第23話  霧隠才蔵

文字数 3,343文字

「・・・・」

霧隠才蔵の夢幻的なまでに美しい顔貌が血の気を失い、蒼白となっていた。
七人の分身が消え、その右腕が切り落とされている。
だがその表情はまるで苦痛を感じていないかのように微動だにしない。
やはりそれは死者故なのか、あるいは忍びとして血のにじむような鍛錬を積んだ賜物なのか。

「我が分身の術を、こうもあっさりと破るとは・・・・」

「ふん」

才蔵の感嘆の声に顕家は刀を振るって血を飛ばしながら冷然と鼻で笑って応じた。

「我が術は光の力を得たエインフェリアにも決して破れぬと確信していたのですが・・・・」

「他の者共とこの北畠顕家を一緒にするな」

傲岸不遜に言ってのける顕家の瞳には他のエインフェリア達と確かに違う、光の神気とはまた別の絢爛たる黄金の光が宿っていることを才蔵はこの時気づいた。

「龍の眼に幻は通じぬ」

闇の世界を生き抜き、そして暗黒神の力で蘇った才蔵の眼は顕家の魂の形を捉えた。
天空に舞う黄金の龍。まばゆいばかりに耀く金色の鱗を持ち、地上の卑小な生き物を傲然と見下ろす気高き王者である龍であった。
北畠顕家は馬上では黄金の龍が飾られた鬼面を被って舞うかのように戦うという。
そしてその神気と舞が遂にはどこか別次元から黄金の龍の魂を呼び寄せ、顕家の魂と一体になったということであろうか。

「ふふ・・・・ははは・・・・成程・・・・」

才蔵は切り落とされた右腕を拾い、傷口に当てた。瞬く間に元通りに治ったようである。

「ふむ。それがおぞましい下等な亡者共がエインフェリアに勝る唯一の利点であるな。貴様ら亡者共を滅ぼすには神気を込めて首を切り落とすか、脳を破壊するしかないと聞いた」

「その通りでございます。確かに技量では貴方様が上でしょう。しかし我ら死者と違ってエインフェリアである貴方様は傷を受ければ痛みを感じ、血を流せば力を失うのでしょう?有利なのはこの才蔵・・・・」

「ふん、どうかな。痛みを感じぬは利点のように見えて、そうでないかもしれぬぞ。痛みとは重要な感覚よ。それを全く感じぬということは戦いにおける勘を鈍らすことになるだろう。それが分からぬ程、貴様がうつけとは思わぬが」

「・・・・」

「まあ、それは別にどうでもよい。それにしても貴様・・・・」

顕家の大きな瞳に宿る神気が黄金の光を帯びて才蔵の五体を見透かした。

「男であると同時に女でもあるのか。聞いたことがある。半陰陽者というやつか」

「その通り。やはり貴方様には見破られてしまいますか」

才蔵は自身の肉体の秘密を看破されても動揺することなく、むしろ自慢気に、誇るように微笑した。

「私はその気になれば、男にも女にもなれるのですよ。偵察や侵入などの忍びの任務を果たすのにこれ程便利な体質はありますまい。私は忍びとして天賦の才を得て生まれたと自負しております」

「確かに、下賤な務めを行うには便利かも知れぬな。だが戦いにおいては女の非力さが欠点となるだろう」

「そんなことはありませぬよ」

才蔵は艶やかに笑った。性を超越した不思議な魅力を持つ笑みであった。

「おかげで我が武技は男の雄々しさと、女の優雅さを兼ね備えた唯一無二のものとなりました」

「この顕家には通用せぬがな」

もはや問答はこれまでと顕家は太刀を振りかざした。

「結論を出すのはまだ早いでしょう」

才蔵は手裏剣を放った。その形状は佐助の十字型と違い、棒状だった。
顕家は眉一つ動かさずに剣を振るい、残らず叩き落す。だが才蔵はその一瞬の隙を見逃さず、後方に跳躍し、間合いを取った。
そしてまた独特の動作で分身を増やし、八人となった。

(無駄なことを・・・・)

