神は愛である?
文字数 3,654文字
わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
(新約聖書『ヨハネの第一の手紙』4章16節)
幸音はキョロキョロ見回しながら、愛花の隣に座る。動作はぎこちなく、おどおどしている。
(うんうん、僕には分かる。きっと教室が居心地悪いに違いない。この子は多分は僕の仲間だ。なぜなら緊張して挙動不審になっているから。)
陽太の幸音に対する親近感は増幅する。陽太は、自分と似た境遇の仲間が欲しかったのである。
ちょっと、サイッコラさんに聞きたいことがあって……。
大喜びの愛花。傍から見れば、格好のカモを見つけて嬉々としているカルト信者のように見えなくもない。しかし当の本人は、善意100%である。
サイッコラさんが、祈ってくれたとき、イエスが私を愛してるって言ってくれたけど……。どういうことなのかなって。
そのまんまだよ?イエス様が、白附さんを、愛してくださってるの。
(『そのまんま』連発して説明責任放棄しすぎでしょこの子!)
陽太は心の中でツッコミを入れた。
なるほど愛花は日々"神の愛"とやらを実感して生きているかもしれない。体調を崩した幸音や怪我をした高橋に祈ったのも、"神の愛"の実践なのだろう。しかし愛花は、"神の愛"がどんなものなのか明確に言語化できていない。説明しなければ、理解されないのは当然ではないか。
えっと……。愛されてるって言われても、それを感じられないというか。
まあ、目に見えないから難しいよねー。それでもイエス様は白附さんを愛している。天のお父様も、白附さんを創造して良かったって思ってるってこと。
そう。神様は、白附さんが生まれる前から、白附さんのことを知っていた。もちろん水野君のことも。
”天のお父様”とは、陽太にとって聞きなれない言葉である。自分の親はこの世にいるが、天の父親とは何なのか。
神様のことだよ。キリスト教では、神様は3つの位格<ペルソナ>を持った1つの神様だって信じてるの。イエス様をこの地上に遣わしてくださったのが、天のお父様。ユダヤ教で神と呼ばれているのは、この父なる神。そしてイエス様は、天のお父様の独り子だから、子なる神。そして、天のお父様とイエス様から発するのが聖霊様。つまり、御霊なる神。父なる神と子なる神と御霊なる神はそれぞれ人格を持っているけど、1つの神様なの。父と子と聖霊。これで三位一体。
えっと、人格を3つ持ってるけど1つ?うーん。
(もはや一神教じゃなくね?三神論じゃん。)
陽太は説明を受けてますます混乱する。父と子と聖霊、それぞれが人格を持っているなら、それは3つの神なのではないか。それが1つの神とはどういうことなのか。まるで一神教であることを主張したいがために、3つの神を無理矢理フュージョンさせたようなものではないか。
まあ、三位一体は難しいよね。とにかく天のお父様は、私たちの本当の親ってこと。天のお父様は私たちを徹底的に愛して下さって、絶対に見捨てることはない。
(あれ?もしかして白附さん、なびきかけてる?ちょっとヤバくないかこれ?)
陽太は幸音のことが心配になる。この薄幸そうな女子生徒は、孤独感に駆られて愛花のものに来たのであろうか。とすれば、そこで神の愛を説く愛花に洗脳されてしまうのではないか。
そう!神様は絶対に私たちを見捨てない。なぜなら、私たちを愛して創造してくださった方だから。まあ、そんな感じかなー。
神の愛、ねえ……。
(まあ、物語としては、イイハナシダナーってところなんだけど、神が死んで久しい時代に、神は生きてるなんて信じられるかというと、はてなマークがつくんだよねー。)
あ、そうだ!白附さん、放課後も来ない?放課後も喋ってるし。
よ、よろしく……。
(あー、放課後って、サイッコラさんと友岡さんのバトルじゃん。連れてきて大丈夫なのかなー。)
陽太が頭を抱えていると、突然大げさな足音が聞こえてきた。階段を上ってきたのは、小林である。
小林は愛花を探して校内を走り回っていたらしく、肩で息をしている。
(3人会話している所に、急に飛び込むだと!?これが上位スクールカースト候補生のコミュ力か……!底辺の僕には真似できない芸当だな……。)
愛花ちゃん、隣のクラスの奴が、ちょっと喉イガイガするんだって。診てやってくんね?
