第2話 平凡な女

文字数 1,002文字

 ワイフは平凡な女だ。短大を卒業後、父親の勤務先の会社に縁故入社し事務員として働いていた。定時で帰宅し母親の作ってくれた夕食を取り入浴して就寝する、そんな判で押したような日々を十年ほど続けた後、私と見合いしたのだ。
 その時、私は三十五だった。まだ起業しておらず、小さな呉服問屋のしがないサラリーマンだった私は選り好みできる立場ではなかった。こんな私と結婚して子供を産んでくれるという女が一人でもいればそれで十分だった。
四十(しじゅう)までに会社を起こす予定です」
 見合いの席で私の決意を聞いたその娘は無邪気に瞳を輝かせ、「まあ素敵!」と言った。素敵なことになるかどうかはまだわからないというのに――。
『起業するということは社長になるということ。この人と結婚したら私は社長夫人だわ!』と単純にそう思ったのだろう。この楽観的な無邪気さにいささかあきれながらも何だかおかしくなって笑ってしまった。
 ワイフが言うにはその笑顔が良かったらしい。それまでずっと緊張の面持ちだった私がようやく見せた笑顔に安心したと言うのだ。『この人について行こう。この人を支えて行きたい』、そう思ったらしい。
 結婚後、私は何度もワイフの楽観的な態度や無邪気な笑顔に救われたような気がしたり、私の苦しみをまるで理解していないワイフに落胆させられたりした。あれから十八年経つ。私は五十三となり、ワイフは四十七、息子は高校一年生、娘は中学二年生となった。
 高校生になった息子が今、何を思い何を考えているのかはわからない。「パパー、キャッチボールしようよー!」と無邪気に飛びついてきた息子はもういないのだ。いつかまた息子は笑顔を見せてくれるようになるだろうか、挨拶以外の言葉を交わせるようになるのだろうか――。
 娘というものは中学生にもなると、父親に対して生理的嫌悪感を抱くようになり、それが成長というものだそうだ。わが子が成長して行くことは喜ばしく嬉しいことだが、少し淋しくもある。『いつまでも小さなかわいらしい女の子でいてほしい』という気持ちもあるからだ。
 ところが中学生の娘はまだ私になついていて、私と共に夕食を取ることを楽しみにしてくれている。これは世の中では珍しいことらしい。だがそれもいつまで続くことやら……。

 心が疲れたときや心が折れそうなとき、私は(かなめ)に会いたくなるのだ。早く要に会いたい。
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