第24話  三好清海入道

文字数 4,173文字

「神よ!異教の僧を、邪悪な亡者を滅ぼす力を、我に!」

ローランは清海入道の首を掴みながら絶叫し、無心に祈った。
だがそれはヴィーザル達アース神族の神にではない。父、キリスト、聖霊の三位一体の神にである。
ローランには迷いが一切なかった。かつて戦場でキリストの教えに背く異教徒と戦い、死した己を天上に招いたのは全てを捧げ奉じた唯一絶対の神ではなく、ヴァイキングが信仰する異教の神々であった。
ならば、己の信仰は間違っていただのだろうか。己は存在しない神に祈り、存在しない神の為に戦い、全く意味の無い死を遂げたのだろうか。
キリストへの信仰を捨て、己に新たな生と使命を与えたアース神族に全てを捧げるべきなのだろうか。
いや、そうではないとローランは思う。神は、間違いなく存在する。今ある宇宙をさらに超えた高次元の世界にあって、アース神族と巨人族と死者共の三つ巴の戦を見ておられるに違いない。
そして、異教の神に招かれ、その兵士になってもなお、キリストの教えを守れるかどうか、試しておられるに違いない。
己の信仰は何も間違っていない。それどころか、かつて地上にあった時よりも、異教の神々の側にいる現在の方がより一層強く唯一絶対の神の力強い意志を感じた。

「ぬうううう!!」

ローランの五指に更なる金剛力が宿り、遂に清海入道の鋼より硬い牡牛のような喉を握り潰した。

「!」

ローランの顔面を掴んでいた手を放し、清海入道が信じられないものを見た表情のまま凍り付く。

「ぐ、がは!が・・・・」

清海入道が顔面を朱に染め上げ、大量の血を吐き、あえぐ。本来ならばこれで終わりだろう。
喉を握りつぶされた人間は直ちに喉に血を詰まらせて窒息死するはずである。
だが、亡者の女王ヘルの僕たる死者は例え窒息し、酸素が脳に行きわたらなくても、その程度では再び地に帰ることはない。
だが、それでもやはり深手なのだろう。清海は己の喉を両手で抑えながらもだえ、その場を動くことが出来ないらしい。

(デュランダルで奴の首を刎ねなければ・・・・)

ローランは大地に放り出されたままの聖剣を見つめながら、思った。だが清海入道に掴まれた頭蓋の痛みはすさまじく、容赦なく襲い掛かる。また喉を握りつぶす為に力を使い果たした故か、四肢が鉛のように重い。

「ぬぐ、ぬううん・・・・」

清海入道の握りつぶされた喉が早くも再生されつつあるのだろう。その声、表情に余裕が戻りつつあった。

「な、何と凄まじい剛力よ。見事だ、南蛮の騎士よ」

人食い鬼を思わせる獰猛な、いかつい顔に爽やかと言って良い表情を浮かべながら清海は言った。

「拙僧こそが当代無双の剛力。この天地に拙僧を超える力の持ち主などあろうはずがないと信じていたのだが・・・・。よもや南蛮人が、しかも拙僧より小さな体躯の持ち主が、これ程までの力を持つとは・・・・」

ローランは清海のいかにも率直な気性が感じられる飾りの無い賞賛の言葉を聞きながらも油断せず、五体に神気を巡らして回復を図る。

「見事に喉を握りつぶされたわ。拙僧は一度死んだ身故、この程度では滅びぬが・・・・。人間であれば即死だの。これは拙僧の負けである。潔く兜を脱ごう」

「何だと・・・・!」

ローランは我が耳を疑った。これは時間稼ぎの為の擬態であろうか。いや、そうではない。清海の傷は完治していないものの、死者であるから傷など気にせずローランに追撃しようと思えば今すぐ出来るであろう。
だがその意志は無いように見える。むしろ時間を稼がなければならないのはローランの方であった。

「敗北を認めるのか・・・・?」

ローランはなお油断せず、デュランダルに手を伸ばしながら問うた。

「うむ」

清海入道は迷いの無い晴れ晴れとした表情できっぱりと言った。

「拙僧は僧形であるが、元は武士よ。そして再び武士として主君真田幸村の下で戦ったのだ。日の本武士として力比べに負けた以上は、潔くそれを受け入れればならん」

清海入道の声は晴れ晴れとしてなおかつ堂々としており、敗北の無念、そして敵を欺こうという姑息な響きは微塵も無い。ローランは信じた。

「異教徒ながら見事な振る舞いよ。承知した。栄光あるシャルルマーニュ騎士団の聖騎士として貴殿の降伏を快く受け入れ・・・・」

ローランはそこで言葉を失った。ローランの信仰で磨き上げられた聖なる眼は見たのである。清海入道の背後に現れた闇の気配を。
それは女であった。長い黒髪で、血が通っていないかのような青白い肌であったが、顔立ちそのものは秀麗と言って良いだろう。
だが下半身は腐乱死体のそれであった。醜くただれ、蛆虫が大量に蠢いている。そして多くの人骨をまるで装飾品のように身に纏わせていた。
悪夢そのものというしかない、おぞましく醜悪な存在。

「ヘル殿・・・・」

豪放な清海入道が恐怖で顔を引きつらせながらその名を呼んだ。

(あれがロキの娘、亡者の女王ヘルか・・・・)

ローランはあまりのおぞましさに吐き気を覚えた。ヘルはあくまで魂の分身を送ったのみで、肉体は得ていないはずである。
だが、かつていかなる凄惨な戦場でも嗅いだことの無い言語を絶する凄まじい悪臭、腐敗臭が漂って来るようであった。