顕家は冷笑し、再びその瞳に神気と黄金の龍の息吹を集中させた。
だが八人の才蔵は顕家に斬りかかってその間合いに入ることは無く、一定の距離を保ち続けた。
そして一斉に棒手裏剣を放った。漆黒の流星が四方八方から顕家を襲う。恐らくその数は五十を超えているだろう。
だがその多くは幻であり、実際の手裏剣は七本ほどである。顕家は本物だけを正確に捉えて弾き返した。
すると八人の才蔵の内、二人が二刀を振りかざして斬りかかってきた。
一瞬、流石に体が硬直した顕家であったが、すぐに二人とも実体ではないと看破した。
幻である四本の小太刀が顕家の胴を通過する。
また虚実の手裏剣が飛来してきたので、顕家は剣を振るわずに軽やかに跳躍して躱した。
空中にある顕家を見逃さず、今度は三人の才蔵が襲い掛かって来た。どうせ幻であろうと高をくくったが、とっさに勘が働き、その内一人は間違いなく実物であると気が付いた。
二人の斬撃には構わず、頸部を狙った一撃のみ防いだ。やはり確かな衝撃を感じ、刃音が鳴り響いた。
笑みを浮かべた才蔵の実体に顕家は激高し、その小癪な顔面をえぐろうと突きの構えを取る。
すると地上から三十本程の手裏剣が飛んでくるのを視認した。いずれも幻であるのは分かるのだが、どうしても防衛本能が働いて体が強張るのは顕家といえど、逃れることは出来なかった。
そのほんの刹那の瞬間を実体である才蔵は見逃さず、飛燕のように身を翻して顕家の刃から逃れた。
才蔵の狙いは明らかであった。全ての分身と共に同時に斬りかかれば、顕家に看破されて本体が反撃を喰らう。
そこで虚実織り交ぜて時間差をつけて攻撃すれば、顕家の動揺を誘い、隙を見いだせると踏んだのだろう。

(小癪な真似を・・・・)

顕家はその繊弱な顔貌に怒気を浮かべ、鋭く舌打ちした。だが、才蔵の判断が理にかなっていることを認めざるを得なかった。
双眸に神気と龍の気を集中させながら戦うのは著しく体力と精神力を消耗する。繊細な外見に似ず強靭な体力と精神力を持つ顕家と言えど、エインフェリアになって日が浅い為、数分も持たないだろう。

(だが、それはこの下郎も同じはず・・・・)

この分身の術は多大な力を消費するはずである。暗黒の力で蘇った亡者と言えど、いつまでも分身と同時に激しく動けるはずがない。
己の力が尽きるのが先か、敵の力が尽きるのが先か。

(何たる無様よ。この北畠顕家が防戦一方になり、敵の力が尽きるのを待つなどと・・・・)

怒りと屈辱が顕家の全身を満たした。だが、冷静さを欠けば命取りになるだろう。

(怒るな・・・・。龍たる顕家がこの程度の羽虫如きにむきになってどうする・・・・。奴が小賢しく羽を動かすのを止め、地上に落ちてからゆっくりと踏みつぶせばそれでよいのだ・・・・)

瞳と四肢だけではなく、気構えも龍らしく雄大になった顕家は小賢しい敵に対するいらだちを抑え込んだ。
一方、才蔵の唯一無二の性を超越した至高の芸術品と賞すべき顔貌に焦りと疲労が色濃くなっていた。
北畠顕家はその繊細な外見に似合わず傲岸にして気性の激しい人物だと聞いていた。故にその苛立ちを誘い、隙を見出すことは比較的容易だと踏んでいたのである。
だが顕家はその少女のような顔貌を固く引き締め、いかなる感情も表さない。
そして神に捧げる舞いのように優雅にして力強い体捌き、剣捌きで才蔵の虚実入り混じる攻撃を完璧に防いでいる。

(ぐ・・・・隙が見出せぬ。北畠顕家とは、これ程の武人なのか・・・・)

今の己の技量では全てを尽くしてもこの南北朝時代の伝説的英雄を討ち果たすことは不可能である。
その現実を思い知らされて忍びとして極限にまで鍛え抜かれたはずの才蔵の意志が遂に折れた。
分身が消え、実像ただ一人となった才蔵はその場で膝を折った。

「武士よりも劣る下賤の分際で、よくも手こずらせてくれたな」

顕家がゆっくりと近づきながら言った。その顔貌には流石に疲労が色濃くにじみ出ていた。
そして敵手に対する怒りだけではなく、優れた技量に対する感嘆の念もたしかにあった。無論、顕家は決して口にはしないが。

「本来は貴様のような下郎には同じ下郎の身分の者に首を落とさせるべきなのだが・・・・。仕方ない、この顕家が直々に手を下してやろう。身に過ぎた名誉を抱いて、土に帰るがよい」

「・・・・」

顕家の蔑みと賞賛が入り混じった言葉を聞き、才蔵の一度は折られた意志が再び起き上がろうとした。だが瘴気を使い果たした心身の疲労は如何ともしがたく、顕家の刃から逃れることは最早出来そうにない。
だが、その時ヨトゥンヘイムの大地を揺るがす巨大な衝撃が響いた。



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