第12話 馬が合う女

文字数 1,213文字

 今日は断られてしまったが要との食事デートは、銀座の寿司懐石『忠兵衛』かフランスのグルメガイド本でも紹介された並木通りの『すし福』や寿司の銘店『すきやばし小次郎』など寿司店ばかりだ。
 時には築地まで足を伸ばすこともある。要は和食党で、素材の味を活かした料理が好きだ。そんなところも私と馬が合う。ワイフは元々洋食派で、「子供たちも好きだから」という理由で普段の献立もまるでファミレスのような子供騙しな洋食ばかりなのだ。
 要が※酒盗(しゅとう)や※コノワタに目がないのも私と同じだ。二人で一つの器に盛られたコノワタをつつきながらぬる燗を差しつ差されつしているときの要の笑顔は天下一品だ。「要ちゃん、酒()きだねぇ」と私がからかうと、「当たり前じゃない、テツさんだってお好きでしょ?」と、要はリラックスしきった柔らかな笑顔で問いかけたものだ。
「うん、大好きだよ」
「コノワタとぬる燗の相性って、どうしてこんなに良いのかしら……」
 要の幸せそうな顔を見ていると私まで幸せを感じる。同じ価値観を持つ者同士の、言葉にしなくても通じ合う絆を感じるのだ。共通の言語を持たない外国人同士でも同じ酒や料理を「美味い」と感じたときに思わず漏れる(うめ)きや表情で心が通じ合えるような感覚、とでも言おうか。
 感覚を共にできる存在と出会えることは、人生における幸せの一つだといえる。自覚しているにせよ無自覚にせよ、人は共感を求めて生きているのだろう。少なくとも私はそうだ。
 私はこれまでそんな存在とは出会えなかった。感覚を共にしていると思っていたのは私だけで、実際には幻想だったからだ。だから要との出逢いは奇跡のように()()()()ことだと思っている。

酒盗(しゅとう) 鰹の内臓の塩辛
※コノワタ 海鼠(ナマコ)の内臓の塩辛

 接待用に使っているもう一軒の高級クラブ『シェヘラザード』も良い店だ。そこはアラビアンナイトを思わせるハーレムのような大箱のクラブ。真っ赤なペルシャ絨毯、黒天井からはギラギラのシャンデリア、黒い壁面には金で縁取られた大小様々の鏡、そこに妖しく映り込むはキャンドルのゆらめく炎、お香のような不思議な匂い、エキゾチックなアラブの調べ、露出度の高い民族衣装風コスチュームで魅せるベリーダンスショー、ゴージャスでセクシーなホステスたち……。
 まるで自分が王族か大富豪にでもなってこの世の春を謳歌しているような気分を味わえるのだが、店を出て自宅に帰り着くころまでにはすっかり虚しくなってしまう、()()という語がふさわしい店だった。取引先の接待相手はみな一様にたいそう喜んでくれて、後日会った際には「夢のような一時(ひととき)でした。また行きたいものです」と言ってくれるのだが――。

 私にとって魂の安らぐ場所は、要のいる『アール・ヌーヴォー』だけなのだ。
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