「何を考え違いをしている?我が僕よ・・・・」

ヘルの老婆のようなしわがれた声が響いた。その声には聴く者の鼓膜を腐敗させる力すらあるのではないかとローランは思った。
かつて遭遇し、戦った女神グルヴェイグも対峙する者の心をくじく圧倒的な憎悪と狂気が放たれていた。

「だがこの亡者の女王は・・・・」

桁が違う。思えば、グルヴェイグは元は高貴な女神でありながらオーディンに凌辱され、身を焼かれ、あまつさえ同胞であるヴァン神族に見捨てられた為に発狂し、憎悪に身を焦がすことになった。
しかしヘルはそうではない。最初からそう言う存在なのだ。亡者を統べ、生きとし生ける者を呪い、腐食させこの宇宙に死臭を、腐敗臭をまき散らす為にある存在。父であるロキすらも凌ぐかも知れない純粋にして絶対の悪意の結晶。
それがヘルなのだろう。

「堂々と力比べをし、負けたから潔く認める?そんなことが死者の軍勢の兵に許されると思うのか?我が命を、我が父に与えられた使命を思い出せ・・・・」

「・・・・」

「さあ戦え、我が僕よ。消滅するその時まで手足を動かし、命ある者を屠れ。一瞬たりとも忘れるな。その為にお前は蘇ったのだ・・・・」

そう言い残して、ロキの娘、亡者の女王ヘルのオーラは消滅した。おぞましい悪臭は消え去り、ヨトゥンヘイムの大地に再び清涼な風が吹いた。

「は、はははは・・・・」

清海入道が笑った。呪われた我が身を蔑む悲しい笑いであった。もはや己には敗北を受け入れ好敵手を称えることも、武士として誉ある死を得ることもあり得ないという現実を受け入れた諦めの笑いであった。

「哀れな奴め」

ようやく剣を振るう程度には回復したローランが聖剣デュランダルを握りしめながら言った。

「異教徒であり、あのおぞましい化物の下僕として蠢くだけの亡者・・・・。最早救いようがない。せめてこの真の神の僕たる聖騎士ローランの刃で土に帰るがいい。それが貴様に残された唯一の慈悲だ・・・・」

「そうはいかん」

清海入道の目から己への蔑み、諦めの色が消え、再び闘志の炎が宿った。

「生憎だが、もう力比べにつき合う気は無いぞ。あの折れた武器でなおも立ち向かう気か?」

ローランはデュランダルを油断なく構えながら言った。この堂々と剛力を振るうのみと思われた異教の僧に何か奥の手があるというのだろうか。

「我ら真田十勇士の内、生粋の忍びは猿飛佐助と霧隠才蔵の二人。だが拙僧らも彼らから忍びの術を叩き込まれ、いくつかは身に着けた・・・・。そしてそれぞれの技量、個性によって進化させたのだ」

清海入道は大きく深呼吸した。凄まじい勢いで空気を吸い込み、ため込んだため、腹部がまるで蛙のように膨らむ。

「喰らえ!」

大音声と共に腹にため込んだ空気を一気に放出した。清海の超人的な腹筋によって圧縮された空気がさらに裂ぱくの気合によって勢いを増し、無形の砲弾と化した。

「!」

圧縮された空気の砲弾は金属鎧に全身を包み、防御に専心するローランをいともたやすく吹き飛ばした。

「な・・・・!」

地面に転がり、全身に走る激痛に耐えながらローランはかつて戦った狂気の女神グルヴェイグを思い出した。
あの女神も空気を弾丸と化して放ったが、清海入道の空気の砲弾の威力はそれを超えているかも知れない。

「これぞ忍法、獅子吼の術よ。中々のものであろう」

清海が己の術の威力を誇りながら傲然と言った。いや、そこには堂々たる立ち合いに奥の手を使わざるを得なかった苛立ちと恥じる気持ちも確実に入り混じっていた。

「もう一度喰らうがよい」

再び清海入道が圧縮した空気が砲弾となり、気合が爆ぜて大砲の様に発射される。
ローランは躱すことも防御することも出来ず、まともに喰らった。

(しまった・・・・。しくじった・・・・)

全身の骨が軋み、砕けるような激痛の中、ローランは己の敗北を悟った。
一度力比べに勝利した為、油断した。
一度敗北を喫しながら再び牙をむき、隠していた奥の手を、飛び道具同然の技を使うなど、騎士の道にもとる卑怯な振る舞いであるが、そのような憤りを抱いたところで、どうしようもない。
相手は騎士ではなく異国人であり、異教徒であり、亡者なのである。騎士の流儀など通じるはずも無い。
全ては己の流儀、価値観にこだわり、敵を知ろうとしなかった結果である。

「自分の価値観に囚われ過ぎだ。もっと他人を見て、柔軟に考えろ」

そう言ったのは、あの生意気な小賢しいエドワードであったか、それとも老練な姜維であったか。
いや、かつて地上で同じシャルルマーニュ騎士団の聖騎士として肩を並べて戦い、今では死者の軍勢の将となったらしい思慮深いオリヴィエであったかも知れない。

(少しは彼らの言葉に耳を傾けるべきであったか・・・・)

だが全ては終わった。清海入道は止めを刺すべくこちらに近づいて来るのだろう。失われゆく意識の中、力強い足音が奇妙なほどはっきりと聞こえる。
さらにそこに清海入道の足音を超える巨大な音が加わり、大地を揺るがす衝撃が響いた。

(何だ・・・・?)

正体不明の衝撃に疑問を抱いたのもつかの間、ローランは完全に意識を失った。












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