第7話 竹を割ったような女

文字数 1,174文字

 私が『アール・ヌーヴォー』へ通うようになったのは同じロータリークラブのメンバーの大病院の院長・大槻氏に連れられて行ったのが切っ掛けだった。

『アール・ヌーヴォー』のオーナーママは下町育ちのちゃきちゃきの江戸っ子で、竹を割ったような性格だ。くよくよと悩んだことがないという性格を私は羨ましく思った。色白丸顔タヌキ顔でちょこんとした低い鼻が愛嬌があって親しみやすい印象だ。
 正面から見ると『サザエさん』の母親の舟のようなシンプルな髪型だが、毎日美容室で「抱き合わせ」という後ろ姿が特に美しい髪型に結っている。このように手間暇と費用をかけて日髪(ひがみ)を結うのは、高級クラブで働く女の務めなのだ。

 彼女は御召(おめし)縮緬(ちりめん)(つむぎ)(ちぢみ)芭蕉布(ばしょうふ)などの「洒落着」と呼ばれるカジュアルな着物を好んで着ている。
 カジュアルといってもそれらはみな一枚数十万円から数百万円という高価な着物であり、洋服でたとえるなら創業時のシャネルのような高級カジュアル志向の着物なのだ。カジュアルウェアに大金をかけられるのは本物の金持ちの(あかし)であり、庶民が一張羅(いっちょうら)の晴れ着にだけは大枚を(はた)くという一点豪華主義とはわけが違う。さすがは高級クラブのオーナーママである。
 そして、どんなに美しい帯でも緩んでくると気崩れてみっともないことになってしまうものだが、仕事中に何度も帯をしめ直すのは時間のロスだ。それでママは一度しめると決して緩まない博多織の帯を愛用している。

 大槻氏の紹介で私も会員となったので、今度は私がだれかを『アール・ヌーヴォー』に連れて行ってオーナーママに紹介し、彼女のお眼鏡に(かな)えばそのだれかは会員になれる。だが私はこの店を誰にも紹介しない。ここは私の心のオアシスであり聖域(サンクチュアリ)だからだ。
 何より私の紹介した誰かが要と、私よりも親しくなることは堪えられないからだ。私にとって要は聖母(マドンナ)なのだ。要は心疲れた私を聖母のような慈愛と優しさで癒やしてくれる。だから私が私的(してき)に通うクラブはこの『アール・ヌーヴォー』だけだ。
 私的に通うといっても、二回分の料金を合算して人数を「二名」と記入してもらった請求書を会社に送ってもらい、帳簿上は「接待費」として処理しているのだが……。
 私が『アール・ヌーヴォー』に通うのは、ママや要にせがまれるからではない。彼女たちは私に来店をせがんだことはない。『要に会いたい』と思ったときに『アール・ヌーヴォー』に行くのだ。もっとも『要に会いたい』と思っても毎回行けるわけではないのだが。経費で落としてはいるものの、会社の業績が悪化しているので経費が無制限に使えるわけではないからだ。
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