第30話  筧十蔵

文字数 3,465文字

ラクシュミーが持つ日本刀に似た細身の曲刀が風を切り裂いて筧十蔵の急所を狙い、振り下ろされる。
十蔵は銃剣の刃で防ぎ、弾き返す。その鋭角的な顔は仮面のように変化に乏しいが、内心は大いに驚嘆していただろう。
ラクシュミーの剣技はインドの大地に吹き荒れる熱風のように苛烈で迅速だが、重さも充分に備わっている。
豊満な体つきとは言え、所詮は女性の細腕で一体どうすればこのような威力が込められるのか。腕力ではない。インドの伝統的な舞踊を思わせる独特な体捌きによって五体全ての力が込められて発揮されるのだろう。

(隙が無いのう・・・・)

一見ラクシュミーが攻勢に出て筧十蔵は防戦一方に陥っているようだが、内心彼女は焦りが生じていた。
筧十蔵の銃剣術を用いた防御の技はまさに鉄壁の守りで寸毫も隙が無く、ラクシュミーが持てる剣技の全てを尽くしても未だ崩すことができない。
十蔵は防御に徹しながらその瞳に不気味な光を灯してラクシュミーを凝視している。
その光は亡者の女王ヘルによって与えられた暗黒の力だけではなく、何かまた別の怪物的な力が宿っているようにラクシュミーは感じられた。
その瞳は機械の様に正確無比に敵手の技を分析するだけではなく、相手の心をかき乱す魔眼の効果があるのではないだろうか。
端麗な容姿と高貴な振る舞いに似ず、気性が激しいラクシュミーはいよいよ憤りを激しくし、その剣技と体捌きに猛烈さが加わる。
その憤怒を露わにする姿は愛と豊穣を司るラクシュミー神というより、血と殺戮を振りまく戦いの女神カーリーを思わせた。

「!」

だが、怒りと殺意で我を忘れそうになったラクシュミーが一瞬にして冷静さを取り戻した。
これまで防御に徹していた筧十蔵が攻勢に出たのである。
その刺突の速さはまさに弾丸に等しく、また体重が乗っている。十蔵もまた、腕力で突いているのではない。へその下三寸にある丹田の力を用いているのである。

「ぐ・・・・」

ラクシュミーは己の腕力と体重では十蔵の突きを受けると容易く弾き飛ばされることを悟り、身を捻って間一髪これを躱した。
逃さじと十蔵は突きを連続で見舞う。さらに斬撃、銃床を用いた打撃も組み合わされ、その技はまさに千変万化であった。

(負けてなるものか!ジャーンシー藩王国伝統の剣技を極めた誇りにかけて、この男を倒す!)

胡蝶のように軽やかに身を翻して十蔵の銃剣の刃から逃れていたラクシュミーが再び攻撃に転ずる。
その体捌きと剣技に秘められた激しさと優美さはいよいよ増し、高い段階へと昇華し、渾然一体となっていった。

(何と・・・・)

鉄面皮の十蔵の顔面の筋肉がわずかに驚愕に強張る。その全てを見通し分析する眼力によってラクシュミーの武技は完全に見切ったはずなのに、ここに来てさらなる進化を遂げようとは。
ラクシュミーの殺戮の女神の荒々しさと豊穣の女神の優美さの二面性を兼ね備えた剣技と筧十蔵の機械的な正確無比さの中に放たれた弾丸の如き勢いを秘めた銃剣術の応酬は百合を遥かに超えた。

(やはり、妾ではこの男を倒せぬか・・・・)

己は戦いの中で着実に進化を遂げている。だがそれでもほんのわずか、紙一重の差で筧十蔵の方が上手であることをラクシュミー自身卓越した戦士であるからこそ、感じ取った。

(ならば短銃を用いるか?)

ラクシュミーは懐に隠し持った護身用の銃身の短い銃を使うか迷った。
だが、狙撃の腕を競って敗北を認め、それならばと剣技を競っている中、隠し持った銃を用いるなど、あまりに卑怯ではないか。

(だがこの戦いには宇宙の存亡がかかっておるのじゃ)

かつて祖国を解放する為の戦いに全てを賭け、敗れた。愛する祖国と民がその結果どうなったかは、聞かずとも想像がつく。
無慈悲な収奪と差別にさらされ、苦難の日々を送っているに違いない。それを思えば心が切り裂かれるように辛く、涙が止まらなくなる。
だが、今こうして天上の星々で繰り広げられる、デーヴァ神族とアスラ神族の戦いを思わせる魔及び巨人族との戦いに敗れたら、一体どうなるか。
あの全てを焼き尽くす為に生まれた凶悪無比なムスペルか、邪悪な神ロキ率いるおぞましい死者の軍勢が銀河を支配することになるのである。
そしていずれはミッドガルドと呼ばれる地球へ、ジャーンシー藩王国にも彼らは飛来するだろう。
そうなれば大英帝国の支配どころではない。彼らはそこに住まう生きとし生ける者を根絶やしにし、国土を文字通り草木も生えぬ焦土に変えてしまうに違いない。

(それだけはさせぬ!)

