第38話  最高の武の境地

文字数 2,397文字

「ちっ・・・・」

顕家はその雪の様に白い繊弱な顔をしかめ、鋭く舌打ちをした。我ながら不思議だが、あの木村重成という武士は虫唾が走る程に嫌いであった。その一挙手一投足がいちいち癇に障る。
向こうは顕家を嫌うどころかむしろ敬意を抱き、憧憬の思いでこちらを見ていたようだが、それがかえって厭わしく、不愉快であった。
何故かは分からない。気性も廉直そのもので稀に見る程誠実で行いも立派な男であることは分かっているのだが、とにかく何から何まで気に食わなかった。
相性が悪いというしかない。
その男が顕家の技を盗み、己の物にした。完全なる脱力を。天賦の才を持つ者にしかできない体捌きを。

「小癪な奴めが・・・・」

だが重成の動きを思い返して見るに、顕家に比べればほんの僅かだが軽さが不足していた。そういう意味ではやはり重成の武の才は顕家には及ばないのだろう。
だが重成は顕家が会得していない特殊な剣術を駆使して顕家以上の威力が込められた斬撃を繰り出していた。

(確か、居合術とか言ったな・・・・)

顕家が生きた時代には存在していなかった技である。日本刀の機能を最大限に生かし切った素晴らしい技術体系というしかない。
もしあの技を極めれば、己はさらなる境地へと進み、この世において比類ない最強の武人へとなれるに違いない。

「・・・・」

その為には木村重成に教えを乞わねばならない。もし頼めばあの男は顕家に頼られたことを心から喜び、惜しむことなく全てを教えてくれるだろう。

「ふん、冗談ではない」

重成が顕家に頼られたことを喜び、手取り足取り居合の技を教え込もうとする姿を想像して、顕家の全身に不快感が走った。
あの男に教えを乞うなど、やはりあり得ぬ話である。また重成が顕家の技を盗んだように、顕家の天賦の武才ならば重成の居合の技を見て盗むことも可能だろうが、それすらも断固として拒否する意志を決めた。
他人の技を見て盗むなど下郎の行いである。権中納言、鎮守府大将軍たる北畠顕家に許されることではない。

(私は今あるもので最後まで戦い抜く・・・・)

重成の動きを注視し、様々な思いを抱いたのはエインフェリアとワルキューレだけではない。気配を完全に絶ち、身を潜める十個の影。その中でも三人の男が瞠目していた。

(流石だ。そうでなくてはな、木村重成殿よ・・・・)

重成と直接刃を交え、そして敗れた根津甚八は敵手を称えつつ、その動きを取り入れようと脳内で克明に再現した。

(早う稽古がしたい。俺はもっと強くなれるはずだ)

陰鬱な顔貌をしかめ、嫉妬の暗い炎を瞳に燃やしたのは穴山小介である。
己をはっきりと上回る剣技、見事な居合の技を見せつけられ、剣士として敗北感に打ちのめされていた。
後藤又兵衛との一騎打ちに敗れた傷心に更なる衝撃が加わったのである。根津甚八と違って精神に柔軟性を欠く小介はしばらく立ち直れないかもしれない。

「・・・・」

童顔に老成した暗い瞳という均衡を欠いた奇妙な顔貌の猿飛佐助は複雑な表情を浮かべていた。
木村重成を不俱戴天の敵と定め、漆黒の憎悪を抱いていたが、甚八以上に柔軟で弾力性に富む精神を併せ持つ佐助は敵手の実力を公平に認めると同時に冷徹に観察することが出来た。

「完全なる脱力・・・・。俺と幸村以外に使える者が敵方にいたか。それも二人も」

佐助の脳裏に二人の戦士の姿が鮮明に蘇った。特に北畠顕家の完全に力が抜けきった羽毛の如き動きは忍びの歴史始まって以来の天才と称された猿飛佐助の体捌き同様、完璧というしかなかった。

「公家である北畠顕家は忍びの者と接点など無かったはずだがな。一体誰に教わったのだ?いやまさか我流か?己独自で編み出したのか・・・・」

北畠顕家は十代という年少の身で一軍を率い、逆賊足利尊氏の圧倒的大軍と戦わねばならなかった。
その逆境、幾度もくぐり抜けねばならなかった死線の中で彼の天賦の武才が閃き、最も合理的で正しい体の使い方を自然に会得したと言う事だろうか。

「恐るべき御仁よ。日の本開闢以来最高の武人やも知れぬな。あるいは幸村の上を行くかもな・・・・」

真田幸村に完全なる脱力の体捌きを教えたのは佐助である。本来忍びに伝わる体術であるから幼き頃より忍びとしての鍛錬を積んだ者しか会得出来ないはずである。
いや、忍びでも完全に会得出来る者は極めて稀と言って良い。霧隠才蔵すら完全なる脱力の体捌きは会得出来ていない。
だが上級武士として弓馬と槍の鍛錬のみに明け暮れていたはずの真田幸村は佐助が忍びの体捌きを教えると瞬く間に会得してしまった。
そして己が表芸として磨きぬいた槍の技と組み合わせることによって独特の境地に達し、遂には大坂夏の陣で鬼神の如き猛勇を振るい「日の本一の兵」と雷鳴を轟かせる存在になったのである。

「俺と幸村が生きた時代より遥か昔にこれ程の武人が生きていたとはな。そして天上で敵として見えることが出来るとは。くく、何と面白い。最高よな」

そして木村重成である。彼もまた独自の方法で完全なる脱力の体捌きを開眼した。山の巨人という圧倒的な存在を前にした窮地を脱するべく脳裏に見たばかりの猿飛佐助と北畠顕家の体捌きを思い起こし、それを模倣するというやり方である。
やはり彼もまた天賦の武才を持っているのだろう。その上、木村重成は居合術という特殊な剣術を極めている。
その技術と完全なる脱力の体捌きを組み合わせて彼もまた、真田幸村同様独特の境地に達するかも知れない。

「最高の武の境地に達した者がそれぞれの陣営に二人か。こうなってはもはや勝敗の予測がつかぬな。幸村の奴め、狂わんばかりに喜ぶであろうな」

佐助は主君にして友である真田幸村の柔和な笑顔を思い浮かべた。そしてその笑顔の奥に秘められた戦を至上の快楽と見なし、これを貪る為ならば全てを平然と犠牲にし、その人間性を捨てても一向に顧みない純粋なまでの狂気を改めて思い、笑みを浮かべた。



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