スバールバル諸島 コイド島(3)

文字数 1,950文字

ロングイェールビエン

 極夜明けのスバールバル諸島スピッツベルゲン島の海岸線は故郷セツド村を思わせた。春先の光が砂浜の錆びた焚き火台に当たって、本来の青い色が部分的に鮮やかに見える。吹く風は強く、西側の海は荒れ模様だった。ライチョウとレミンは東海岸のコイド島連絡船乗り場へと向かうため、バス乗り場を目指していた。観光シーズン前の海岸から臨めるのは気温上昇で解け始めた海氷、水平線を遮る氷山、遠くの埠頭に停泊する小型船、ロングイェールビエン空港から海側に向かう人というのはライチョウ達だけのようで、寂寥(せきりょう)たるパノラマが続いている。
「向こう側はグリーンランドですね。セツド村と同じくらいの緯度らしいです」
 レミンが西の海を指して言った。
「ロングイェールビエンとセツド村は向かい合う位置にあるみたいだな」
 ライチョウが寝起きの低い声で言った。飛行機の中では到着するまでほぼ眠っていて、まだ脳みそがはっきりしていない。
「村長、具合は多少良くなりました?」
「大丈夫、寝不足なだけ」
 レミンには心配事があった。コイド島へ行ってサイガと交流を持った者に会えたとして、彼の死の理由がわかるとは限らない。ライチョウ自身それも覚悟の上でここまで来たわけだが、やはり何の情報も掴めなければ悩みは深くなる。レミンはサイガに言ってやりたかった。セツド村とグリーンランドから村長を奪ってでも、あんたは村長と幸せになるべきだったと。


「バスは一時発よ。所要時間は約二時間。コイド島行きの連絡船出航時間が三時半だから、それまでには間に合わす」
 停留所のベンチに座って煙草を吸う女性が、聞いてもいないが教えてくれた。
「あなたが運転手?」
 とライチョウが尋ねた。
「そうよ。コイド島へ行く観光客なんて珍しい、この時期特に。あなた達コイドカゼに似ているけど違うでしょ?」
 運転手の女性は煙草をくわえながらカールのかかった美しい赤毛を束ね、穏やかな眼差しでライチョウ達を見つめた。
「よくわかりますね」
「わかるわよ。私、コイド島の住民の顔全員知ってるもの」
 コイド島連絡船乗り場へのバスは一日二便、朝九時と午後一時に運行している。利用者がほとんどいないことから、停留所は空港から直結しない海岸線にあった。
「コイド島には何の目的で?」
 十二時四十五分。運転手はどうせ他に誰も乗らないからと言って、定刻の一時より早く出発した。
「港の建設について話を伺いに」
 ライチョウが言った。
「港建設?北極海航路がスバールバル諸島まで延びたらの話でしょ」
 コイド島の住民と接触する機会の多い彼女なら港に関する話を聞いているかと思ったが、返答はあっさりしたものだった。まるで遠い将来のことのように。
「あー、あなた達港建設の関係者?」
「いいえ、極地村の環境調査の一環として、取材に」
 ロングイェールビエンではコイド島の港建設についてどのくらい認識があるのか知りたいところだが、運転手の反応から関心は薄そうだった。
「そうなの。たまに事業関係者が来るからそうかと思ったのよ」


 船着き場までの道程は単調な雪景色の続くツンドラ地帯。バスは北東方面に一本道を走っている。レミンがオスロ空港で取ってきたガイドブックによると、もうすぐガソリンスタンドがあるポイントに着くはずだった。車内の通路を隔てた隣の席に座るレミンはいつの間にか眠っている。ライチョウは窓の外、遠くの雪原をぼんやりと眺めた。
 サイガの足跡を辿る旅はもう始まっている。サイガの足跡・・・?ライチョウの頭の中にあることがよぎった。運転手に聞かなければならない。サイガがこのバスに乗ったかどうかを。何故こんな大事なことが抜けてしまっていたのか。
「運転手さん、一年前の乗客のこと覚えてます?」
 ライチョウは掛けている座席シートから身を乗り出して言った。
「一年前?どんな人か言ってみて」
「三十代半ばのマケドニア人男性、背は僕より少し高いぐらいで体格は普通、男前」
「ええ、覚えてるわ」
 運転手は即答した。
「連絡船乗り場からロングイェールビエンへ向かう方でマケドニア人が乗ってた。マケドニアからなんて珍しいしズリと一緒だったから余計印象に残ってる。確かにハンサムだったわね」
「ズリ?知り合いですか?」
「コイドカゼの首長よ」
 サイガはコイド島から帰還の際連絡船でスピッツベルゲン島へ渡り、ロングイェールビエンまではこのバスに乗っていた。往路はおそらく大学の提携船に乗っている。“海氷荒らし” を見つけた後、提携船でそのままコイド島へと向かったのだろう。
「その人が何かあるの?」
 運転手が尋ねた。
「友人なんです。ただ確認したかっただけで」
 島の首長なら港建設の話も聞けるはずだ。ライチョウはコイド島へ到着したらズリを訪ねることにした。
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