歴史と教義

文字数 4,471文字

神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。

(旧約聖書『詩編』139編17節)

じゃあサイッコラさんからイエス・キリストについて話してください。
 愛花は躊躇いがちに聡美を一瞥し、聡美は覚悟を決めたような表情で頷いて見せた。

 一呼吸置き、話し始める愛花。

イエス様について話すなら、アダムの話もおさらいした方がいいかな。アダムが神に背いたことにより、人間に原罪が入り込み、人間は罪を犯さずにはいられない存在となったし、その後人間は神様に背き続けた。背いては悔い改めのくり返し。前に水野君に話したね。
この前話してくれたね。人間は生まれつき悪いことをしてしまう性質を持ってるから、どう頑張っても神に背いてしまうし、どうあがいても絶望。みたいな。
神様は正義の方だから悪を裁かずにはいれない。だから、神様の基準では人類全員が地獄行きになってしまう。
全員が地獄行き……。
私たち人間は皆自己中心的な存在。神の目から見て完璧な人なんていない。
 聡美が補足を入れる。
神様は正義の方だけど、その一方で、愛の方でもあるから、人間を救わずにはいられない。そこで神様は、独り子のイエス様を十字架につけて、全人類の代わりに罰を与えることで、全ての人を救うことにしたの。これが十字架による贖(あがな)い。
イエス・キリストを処刑することで、全人類の罪をチャラにするってことだね。

(理屈は分からんでもないけど、感覚としては分かりにくいなあ?)

人間を救わずにはいられない……。
 幸音は心に刻み付けるように、愛花の言葉を復唱する。

イエス様は、聖霊様によって身籠ったマリアから人間として生まれた。この前話した通り、神の子であるイエス様は神様、それも完全に神様で完全に人間なの。ギリシア神話に出てくるような半神半人の英雄とは違う。イエス様は弱い人間の肉体を持って、神様でありながら人間として生きられた。そして、地上で神様の教えを説いて、人々の病を癒した。けれど、それを憎んだ当時のユダヤ教の権力者の陰謀で、ローマ帝国に処刑されてしまった。でもそれは神様の計画で、イエス様が十字架で殺されることによって、全人類の罪が贖われ、イエス様を信じるだけで誰でも救われるようになった。だからイエス様は救世主。それで、本来処刑道具だった十字架が、救いの象徴になったの。

前に、旧約聖書は人間が神に逆らって悔い改めてのくり返しって聞いたけど、新約聖書になると、人間が神の子を殺しちゃうんだね。
イエス様が捕まった時には、弟子が全員逃げちゃったんだよ。
人々を癒して回ったのに、最後が弟子にも逃げられて殺されるって、救いのない人生だなあ。しかも殺されるために生まれたって……。

(最近の上げて落とす系アニメも真っ青な鬱展開だ。)

あ、イエス様は殺されて終わりじゃなくて、3日目に復活して、その後天に昇られたんだよ。それで、世界が終わる時にもう一回地上に戻ってくるの。

(え、じゃあイエス・キリストが地上に戻ってきたら、世界の終わりっていうことじゃん。神話生物的な何かを感じる……。宇宙を支配する異次元の存在が自分の”子”を地上に送り込んだが、人類はそれを殺した。しかし”子”は3日目に復活し宇宙に還った。”子”が地球に再び来る時は人類は滅亡する時!?しかもその異次元的存在を崇める施設が世界各地に点在する……。恐怖だ!これは恐怖だ!)
 陽太は宇宙的恐怖の一端を垣間見、精神が不安定になった。実際には、陽太が脳内でおどろしいイメージをして、ふざけているだけであるが……。
イエス様について私から簡単に話すと、こんな感じかなー。
(なんかキリスト教をSFホラー風に描写したら売れそうだな……。)
私が行ってた教会でも、イエス様については同じことを教わったよ。
そうなんだ。じゃあ、この考えはキリスト教では広く共有されてるってことかな。
”教義”としては、そんな感じね。
じゃあ次は、友岡さんがイエス・キリストについて話してください。