(サイッコラさん、もはや回復キャラと見做されているのでは……?)
陽太は愛花は、小林の後に続いて教室へ向かうことにした。幸音は、突然現れたチャラい感じの男子生徒に恐怖を覚えたのか、授業の予習をすると言って自分の教室へ戻ってしまった。
陽太と愛花と小林が教室に着くと、1人の女子生徒が小林のもとに歩いてきた。訝し気に愛花を一瞥する。
うん。風邪なのかはわからないけど、なんか咳出たり、喉が気持ち悪かったり。
愛花は何も言わず女子生徒の喉に軽く手を当てる。女子生徒は、愛花に疑いの目を向けているが、触られることには抵抗感を示さない。小林から”奇跡”のあらましは聞かされているのであろう。
今まで愛花を訝しんでいた女子生徒は、突然目を輝かせる。
(え、これって本当に当てたの!?いかんいかん、冷静に戻れ僕。風邪かわからないけど喉イガイガって言ったら、胃酸が上がってるって見当はつくし、ストレス溜まってない人なんていないし、これはアレだ。推理小説とかで、誰かと握手をした主人公が相手の職業とかを当てるみたいな感じに違いない。それか当てずっぽうだろう。)
女子生徒のリアクションを見て、一瞬驚いた陽太であったが、すぐに冷静に戻った。奇跡や超能力なのではなく、何らかの"仕掛け"があるはずだ。陽太は"現実"に踏みとどまらんとする意志を強める。
主イエス・キリストの名によって命じます。喉の組織は癒されなさい。胃の機能も正常に戻りなさい。神経の緊張も癒され、自律神経のバランスも回復しなさい。アーメン。何か感じる?
そっか。何も感じなくても大丈夫。神様の力は働いているから。主イエス・キリストの名によって命じます。喉は癒されなさい。心のストレスも和らぎなさい。
あれ?喉が治った?なんか酸っぱい感じもなくなってる。
これは、イエス様が愛してくださってるから、イエス様が治してくてくれたんだよ。
喉が治った女子生徒は、嬉しそうに愛花に礼を述べる。
すごいのは神様だよ!福音書読んでみてね。これと同じ出来事いっぱい出てくるから!
(あ、これ読むって言って実際には読まないパターンだ。)
神様って本当にいててね、宮田さんのことを愛してくださってるの。だからイエス様が宮田さんの喉を癒してくれたんだよ。
癒しが必要な人がいたら、誰でも連れてきて!イエス様が癒してくれるから!
小林はこの出来事を完全に面白がっている様子であった。教室内の生徒達は、好奇の目線で愛花を見つめる。中には、愛花に尊敬の眼差しを向けているように見えるものもいた。冷静さを保とうとしていた陽太も、教室の異様な雰囲気の中で冷静さが混乱に変えられて行く。
(とことん試してみるのが良いかもしれない。サイッコラさんの”奇跡”ってのが、本当か嘘か分かるはずだ。正直僕も頭が混乱してきている。カルト宗教だと、奇跡を演出して信者を獲得することもあるらしいけど、僕が感じている混乱は、演出に惑わされる人のそれと同じなのかもしれない。クラス全体がおかしな方向に行かなければいいけど……。)
陽太は異様な雰囲気の中で、愛花を露骨に軽蔑の目で見る者が教室の中にいないことを、感じ取っていた。2度の”奇跡”を通して、愛花を軽蔑する雰囲気は、クラスの中から追い散らされてしまったようであった。そんな環境の急変化に、不安を覚える陽太であった。
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