例え卑怯のそしりを受けようと、戦士の誇りが汚れようと勝たねばならない。覚悟は決まった。

(それでもこちらが不利なのは変わらぬがな・・・・)

ラクシュミーが発砲する構えを取れば、筧十蔵もまた鋭敏に察知し、機械の様に正確に反応するであろう。
エインフェリアとして超人的な肉体を得たとは言え、こちらは生身の肉体。急所を撃たれればそれで終わりだが、死者は頭部以外は損傷を受けてもものともしないという。
この差は余りにも大きい。だがラクシュミーには最早手立てが無いのである。賭けに出るしかない。
ラクシュミーは十蔵に真っ向から斬りかかった。十蔵は銃剣でがっしと受け、渾身の力を鋼のような腕に込めて弾き返す。
ラクシュミーはその力を利用して後方に大きく身を翻し間合いを取った。そして神速と称すべく速さで剣を左手に持ち替え、右手で懐に隠し持っていた短銃を取り出し、構えた。

「!」

ラクシュミーを仕留めるべく突きを見舞おうと駆け出した十蔵の顔貌が驚愕と不意を突かれた無念で愕然となる。
だがその表情は一瞬、いや一瞬ですらなかっただろう。すぐに仮面のように表情が消え、ラクシュミーを上回る速さで銃口を向け、引き金に指をかけた。
銃声が同時に鳴り響いた。ラクシュミーは苦悶の表情を浮かべ、がっくりと膝をついた。
それからわずかに遅れて十蔵は天を仰いだ後、あおむけに倒れた。その額は銃弾に穿たれていた。

「危ないところであった・・・・。まさに紙一重じゃな・・・・」

ラクシュミーは撃たれた胸部に手を置きながら呟いた。傷は心臓をほんのわずかにだが外れていた。鮮血が溢れ出るが手当をしている余裕は無い。
ラクシュミーは引きずる足で十蔵に歩み寄った。

「・・・・」

筧十蔵はまだ滅んではいなかった。隠匿携帯用の拳銃による弾丸は口径が小さく威力が劣る為、脳を完全に破壊することが出来なかったのである。
だが弾丸に刻まれたルーン文字の効果によって脳の再生の速度がぐっと下がり、戦闘不能なのは間違いない。

「見事・・・・」

そのような状態にも関わらず、筧十蔵は敵手を称えた。

「見事なものか」

ラクシュミーは勝利を誇る様子は微塵も無く、かえって自身が敗北したかのように暗澹たる表情で答えた。

「剣技でも狙撃でもそなたの方が完全に上じゃ。妾がこうして立っていられるのは僥倖に過ぎぬ・・・・」

「・・・・」

「その銃先に付けた剣の重みでわずかに狙いがそれたのであろう。それがなければ妾は心臓を撃ち抜かれて死んでおった。実質そなたの勝ちじゃ」

「剣の重みを失念したのは俺の不覚。そして生身の人間であれば昏倒している。ヘル様の力によって蘇った亡者だからこうして舌を動かしている。まあ、引き分けと言う事にしておこうか」

「不意打ちをしかけながら引き分けに終わるか。全く我ながら情けない・・・・」

「・・・・」

十蔵はわずかに苦笑を浮かべたようである。だが唇を噛みながら俯くラクシュミーは鉄面皮の十蔵が浮かべた笑みを見ることが出来なかった。

「だが済まぬ・・・・。妾はそなたに止めを刺さねばならぬ。恥知らずとのそしりは甘んじて受けよう。邪神の配下は断じて見逃す訳にはいかぬのじゃ。筧十蔵という名であったな。許せ・・・・」

ラクシュミーは十蔵のすぐ側まで近づいた。この威力の劣る銃で十蔵の脳を完全に破壊するにはあと三発は撃ち込まねばならないだろう。
右手で銃口を十蔵の頭部に向けつつ、左手で懐の弾丸を探る。その時、大地に倒れ指一本動かす力も無いと思われた十蔵の体がわずかに揺れた。
とっさに緊張し身構えたラクシュミーであったが、十蔵自身が驚いた表情を浮かべている。どうやら動いたのは彼自身の意志では無いらしい。
遠くからやって来た巨大でとてつもない重量を持った生物の群れが起こす振動がここまで伝わってきたからであった。
そしてその振動は前触れに過ぎず、やがて大地が鳴動し、足元を大きく揺るがした。

「地震じゃと・・・・?」

ラクシュミーは立っていることが出来ず、大地に両手と膝をついた。


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