第14話 客観視できない女

文字数 1,238文字

 どうやら九時になったようだ。ママが出勤してきた。八時半頃からホステスたちが続々と客と同伴出勤してきたので店内のテーブルの半分は埋まり、店内はかなり活気付いている。どの客も上機嫌で、ホステスたちの楽しげな笑い声があちらこちらから聞こえてくる。カウンター内でチーフがシェーカーを振る姿が見える。黒服たちもきびきびと動いている。『ろくでなし』を弾くピアノ弾きの腕も冴え渡る。
 要が来るまでの場つなぎとして朱美が私のテーブルにやって来たので、香織は愛想よく微笑んで「ごちそうさまでした、ごゆっくりどうぞ」と退席した。
 朱美はいつもと同じてるてる坊主のような白いノースリーブのAラインのワンピースを凹凸のない体にストンと着ている。貧乳、寸胴、下半身デブを誤魔化しているつもりなのだろうが誤魔化せていない。
 なぜならかなり白っぽいパンストを履いているので、ただでさえ太い足が余計に太く見えているからだ。東北出身で色白が唯一の取り柄だから、それを強調するためにそうしているのだろう。だが実際の足の色よりも明るい色のパンストを履くと、老けて見えるということもわかっていない。
 どうして朱美はこうも、自分を客観視できないのか? なぜその浅はかな目論見が裏目に出てしまっていることに気付かないのか? 猿だけに猿知恵なのか?
 ツッコミどころはいろいろあるのだが、何よりも短すぎる前髪がどうにもこうにも気になるので、本人に直接言ってみた。

「朱美ちゃんの前髪、短すぎるんじゃないかな」
「ああ、これ? 自分で切ってるんです」
 なぜか得意気に朱美は答えた。
「それはどうして?」
「だって『もっと短く切って』って美容室で頼んでも、『切らない方がいい』って言って切ってくれないから」
「うんうん、そうだろうね」
 そりゃもっともな話だ。こんなおかしな髪型で自分の店から出て行かれたら、美容室の評判がガタ落ちになる。そんなリスクは(おか)せないのは経営者として当然の判断だ。
「それで、どうしてそんなに短く切りたいんだい?」と辛抱強く質問をくり返す。
「オードリー・ヘップバーンみたいだから」
 朱美はしれっと答えた。
「オードリー・ヘップバーンて、『ローマの休日』の?」
「そう。あの王女さまみたいでしょ?」
 ぬけぬけと朱美はほざいた。あの名画『ローマの休日』の愛らしい王女の短い前髪を猿真似していたのだ。このオランウータンは、オードリー・ヘップバーン気取りで……。

『猿だけに猿真似かッ!』
 朱美のこの身のほどをわきまえない思い上がりに吐き気をもよおした私はトイレに駆け込み、店に入ってからそれまでに呑んだブランデーをすべて吐き戻してしまった。
 トイレの洗面所でうがいしたついでに顔をザブザブと洗い、鏡に映る呼吸の荒い男の顔を見ながら考えた。『風の谷のナウシカ』、あれも確か王女だ。お姫さま願望に取り憑かれている朱美は、おかっぱ頭も猿真似していたのだ。ナウシカ気取りで……。
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