第6話 他の街ではお目にかかれない美女たち

文字数 833文字

 新橋駅で下車し夜の街に出ると、会社を出たときよりも風が冷たく感じられ、車輌内では(ほど)いていたマフラーを巻き直した。カシミアの暖かさと柔らかさが心地好い。このマフラーは私の誕生日プレゼントとして先週、要から贈られた物だ。
 私は高級クラブ街・銀座八丁目にあるクラブ『アール・ヌーヴォー』へと歩き出す。八丁目に行くには新橋駅で降りた方が近いということも知らず、銀座駅で降りて並木通りを歩いて接待用の高級クラブ『シェヘラザード』に通っていた頃が懐かしい。

 並木通りには仕立ての良いオーダースーツを着た立派な紳士たちや他の街ではお目にかかれない美女たちが行き交う。この華やかな並木通りを案内すれば、接待相手は「ほう、これが銀座ですかぁ」と感嘆してくれるのだ。
 夜の銀座には特有の匂いがある。髪をセットし美容室から出てきたばかりの美女たちの髪から香る整髪料、自宅からすでに纏わせている香水、花の(かんばせ)を彩る外国製の高級化粧品の匂い……。これらが織りなす独特の匂いだ。
 だから銀座駅で降りて八丁目まで歩くのも決して悪くはないのだが、少しでも早く要に会いたい一心で新橋駅で下車するのである。早足なら十分もかからないが、要はまだ出勤していないから並足で行く。大人の男は決して慌てず悠然と、特に銀座では紳士然として歩くものだ。
 だいたい、大の男が街中(まちなか)で走るなんてみっともないではないか。大の男が街中を必死で走るのは、ゴジラかショッカーかデーモン族から逃げるためか、家族の危篤に駆けつけるためか、金策に奔走しているかだ。
 ――――実は、私はこれまでに会社の資金繰りに困って二度首を括ろうとしたことがある。ワイフには私の苦しみなどわからない。もっともそれは私が経営全般についてワイフに話したことがないからだが。話したところで「大丈夫よぉ」と脳天気に言われるのが関の山だ。お嬢様育ちで世間知らずのワイフに経営のことなどわかるはずがないのだから。
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