。
「発明に没頭してるとこういうのが欲しくなる。ライチョウは研究してる時何を食べる?」
「・・・ジャンクフードが多くなるかな。砕雪モビルを開発してた当時は今よりかなり太ってて不摂生をサイガに注意された」
 ライチョウが研究に没頭するとどうなるかレミンは知らない。この時期のライチョウは忙しくてグリーンランドにも帰ってきていなかった。
「そうだ、砕雪モビル購入ありがとう!昨日ここへ来る時バスの中から走ってるのが見えたんだ、レミンが気付いて。異国の地で誰かが乗ってくれてるなんて思ってなかった」
「ああ、サイガとヘルシンキで会った時砕雪モビルの話を聞いたんだ。以前使ってたスノーモビルが古くなってたし一台購入させてもらったよ」
 モウコはチョコレートを食べた。
「サイガが薦めてくれたのか?」
 オウガンに続きまたも自分の知らない所でサイガは砕雪モビルの宣伝をしてくれていた。
「再生可能エネルギーのスノーモビルに興味があったからさ」
「サイガに感謝しないとな」
 ライチョウには後悔していることがあった。サイガは砕雪モビルに乗ったことがない。気候調査団で一緒に行動していた時に体験してもらえばよかったと、今になって思う。
「再生可能エネルギーと言えばバイオマス、ビオマサキュラに来た目的はこれじゃないのか?」
「ああ。モウコがサイガとつながってると知ったらつい話が長くなって・・・すまない。俺達がビオマサキュラに来たのは、グリーンランドの環境管理局に北極圏の極地村調査を依頼されたからなんだ。その土地独自のエネルギー供給だったり、気候変動による影響をどのように対処しているか、教科書作成のための資料集めってことで。ビオマサキュラにおいて管理局から聞き取りを頼まれてるのは “鉄ドロサウナストーン” について。すごい名前だな。目的と今後の展望を聞かせてほしい」
 モウコは仕事用机に置かれた重い牛乳瓶をライチョウ達の目の前に運び、柄の長い計量スプーンを渡した。
「これですくってみるといい」
「ただの土?」
 ライチョウはスプーンで中の土をすくってよく観察した。湿り気のある土の中にキラキラと金属片のようなものが混ざっている。
「“鉄ドロサウナストーン” の原料だ。あんたんとこの環境管理局とやらはどこでこれの情報を仕入れたんだろうな。まだまだ実用化できるもんじゃないよ」
 モウコは苦い顔をして言った。
「試作段階?聞かれちゃ困るか?」
「俺の発想はぶっ飛んでるから話したところで誰も同じことしようとは思わない。構わないよ」
「一体何に使うんですか?」
 レミンは土を素手で触っていた。
「実際に体感した方が早いだろう。ちょっと外へ行こう」


 モウコの研究所からは発電所北側の敷地に設けられたガラス張りの木材置き場が見えた。車両が出入りする正面の倉庫は木材置き場へとつながっているようだ。今朝も荷を積んだトレーラーが搬入に倉庫へ入っていく姿が見える。
「風雪から守るために屋内に木を置いてるんだ」
 モウコがガラス張りを指差して言った。
 発電所の煙突からは煙が上がり、風にのって微かに匂いが伝わってくる。
「どこに行くんだ?」
「ホテルだよ。必要なものを借りに」


「ライチョウ、あんた研究所に入ってきた時から土を気にしてただろ?何であれが “鉄ドロサウナストーン” だってわかった?」
 モウコがホテルへの道すがら言った。
「管理局の資料に書いてあったからさ。木質バイオマスの燃料となる木質チップを作る工程で木材についた土や泥の異物を取り除く、その不要な異物を利用して考案されたのが “鉄ドロサウナストーン” だと」
「地元の新聞社が一度取材に来たことがあったけど、まさかその記事を見てグリーンランドの環境管理局はあんたをここに派遣したのか?」
「そうかもしれない。管理局がどうやって調査対象の村を探したかは知らないけど、新聞の情報を元にしている可能性はあると思う」
「村長、砕雪モビルもバイオマス燃料使っていますよね」
 レミンが言った。
「よく覚えてるな。砕雪モビルはガソリンにバイオエタノールを混ぜたものを燃料にしてる。バイオエタノールっていうのはトウモロコシやサトウキビが原料なんだ。バイオマスと呼ばれるものは色々あって木材もそのうちの一つなんだよ」


