第42話  ムスペルの騎手

文字数 2,215文字

大地を鳴動させながら進軍する勇壮な山の巨人族の軍団よりも先に動き出していた十個の影があった。
その影が走るさまは獲物を追って疾走する豹よりも早いのではないかと思われるほどだが、同時に極めてしなやかであり、足音一つせず、全く土埃も生じない。

「ふふふ、炎を操る巨人族か、楽しみだ」

日焼けした小麦色の彫りの深い顔に好戦的な笑みを浮かべながら言ったのは、根津甚八である。

「おいおい、甚八よ。わしらの任務を忘れるなよ。標的はあくまで山の巨人の若造が持つ指輪だ。ムスペルとやらと戦うなどもっての外だ。これはあくまで偵察に過ぎんのだぞ」

魔犬ガルムの背に跨りながら望月六郎が思慮深げに言った。

「それは分かっておるのだが・・・・。山の巨人族の凄まじい戦いぶりとエインフェリアの見事な業前を見せられ、ただでさえどうにも辛抱が効かなくなっていたというのに、さらにこれだ。自分が抑えられそうにないな」

「全く同感である」

三好清海入道が吼えるように甚八に同意した。

「味見の一つぐらいしても構わんのではないか?」

「全く、甚八も兄者もお元気ですな」

わざとらしい大きなため息をつきながら三好伊三入道が年寄り臭く言った。

「拙僧には戦う力は残っておりませんわい」

「・・・・」

「・・・・」

穴山小介、筧十蔵は無言を貫いているが、その顔貌にはやはり抑えきれない闘志であふれんばかりである。

「お前たち、望月の言う通りだぞ。今この場でムスペルとやらとやり合うことは許さん」

真田家に仕える侍大将の家柄を誇り、十勇士の中で最も身分が上と自負する海野六郎が権高に言うと、最も若い由利鎌乃介が激しく反発した。

「固いことを言うなよ、海野殿よお。今後の事もあるんだから、炎の巨人族とやらがどれ程できる連中なのか、実際に試しておいた方がいいんじゃねえか?」

「鎌乃介の言う通りかも知れませんね」

霧隠才蔵が獰猛さを柔らかく艶然な笑みで包みこみながら言う。

「・・・・」

猿飛佐助はそんな九人の同士の様子を観察していた。幸村の腹心であり、参謀格を自認する海野六郎、そして元々何事においても慎重で無駄な戦いを避けたがる望月六郎、三好伊三入道以外の者はやはり幸村の命令よりも己の闘争本能を満たすことを優先したがっているようである。
かつてならばこのようなことは考えられなかった。霧隠才蔵、三好清海入道、根津甚八、筧十蔵、穴山小介、由利鎌乃介はいずれも好戦的な気性の猛者達であるが、真田幸村という絶対の主君を仰ぎ、忠誠を捧げ、その命令に背くなど天地が覆ってもあり得ないと固く己の魂に誓っていたはずである。

(だが一度死に、暗黒の神の力で蘇って魂に刻み込まれた忠義は薄くなってしまったということか)

真田家に代々仕えてきたという自負の心が強い海野六郎もやはり逃れられず徐々にその精神が変貌していくのだろう。

(まあ、それは別によい。それよりも炎の巨人族ムスペルか・・・・)

佐助も好奇心と闘争心がふつふつと湧き上がるのを抑えられそうになかった。かつては己たち同様人間であったエインフェリアなどとは全く訳が違う異形異種の存在。
炎に包まれた剣を振るい、他種族を問答無用で焼き殺すという凶悪な意志に統一された銀河に比肩する者がない残忍無類の種族であるという。
彼らがこの美しいヨトゥンヘイムの大地を炎の海で飲み込むさまをただ陰から見守るなど、あり得ない話である。

(清海の言う通りだ。味見ぐらいはしたって罰は当たるまい。幸村の奴がここにいたら、それこそ指輪のことなど忘れて真っ先に突っ込んでいくだろうよ)

佐助の音も立てず大地を蹴る強靭な両足にさらなる力が込められる。その疾走の勢いがさらに増し、地上のいかなる動物をも凌駕するであろう速さとなった。
付いてこれる者はただ霧隠才蔵一人のみで、他の八人を大きく引き離した。佐助は後ろを振り返ろうともしない。

「佐助・・・・!」

流石の霧隠才蔵もこの速度を保つのはつらいらしく、思わずあえぐ。

「おお・・・!!」

佐助の童顔が驚愕と感嘆の念で満たされる。

「これは・・・・」

霧隠才蔵もまたその唯一無二の妖艶な顔貌を思わず引きつらせ、絶句した。

「全員、騎手とはな・・・・」

佐助の重瞳と才蔵の濡れた妖しいまでに黒い瞳は捉えた。炎の海から出現した炎の巨人達の中に徒歩の者はおらず、全ての者が火を噴きだす紅玉で出来たかのような一角を備えた紅毛の四足獣に騎乗しているのを。
彼らは地獄の獄卒である牛頭馬頭を思わせる醜悪な顔貌に憤怒と憎悪を露わにしている。
この美しいヨトゥンヘイムの大地が、錦繍の如き鮮やかな紅葉に包まれた山々が不快でたまらないのだろう。
それぞれ炎を纏った剣を向け、思うさまに炎の矢を放ち木々や紅葉を灰に変えて獰猛な叫び声を上げている。

「確か、騎乗の者はムスペルの上位種だったか・・・・」

佐助が聞かされているムスペルに対する情報を思い出した。

「ええ。徒歩の者よりも炎を操る力も武勇も優れているとか」

流石の才蔵も緊張と戦慄を抑えることが出来ず、わずかに震える声で答えた。

「成程。このヨトゥンヘイムは大軍が展開しづらい場であるし、山の巨人族は恐ろしく強剛であるからな。少数精鋭で攻め寄せることにしたか。ムスペルは破壊と殺戮しか知らぬ単細胞な連中と聞いていたが、意外に頭を使うではないか。先に死者の軍勢に痛い目を合わされたから、大軍で力攻めするばかりが戦ではないと流石に反省したという訳か。いや、感心感心」









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