第26話  海野六郎

文字数 3,933文字

「喰らえ!」

フロックの神気が烈火となって槍の穂先に宿り、海野六郎の顔面に突き出される。
六郎も己の闇の瘴気を槍の穂先に込め、迎え撃った。凄まじい刃音が鳴り響き、紅と漆黒の火花が鮮やかに空中に花開いた。

「むう!」

かつて大阪の陣で徳川の武士と戦った時にすら感じたことの無い手ごたえを得て、六郎は感嘆と喜悦をその彫りの深い面に表す。
その六郎の表情に更なる怒りを掻き立てられ、フロックはいよいよ激しく槍を振るうが、六郎の円熟した守りの技を突き崩すことは出来なかった。

「威力と言い、速さと言い、かなりのものだが・・・・。まだまだ技が荒いな」

フロックの技を見切ったのか、六郎は余裕たっぷりに言った。まるで弟子に稽古をつけている師匠のような口ぶりである。
フロックはさらに激高したが、それは一瞬のことで、すぐに平静な表情に戻り、攻撃を止めて間合いを取った。

「どうした、かかってこないのか?」

「どうもあんたとは、相性が悪いね」

フロックは槍を引き、己の鮮やかな燃えるような赤毛を撫でながら忌々し気に言った。

「同じ得物でありながら、腕はあんたの方が一枚上手だ。このままやり合っても、あんたは倒せない」

「ふむ。若い娘で、その上直情的な気性だが、意外と冷静に見ているではないか」

六郎の口ぶりはあくまで指導者気取りである。だがフロックはもう激することはなかった。

「ふん・・・・」

「ではどうする?降伏する気か?まあ、武士ならばともかく、女子の身故、許してやってもよいかな・・・・」

「降伏?笑わせるな」

フロックの活力に燃えたつ緑の目が再び炯炯たる光を放った。戦いを放棄する意志など微塵も無いのは明らかであった。

「この技を用いるのは相手が複数の場合のみ。一対一の決闘では用いないと心に決めていたんだけどね。だけど、そうも言っていられない。見せてやるよ、戦乙女の力を・・・・」

フロックの神気が槍の穂先から柄へと隅々まで行きわたる。そして赤い閃光を放った。次の瞬間、フロックの朱色の柄の短槍は十本に増えていた。

「!」

海野六郎の重厚沈毅な顔貌が一瞬、驚愕に凍り付く。だがすぐに冷静さを取り戻し、フロックの十本の槍を凝視した。

(幻覚ではない。十本とも全て、本物の槍か・・・・?)

フロックは己が持つ槍の穂先をぴたりと海野六郎に向けた。他の空中の九本の槍も見えざる手に握られているかのように穂先を正確に六郎に向ける。
そのはっきりと感じられる質量、威圧感は紛れも無く本物の槍であった。

「さあ、凌げるものなら、凌いでみな!」

フロックは怒号すると同時に駆け、槍を突き出した。九本の槍も一瞬も遅滞することなく、同時に突き出される。
流石に我が身を襲う十本の槍を同時に防ぐ手立ては無く、六郎は素早く身を翻して槍の間合いから逃れた。

「逃すか!」

フロックは執拗に獲物をつけ狙う猫科動物のように跳躍し、六郎に刺突を浴びせる。
六郎は渾身の力を込めて槍を振るい、払いのけたが、幾本かの槍が体をかすめた。

「ちいっ!」

六郎が鋭い舌打ちを放つ。当世具足を身に纏う六郎はかすり傷で済んだ。またこの程度の傷をいくら受けようが死者たる身では些末な事だが、この上ない屈辱であることには違いない。

(この海野六郎が、このような小娘相手に・・・・。致し方ない、私も使うか・・・・)

海野家は代々真田家の家臣の家柄で、父も叔父も侍大将を務めた程の名門である。
六郎自身も幸村直属の侍大将であり、武門に生まれた身に強い誇りを持ち、忍術など下郎の身分の者が使う術だと内心蔑んでいた。
だが主君幸村の厳命によりやむを得ず猿飛佐助と霧隠才蔵に忍術を教え込まれたが、一度も使うことは無かった。絶望的な戦であった大坂の陣においてもである。

(だが、私は所詮一度死に、亡者として蘇った身。武門の誇りなど、捨てて顧みても仕方がない・・・・)

自嘲の笑みを浮かべる六郎の体に、ヨトゥンヘイムの風に吹かれて落ち葉が集まって来た。やがてそれは数十枚、いや数百枚の数となって六郎の全身を隙間なく覆った。

「何だ・・・・?」

異変を察したフロックが攻撃の手を止め、防御の姿勢を取った。
六郎の身を包んだ紅葉がやがてまた風に吹かれて散って行った。だがそこに六郎の姿は無かった。

「消えた・・・・?まさか、逃げたのか、あいつ・・・・!」

いや、違う。確かに海野六郎の気配は完全に消え去ったが、まだこの場に存在している。そして次なる攻撃に転じようとしている。
戦乙女の中にあって最も武勇に長けたフロックの戦士としての直感がそう告げていた。
いつの間にか、周囲のヨトゥンヘイムの山々から紅葉が集まっていた。その数はとても数えきれない程である。
まるで厳寒の雪のように降り注ぎ、見る見るうちに大地に折り重なって行った。