(この調子だと、友岡さんも大体同じこと言いそうだな。)

私の場合は、イエスはユダヤ教の宗教家の1人だったと思っている。
 愛花の眉がピクリと動く。イエスを『宗教家の1人』と形容したことに、引っ掛かりを感じたようだ。
当時ユダヤの人々は、自分たちが神様に背いた罰としてユダヤ人の国が滅び、外国人に支配されるようになったと考えた。それで、当時のユダヤの人々は自分たちが神から与えられた律法を守ることで、神に立ち返ろうとした。しかしその中で、本来人間が人間らしく生きるための宗教的な教えである律法が、人々の生活を雁字搦めにするようになった。さらに、律法を守れない人を差別するという事態にまでなってしまった。
 今度は、愛花はコクリと頷く。この部分は概ね同意できるらしい。
ちなみに、律法を守るっていう人間側の努力によって救われようとする考えを、律法主義って言うよ。律法主義になると、律法を守るっていう行動が目的化して、信仰生活が形骸化して神様の愛を忘れちゃったり、律法を守れてない人を責めたりっていうことになっちゃったりするの。あとは、自分は律法を守っているから偉いんだ~って勘違いしちゃったり。
 今度は愛花が補足する。
さらに酷いのは、病気を持った人は、その人の罪のせいだと考えられるようになったこと。当時は、神に従う人は栄え、神に逆らう人は不幸になると信じられていたから、病気はその人の背きのせいだと考えられるようになった。
(宗教的な戒律を押し付けたり、不幸な人を天罰だと言って責めたり、僕の”宗教”に対するイメージってまさにそんな感じだなあ。人間は古代からそういうことを繰り返してきたのか。)
そんな中、イエスは神の愛を説き、社会の中で疎外されている人々に寄り添った。イエスの宗教改革は、当時の律法主義から人々を自由にするものだったから、いろんな人々がイエスのもとに集まった。
確かに、社会の中で疎外されてる時に誰かに手を差し伸べられたら、その人について行きたくなるだろうね。
イエスが人々に支持される中で、人々はイエスにメシアとしての役割を期待するようになった。メシアっていうのは、ユダヤ人を率いるために神に選ばれるリーダーのこと。当時の人々は、イエスがメシアとしてローマ帝国を倒し、ユダヤ人の国を復興してくれると期待した。でもユダヤ教の権力者はイエスを危険視するようになった。イエスは捕まり、イエスがメシアなんじゃないかと期待していた人々も離れていき、弟子は怖くなって逃げだした。イエスはローマ帝国に処刑された。十字架刑っていうのは、反逆者とか重罪人にしか課されない、一番苦しい刑。その十字架刑で、イエスは処刑された。
(自分達が望んだイメージに合わないから、皆離れていったのか。勝手に期待されて勝手に失望されるって、理不尽だなあ。)
イエスの弟子達は一旦は逃げた。でも、今まで社会の中で弱くされた人々に寄り添い、捕まった後も無抵抗で処刑されていったイエスを、神の子だと信じる信仰が、弟子達の間で共有されるようになった。私はそう思ってる。
 途端に愛花の表情が険しくなる。
なるほど……なるほど?

(2人の言ってる内容、強調してる点が違うくないか?サイッコラさんの表情が不穏だし。)

 愛花がおそるおそる口を開く。
……復活は……?イエス様の復活は?
……処刑された後、弟子たちの間で神の子として信じられるようになったってことが復活なんじゃないかって。
あー……。

(まあ、処刑された人が3日後復活しましたとか、簡単に信じられるわけないよねー……。ていうことは、聖書に間違いがないって信じてるサイッコラさんとは、考えが違ってくるわけだ。)

 どことなく不穏な空気が辺りを漂う。愛花は問いを重ねる。
イエス様が復活して弟子の前に現れたって、聖書に書かれてることについては?

