ハンメルフェスト極地研究所

文字数 3,342文字

2013年10月

「再生可能エネルギーを使ったスノーモビル?」
 ハンメルフェスト極地研究所、営業課のネアがコーヒー片手に言った。
「ライチョウがついに完成させた。数年に渡る南極通いも報われたってもんだ。やつ自身は時間に追われてボロボロだけどな」
「あー、だからか。外国からの偉いさんが何人か来てたのは。大学の教授やら研究者やら」
 昼休憩の後所員が集うカフェで、ネアの同期イガラシはカプチーノに追加のシナモンを振りかけた。
「それはあれだろ?色んな分野から専門家を集めてここらで気候調査するって話。ライチョウの砕雪モビル完成如何で状況が変わることになってたみたいだ」


 ー砕雪モビル展示室ー
 ライチョウは七人の気候調査団メンバーを前に、完成形の砕雪モビルと共に部屋の中央に立っていた。サファイアブルーとネオンイエローの派手なボディに皆釘付けになっている。
「初期動作にはバイオ燃料を使用しますが、数分後疾走する際に受ける風が今度はエンジンの役割を担います。前面のタービンが風エネルギーを電気に変えて、これがトラックベルトを駆動させます」
 ライチョウは砕雪モビルのフロント部分に立って説明した。
「ガソリンから電気に切り替わるってことか?」
 アイルランドの研究者が言った。
「ええ、自動で。最初はまだ風を受けていませんから、初動ではバイオ燃料にエンジンを駆動させるんです。動き出してからは風のエネルギーだけで走行可能となります。受けた風力はタービンが即電気に変換させ、電気は必要以上に使われることがないので機体に溜めておくこともできます。そうすれば次に走る時燃料は不要。初期動作から電気で走れます。大きなエンジンは必要ないので砕雪モビルのエンジンはこんなに小さいんですよ」
 ライチョウは機体の側面を開けてエンジンを見せた。
「一貫して風エネルギーだけで、電気で走らせることはできなかったのか?しかもこれ、2ストロークエンジンだ」
 スウェーデン出身、今回の調査では雪山班に当たっている大学教授が指摘した。
「あー・・・するどい・・・」
 ライチョウは頭の中で、彼が雪山調査で砕雪モビルを使う大学教授だな、とメンバーの詳細を確認した時のことを思い出していた。
「時代に逆境しとるのでは?」
「私は好きですけど・・・でも徹底的に環境を意識するなら、4ストロークにすべきだったんじゃないかしら」
 バイク好きなら、何故2ストロークなのかと思うだろう。
「風エネルギーだけだと、スカンジナビアの大地を疾走するにはもの足りなくて・・・」
 ライチョウが言うと、一同は顔を見合わせた。
「というのは冗談で、これは数十年後を見越して製作した機械です。未来の北極の風がどうなっているかわかりませんが、もし強風が吹き荒れているとしたら、あるいは地域によってそのような状態であれば、初期動作で受ける風エネルギーが強過ぎると機体に負担がかかってしまうんです。そのため最初だけはエンジンが必要だったんです。但し風力タービンを載せると内部のキャパがその分狭くなってエンジンはシンプルにせざるを得なくて。2ストロークじゃないと無理だったんです。ちなみに燃料はトウモロコシやサトウキビを原料にしたバイオエタノールを混ぜたガソリン、バイオ燃料でなければ動きません。バイオエタノールを検知する装置が付いてまして」
「98パーセント電気で動くなら2ストでも環境配慮型ということか」
 マケドニア(2019年2月~「北マケドニア共和国」に改名)出身の大学准教授が言った。名をサイガと言い、ライチョウの友人であった。
「その通り、それが言いたかった」
 ライチョウは笑顔を見せた。
「フロントのスキーに細工してまして、普通スノーモビルは前が上に反り返っていますが、砕雪モビルはストレートになっています。スキーの前部分に鉄製の靴下みたいなものを履かせて、これが凹凸の激しい道の雪を平らにならします。砕雪モビルと名付けましたが、実際は雪を切り裂くようなイメージです」
「通常のスノーモビルと比べてスキーが長いな。先端もストレートだからか鋭利に見える。重量はやはり重くなったんじゃないか?」
 雪山班の教授が言った。
「ええ、そこは否定できません。ただこのスキー板のおかげで滑りは相当滑らかで、山間部や谷間の複雑な地形も一定のスピードを維持しながら走れます。パワーと耐久性も申し分ない」