 十分後、三人はライチョウとレミンが宿泊するホテルへ到着した。
「フィンランドのサウナに入ったことは?」
 モウコが二人に尋ねた。
「まだ入ってない、というか入ることさえ考えてなかった」
 ライチョウが言うとレミンも隣で頷いた。
「せっかくフィンランドに来たんだから体験していくといい。本当なら完成品の “鉄ドロサウナストーン” で入ってもらいたいところだが」
「モウコ博士!おはようございます」
 フロントの奥からホテル支配人が現れた。昨日の晩ロビーで見かけた時に白い口髭と深緑色のスーツがおしゃれ上級者であることを示しているとレミンは密かに思っていた。
「支配人、またサウナのストーブをお借りできないか?」
 モウコは “鉄ドロサウナストーン” 実験の際はいつもホテルにストーブを借りていた。
「どうぞどうぞ。どちらへお持ちしましょうか?」
「今日は天気がいいから外で。ホテルの裏を使ってもいいかな?」
「結構でございます。すぐにお持ち致しますのであちらのソファーでお待ちください」
 三人はホテルのロビーでストーブを待った。
「ホテルの朝食食べたか?パンがうまいと評判だ」
 モウコが聞くと二人はきまりが悪い顔をした。
「それが僕達あまりその・・・余裕がなくて・・・今朝は売店で買ったんです」
 レミンは正直だった。
「ホテルの朝食の半分以下で済んだ。贅沢はできないんだよ」
 ライチョウが悲しげに言った。
「旅の資金は出てないのか?」
「出てるよ。管理局の指示に従えばビオマサキュラが最後の訪問先、だけど俺達はこの後スバールバル諸島に行くことにしたんだ」
 そう言えばモウコに今後の話をまだしていなかった、とライチョウは思った。
「サイガが “海氷荒らし” の衝撃を受けた海氷を発見した直後に訪れたのが、スバールバル諸島のコイド島という島なんだ。サイガの足跡を辿れば死の理由が掴めるかもしれない」
「あんたらサイガの死の理由を探ろうと・・・」
 モウコは驚きと不安の色を浮かべてライチョウを見た。蒼白な顔が一層白くなった。
「お待たせ致しました」
 支配人がストーブを乗せた台車を押して戻って来た。
 サウナ用ストーブは高さ八十センチ程の鉄製の箱型で、中にサウナストーンがぎっしり詰められている。モウコは台車ごと受け取ってホテルの裏側へライチョウ達を案内した。
「台車から降ろすから手伝ってくれ」
「俺達でやるよ」
 ライチョウとレミンは二人でストーブを持ち上げた。鉄製の本体と大量の石はあまりに重く、一時の作業がとても苦痛に感じられた。
 ホテルの裏側は従業員や業者用の駐車スペースになっている。現在一台も車は駐まっておらず、一部屋根が設置された雪のない場所で “鉄ドロサウナストーン” の解説は始まった。
「ストーブの中に入ってるサウナストーン、これの代替品として、“鉄ドロサウナストーン” を実用化させたいと思って・・・あ、しまった」
 モウコは何かを思い出して頭をかいた。
「肝心の “鉄ドロサウナストーン” を持ってくるの忘れた」
「試作品が出てこないなとは思ってたけど」
 ライチョウが言った。
「・・・言ってくれよ。研究所にあるんだ。ちょっと取ってくる」
 モウコは重い足取りでその場を離れようとした。
「研究所で見せてもらえないか?ストーブを持っていってさ」
 ライチョウが提案するとモウコは少し考えた。ストーブを返す手間があるが、それはライチョウ達に任せるか・・・
「じゃあ研究所で解説しよう。支配人に一声かけてくる」
 三人は再びモウコの研究所へと戻ることにした。
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