 愛花から伝染したのか、聡美も不安げな表情になり始める。

あー……私の場合は、イエスが字義通り復活したとは考えてない。
じゃあ十字架の贖いは!?
罪を贖ったって言うより、社会の中で弱い立場にある人や病に苦しむ人を元気づけて回ったイエスが、最後まで人を愛して無抵抗で殺されたことから、弟子たちがイエスを神の子だと信じるようになったんだと思ってる。だからイエス自身は、自分が神の子とは思ってなかったんじゃないかって思う。
自由主義神学<リベラル>って十字架の贖いも信じないの!?
いや、自由主義神学<リベラル>がどうこうって言うよりは、これは私自身の考えよ。自由主義<リベラル>って言われてる教派の中でも、十字架の贖いや復活は信じるとか、いろんな立場があるし、一概には言えないわ。会衆派の中でもいろんな考えがあるし、これは私個人の考えとして聞いて欲しい。
そっか……。でも流石に牧師が教会でそういうこと言ったりは……。
…………それがあることもあるんだなー……。
あー…………つらい。
なんていうか、2人とも対照的だね……。

(全ッ然違うじゃねーか!!もはやイエスとかいうオッサンが十字架で殺されましたって意外共通点ないんじゃないか?)

えーっと、キリスト教だと、十字架の贖いとかイエスの復活って、基本的な教義じゃなかったっけ?
 愛花が強くうなずく。何度も激しく首を振るので、もはやヘドバンである。
それがね……キリスト教の中でも、歴史人物としてのイエスと、教義における”キリスト”は、別なんだっていう考え方があるの。
『教義ではこう言ってるけど、教義を文字通り信じてるわけじゃないよー』っていう感じ。
まあ、そんな感じね……。
一言にキリスト教会って言っても、いろんな考えがあるんだね。
えー……でも、それじゃ何を信じてるのか分かんないよ……。
 愛花は納得していない様子である。
それでも、私は自分を無神論者だとは思ってないし、神の存在は信じてるし、自分はキリスト者だと思ってる。毎週使徒信条は告白するし。
使徒信条?
キリスト教の基本的な教義をまとめたものだよ。
でも友岡さんは教義を文字通りには信じてないんでしょ?
うん……。教義の部分ってどうしても後の時代になってから造られたものが多いと思うし、大事なのは教義を字義通り信じることじゃないって思ってる。
え……でも私はイエス様が私たちの罪を贖うために十字架にかかってくれたって信じてるし、イエス様を信じる以外に救いはないって思ってるよ。
うーん……そこが私たちの違いなんでしょうね……。私の場合は、重要なのはイエスが人に愛を示したように、人間同士が愛し合って生きていくことなんだと思ってる。
いろんな考えが……あるんだね……。
 愛花と聡美の擦れ違いっぷりを目の当たりにし、幸音も不安げになってきた。

宗教って、難しいね。

(何というか、『少なくともキリスト教はこう』ってのがあったらいいんだけど……。)
 ”教義”は同じなのに”信じ方”が違う。その溝の大きさを痛感した陽太であった。今日の放課後は長くなりそうだ。
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登場人物紹介

サイッコラ愛花(さいっこら あいか)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、熱心なペンテコステ派キリスト教徒。

世間で言うところのキリスト教原理主義者<ファンダメンタリスト>であり、嗣業学園の聖書科の授業内容に反発する。

水野陽太(みずの ようた)

嗣業学園高等学校の男子生徒。

入学してからというものの、クラスには馴染めず、部活にも入れず、鬱々とした日々を送っている。ある日突然、愛華の「嗣業リバイバル」に巻き込まれてしまう。

友岡聡美(ともおか さとみ)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、会衆派に属するキリスト教徒。

愛華の行動はキリスト教のイメージダウンにつながると、愛花に反発する。

竹田芳也(たけだ よしや)

嗣業学園高等学校の聖書科教員であり、チャプレン。


白附幸音(しらつき ゆきね)

嗣業学園高等学校の女子生徒。教会に通っていたことがあるらしいが……?

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