「南極の次は北極、俺達に中間地点はないのかね」
 砕雪モビルのプレゼン終了後、展示室に残ったサイガがライチョウに言った。
「あんたが気候調査団の主宰なんだってな」
 ライチョウは二人分のコーヒーを用意して、サイガに手渡した。
「ああ、そういうことになってる」
「何だ、気が進まないのか?」
 ライチョウは砕雪モビルに腰掛け、少し笑って言った。
「自分の仕事で手一杯なんだよ。俺を調査団に派遣した上の連中はメンバーに入ってない。この事業自体パフォーマンスみたいなもんだよ。大学と企業が連携して気候変動の実態を現場で調査してますよっていう」
「あんたみたいな外見のいい専門家なら周りも注目するだろ」
「そんな使われ方されても嬉しくない」
 サイガの横顔は不満を浮かべていた。
「そういうのって強味だと思うぜ。まずは興味持ってもらわなきゃな」
「で、参加の方向で進めていいか?」
「ああ、もちろん。協力するよ。砕雪モビルが未完成だったら断ってたけど、おたくらの期待に応えられて嬉しい」
「というかライチョウに声を掛けたのは砕雪モビルの完成ありきだ。できてなかったら一緒に仕事はできない。それとだな」
 サイガはライチョウに向き直った。
「南極で会った時よりだいぶ不摂生してるみたいだな。ものもらいまでできてんじゃねえか。髭も似合わねえ。気候調査団の活動が始まるまでに健康体に戻せよ」
 砕雪モビル研究時のライチョウは、ジャンクフードばかり食べていたため十五キロも太っていた。髪は伸びきってボサボサだし、髭を剃る時間も惜しんでいた。これまで見た目に気を遣わないわけではなかったが、砕雪モビル以外のことはここ数ヵ月頭から消えていた。


 気候調査団はサイガが教鞭を取る大学が中心となって、環境活動に熱心な企業と共に北極の気候変動をあらゆる側面から調査するプロジェクトだ。海氷の状態、ホッキョクグマの生息数、漁業、オーロラなど自然現象の起こる頻度・・・気候変動による影響を最初に受けるのは北極である。リアルな現状を科学的に調べ上げることは多くの科学者や活動家がずっと行ってきていることだ。気候調査団のやることが結果的に目新しいことではなかったとしても、救済の声は伝え続けるべきだ。百年後も人間社会を維持するためには止めてはいけない調査なのだ。
 ライチョウが気候調査団の参加依頼を受けたのは一年前、南極で砕雪モビルの走行テストを行っている時だった。夏の氷床融解について調べに来ていたサイガと、何がきっかけだったかレストランで初対面した翌日のこと。プロジェクトの概要が書かれたリーフレットを渡されたが、その見出しの下に小さくあった一文がライチョウは気に食わなかった。

 “気候変動による被害をくい止めるために”

 『気候変動による被害』。どうにも違和感があった。自分ならここは “脅威” とするだろう。自分達に害しかもたらさないものを簡単に悪と呼ぶのは人間の得意とすることだ。ここでは気候変動が悪とされている。しかし自然は責任をとることができない。気候変動からしたら人間に責任をとってもらいたいはずだ。
 とは言え、ライチョウはその後気候調査団の一員としてプロジェクトに参加することに決めた。砕雪モビルが完成した暁には、サイガの大学が数台購入すること、そしてプロジェクトで使用することを決定してくれたからだった。そのためにはプロジェクトまでに砕雪モビルを完成させるという条件が当然あったわけだが、目の前にエサを吊られたライチョウは今までにない熱量で研究に没頭した。再生可能エネルギーを使用することに加え、従来のスノーモビルでは困難とされてきた奥地にも砕雪モビルなら入り込むことができる。このプロジェクトで砕雪モビルが使われるというのは絶好のアピールとなるのだ。
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