第44話  灼熱の血

文字数 2,363文字

真紅の業火と熱風でヨトゥンヘイムの天地を汚しながら思うまま疾走していたムスペルであったが、突如その進撃が止まった。
大地に巨大な震動が走り、地割れが走り、地盤沈下が起こったのである。さらに周囲の山々から大小の岩が転がり落ち、ムスペルの騎兵に襲い掛かった。
だがこの場にいるムスペルの騎手は皆精鋭ぞろいなのだろう、彼らはいずれもその狂暴無比な面相に似合わぬ巧みな馬術で炎の一角獣を操り、大地からの攻撃を躱した。
跳躍して沈んだ大地、割れ目を踊り超え、大岩を避け、あるいは炎の剣を振って小岩を弾く。
ムスペルの騎兵隊は突然の天変地異にも動揺の色は見せず、進軍を続けようという確固たる意志を示す。
だが湿った土が舞いあがって彼らの視界を遮り、地軸の揺れが収まることは無い。

「これはこれは・・・・」

猿飛佐助がまさに猿の様に木につかまりながら感嘆の声を上げた。

「ヨトゥンヘイムの大地と山々が意思を持っているかのようにムスペルの進軍を阻んでおるわ。これが山の巨人族の能力という訳か・・・・」

「流石のムスペルの騎兵もこれ以上の進軍は無理か?」

霧隠才蔵がその透き通るように白い頬をわずかに紅潮させながら言った。

「さて、それはどうかな」

佐助の声に応えるかのようにムスペルは咆哮した。小賢しい山の巨人族の抵抗を嘲笑うかのように、そして彼らを殲滅し、この美しき大地を焦土と化す意志を改めて示す為に。
ムスペルは視界を覆う土埃に怯まず進軍を再会する。彼らの鋭敏な感覚は、山の巨人族の生命の波動を感じ取っているのだろう。
それを目指して真直ぐ駆ければよいのである。炎の一角獣はその強靭な足で雄々しく大地を蹴り、山を駆けのぼる。
だが山の巨人の集落に近づくにつれ、振動は激しさを増し、大小の岩が雨となって容赦なく炎を纏う騎兵隊に襲い掛かる。
脚を折って倒れる一角獣、巨大な岩石をまともに喰らって落ちるムスペルが続出するようになった。
だがムスペルの騎兵隊はそのような脱落者は一向に気にすることなく、進軍の足を止めない。

「ははっ!」

手長猿のように木から木へと飛び移って移動し、大地の震動から逃れていた佐助であったが、大岩で顔面を潰されて地上でのたうつムスペルを見て血と殺戮の衝動につき動かれたらしい。手甲鉤を装着してムスペルの元に降り立った。

「醜い・・・・。だが見事な面貌よ。これが全てを焼き尽くし、殺し尽くす為に生まれた種族か。何やら無性に愛おしいわ・・・・」

大岩で顔面が穿たれ、眼球をこぼしながらなおも立ち上がろうとするムスペルの体を踏みつつ、佐助はうっとりと呟く。
すると突然ムスペルが怒号し、跳ね起きた。佐助は吹き飛ばされたが、そうなることを予測していたように華麗に宙で体勢を整え、音も無く着地した。
そしてムスペルは生涯最後の殺戮を行うべく炎の剣を握り、闇の瘴気を放つ小さき生命を両断すべく振り下ろした。
だが肉を、骨を断つ感触が伝わることは無く、生命が炎熱で焼かれる音が響いてこない。一瞬困惑したムスペルの騎兵の首筋に冷たい鉄の塊が撃ち込まれた。
その攻撃はまさに神速にして恐ろしい力が込めらていた。このような小さい種族のどこにこの様な力が・・・・。
そう思ったのだろう。岩で潰されて二目と見られぬ程醜悪さを増したムスペルの顔貌が驚愕に凍り付いたまま、絶命した。

「かー!臭い臭い、何という生臭い血じゃ。それに熱湯のように熱い血らしいな。俺たちはもはや痛みは感じぬが、軽く火傷をしておるわ」

ムスペルの灼熱の返り血を浴びた佐助がその鼻孔を刺激する異様な生臭さに辟易しながら言った。そして軽く火傷を負ったものの、瞬時に傷が癒えたことに今さらながら驚いた。

「凄い生臭い血ですね・・・・。熱さはともかく、こんな臭くて濁った返り血を浴びるなんて私には耐えられない。気を付けなければ」

霧隠才蔵が佐助と距離を置きながらその妖しいまでに美しい顔をしかめた。

「ふん、お上品な事よの。だが手裏剣なんぞを幾ら喰らわせてもこのムスペルの息の根を止めることは出来んぞ。嫌でも直接刃を振るって、生臭い血の臭いを嗅がねばならんだろうよ」

「全く、不愉快な・・・・」

才蔵は忌々し気に呟いた。ムスペルと対峙した場合、どう屠るかではなく、どのようにして返り血を避けるかについて思案しているのだろう。

「む、大地の揺れが弱まりましたね・・・・」

才蔵と佐助は忍びの体術によって震動に体勢を崩すことなく大地に立つことが出来た。だがその体術を用いる必要がなくなる程震動が収まりつつあった。

「ムスペル共め、ついに山の巨人族の集落にたどり着いたな」

佐助が会心の笑みを浮かべた。

「ムスペルの一方的な殺戮が始まったらしいな。震動が弱くなったのは最早山の巨人に大地の力を振るう余力が無くなったからであろう」

「山の巨人であれば足弱とは言え、他の種族に比べれば力は上でしょう。しかし、あのムスペルの騎兵が相手では、どうしようもにないでしょうね・・・・」

才蔵の妖しいまでに白く端麗な顔貌にかすかな憂いと悲哀の色が浮かんだ。忍びとして鋼の精神を持ち、暗黒の亡者として蘇った才蔵であったが、圧倒的強者が弱者を蹂躙するのを厭い、悲しむ人間的な感情はまだ残されていた。
そんな才蔵を露骨に嘲るような笑みを佐助は浮かべた。

「震動が弱くなったから、清海らもすぐに追いついて来るだろう。我ら真田十勇士揃って山の巨人族の抵抗を見届けねばならぬ。それが死者の軍勢の兵として転生を遂げた我らの使命ぞ」

「心にも無いことを・・・・」

流石の才蔵も怒りを発して吐き捨てるように言った。佐助が死者の軍勢の兵としての使命など大して重きを置かず、ただ内心では虐殺を快しとはしない、目を背けたい者を許さずに見せつけたいという下劣な悪趣味から言っているのが明らかだったからである。







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