「・・・・」

フロックは十本の槍を油断なく構える。彼女の生命力に満ちた初夏の若葉を思わせる緑の瞳は捉えた。ヨトゥンヘイムの晩秋に染められた無数の紅葉が集まり、一匹の大蛇の姿を取り始めたのを。
一体何枚の紅葉が集まったのだろうか。その大きさは十メートルにも達するだろう。

「これぞ忍法木の葉隠れの術、蛇咬の舞い。さあ、凌いで見せよ、戦乙女」

六郎の声が鳴り響くと同時に、木の葉の大蛇は空中に躍り上がり、フロックに牙を突き立てんと襲い掛かった。

「!」

落ち葉が形を成した大蛇の噛みつきに殺傷力などあるはずが無いと考えるのが道理だろう。
だがフロックは身を翻して大蛇の牙から逃れた。

(奴はあの落ち葉の大蛇に身を潜めている。つまり、噛まれるということは奴の槍の一撃を喰らうということだ・・・・!)

両足に神気を込めて跳躍し、大蛇の頭上に躍り出たフロックは十本の槍を大蛇の頭部に突き立てた。
そこに海野六郎が潜んでいると踏んだのである。
だがまるで手ごたえが無く、何枚かの落ち葉をそぎ落としただけの結果に終わった。
すると、大蛇の体から離れた落ち葉が凄まじい速度で飛び、フロックの顔面を襲った。
とっさにフロックは両腕で顔面を守る。落ち葉の弾丸の威力はさほどでもないが、もし目に当たれば、眼球が切り裂かれていたかも知れない。
一瞬動きが止まったフロックの隙を逃さず、紅の大蛇は身をくねらせ、巨大な尾をフロックに叩きつけた。
おそらく尾の部分に何万枚もの落ち葉が集中していたのだろう、驚くほどの重量と厚みを持ち、巨大な鞭の一撃となって華奢なフロックを吹き飛ばした。
大地に叩きつけられたフロックは苦悶の表情を浮かべたが、屈せず反撃に転ずる。

「調子に乗るな!所詮落ち葉だ、焼き尽くしてやる」

フロックは武芸を好み、ルーン魔術の習得に熱心ではなかったが、それでもワルキューレとして基本的な術は使える。
十本の槍の穂先に炎を造り出し、渦へと変え一気に大蛇に浴びせた。
炎は一瞬にして燃え上がり、落ち葉の大蛇は炎の大蛇へと身を代えた。すぐにその中から火だるまとなった海野六郎が飛び出して身を焼かれる苦痛にもだえ苦しむことになるだろう。
フロックは期待を込めてそう予想した。だが大蛇は燃え尽き、灰となって飛散したが、海野六郎の苦痛の声が響くことも、焼きただれた姿が現れることもなかった。
それどころか再び紅葉が舞いあがって集まり、大蛇の姿を取り始めた。

「ぐ・・・・」

「ははは、無駄だ、無駄。その程度では我が術を破ることは出来ぬぞ」

失意に打ちのめされたフロックにさらなる追い打ちをかけるように海野六郎の勝ち誇った声が響いた。

「此度の戦、完全に私に運が向いているようだ。山々と木々に囲まれ、しかも今まさに秋を迎えたこのヨトゥンヘイムという合戦場では我が術は最大の威力を発揮することが出来る。今この場に限れば、我は無敵であろう」

「・・・・」

「フロックと言ったな。女子ながら、見事な腕前であった。お前には戦士として何ら欠けるところは無いし、一点の過ちも無かった。ただ、この場この時に我と対峙しなければならなかったのが不運であったのだ」

フロックの戦いに特化した理性は海野六郎の言葉が正しいことを認めた。まさにその通りである。
己の技量、個性ではいかなる手を尽くしても海野六郎の木の葉隠れの術、蛇咬の舞いを破ることは出来ない。
このヨトゥンヘイム以外の場所で戦っていたら、十本の槍を駆使して勝っていたのは八割方自分だっただろう。
だが、戦いとは単に個人の力量だけの問題ではない。天の時、地の利によって大きく左右されるのが常である。
戦を至上の使命とする戦乙女の中にあって最も戦いを愛し、戦いを知り尽くそうと全てを捧げて来たフロックは当然そのことを弁えていた。

(私の負けだ・・・・)

今回は海野六郎が天の時、地の利を得ていた。ただそれだけの事である。そして戦いとはそれが全てなのである。
フロックは受け入れた。ならば、見苦しい真似はするべきではない。

(全く持って、見事・・・・)

フロックの表情からその心中を正確に察した六郎は感嘆と同時に哀れみを覚えた。
思えば、敵手たる戦乙女は我が娘のような年頃のうら若き乙女である。
殺すのは余りに不憫というしかない。
だが、亡者である六郎は敵を殺し尽くせというヘルの絶対的な意志に逆らうことは出来ない。
それに、あの勇猛で潔い戦乙女にとって敵に情けをかけられるのは、死に勝る屈辱に違いないはずである。
ならば、何もためらうことは無い。速やかに命を絶ってやろう。
そう決心した六郎は紅葉の大蛇を操り、牙を閃かせた。
するとそこに、ヨトゥンヘイムの遠き山から大地を揺るがす巨大な衝撃が響いた。
強烈な力が大地を揺るがし、鳴動している。

「何だ・・・・?」

死をもたらさんとする六郎と、死を受け入れる覚悟を決めたフロックもこの時ばかりは呆然となって遠き山の方角に視線を向けた。





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