心配

文字数 3,028文字

「わが魂は悲しみによって溶け去ります。み言葉に従って、わたしを強くしてください。偽りの道をわたしから遠ざけ、あなたのおきてをねんごろに教えてください」

(旧約聖書『詩篇』119編28節~29節)

 愛花はすっかり学内で引っ張りダコになってしまった。

 そんな中、陽太らが愛花と昼食を共にする機会は徐々になくなっていった。

 陽太にとっては、幸音と2人きりの昼食が増えることとなる。それ自体は嬉しいのだが、共通の話題は愛花の奇跡や神のことになってしまうので、複雑な気分であった。

 学内の生徒が1人また1人と愛花の”奇跡”に心を奪われていく一方、幸音は『神の愛を信じるべきか』という問いに苦しんでいるようであった。幸音が”奇跡”に熱狂するのではなく、信仰について熟考する冷静さを持っていることは、陽太にとっては安心材料である。しかし、幸音が愛花や神を話題に挙げることは、面白くない。

 そんな状況が続くある日の休み時間、陽太は聡美に呼び出された。

水野君はさ、最近の状況、どう思う?
サイッコラさん、すっかりスーパースターになっちゃったね。アイカ・ザ・スーパースター的な。
なんか流石にヤバくない?
友岡さんもそう思う?
 心の中でほっと胸を撫で下ろす陽太。多くの生徒が愛花の”奇跡”に熱狂する中、冷静に話せる人間がいるのは心底ありがたい。特に陽太のクラスの生徒は小林の影響で、ほとんどが”愛花信者”となっており、周囲の熱狂ぶりに疲れ果てていたのであった。
そういえば、普通のキリスト教ではああいうことはしないんだよね?
ええ、一部の熱狂的な教派だけだと思う。彼らは、癒しや悪霊追い出しの奇跡っていうのを使って、急激に信徒を増やしてるらしいわ……。なかには礼拝中に人々が半狂乱になって、バタバタ倒れていく教会もあるそうよ。私は詳しいことあんまり知らないんだけど。
うーん、僕には理解できない。
 渋い表情をする陽太。教会の中で”奇跡”が演出され、人々が踊り狂う光景。無神論者の陽太にとっては、それは異常な光景でしかなかった。聡美は陽太のリアクションを見て頷き、話を続ける。
癒しとかの奇跡を信じてる教会って言っても、いろんな教会があるし、神学教育をしっかり受けた牧師が牧会してるマトモな教会もある。でも、中には正統な神学から離れて、華々しい奇跡に心をとらわれ、熱狂主義に陥っている教会もある。
じゃあサイッコラさんを取り巻く今の状況って……。
サイッコラさん自身は、教会のカルト化に言及してたし、幾分冷静な視点を持ってるかもしれないわ。でも、周りで騒いでる子たちは、ただサイッコラさんの”奇跡”に熱狂してるだけ。中にはサイッコラさんを神か何かと勘違いしてる子もいるみたいだし、健全な状況じゃないわね。
 聡美も陽太と同様の危惧を抱いていたようであった。陽太は頷いて同意を示す。
やっぱりそうだよね……。
一時の熱狂的な体験だけに突き動かされて信仰に入ったところで、それは健全な信仰とは言えない。ただ自分の感情の赴くまま、独善的に突っ走ってしまうことになる。
その内サイッコラさんを崇める宗教団体ができるかも……。
あの小林って男の子が、奇跡を面白がって煽ってる。変なことにならなきゃいいけど……。
大多数のウェイ系リア充がどうなろうが知ったこっちゃないけど、僕は白附さんが変な影響受けないか心配だよ。今のところ大丈夫だけど。
 陽太、幸音のことしか頭にない。
私も白附さんのこと心配だわ。放課後、白附さんに声かけてみるわ。最近どんな感じか気になるし。
そうだね。僕も放課後暇だし一緒に行くよ。
私は最初、水野君が洗脳されないか心配してたけど、君が冷静で本当に良かったわ。
 こうして放課後、聡美と陽太で幸音の所へ行くことになった。

 陽太は毎日幸音と顔を合わせているため、普段の幸音の様子は知っているが、キリスト教徒である聡美とどのような会話をするか気になったのである。

 ホームルームが終わり、生徒らが教室から次々と出ていく。

 ある者は部活へ向かい、ある者は友人と遊びに行く。

 陽太は聡美と合流し、幸音のクラスへと向かった。

サイッコラさん忙しくなってから、しばらく集まってなかったし、どうしてるかなって。白附さんは元気にしてる?
愛花ちゃんとは学校では会えないけど、電話でお話ししてるし、学校では水野君に話聞いてもらってるし、前に比べたら大分元気になったかな。
(よっしゃああああああああああああああああああああああ!!!!)
 愛花が幸音といつの間にか連絡先を交換していたことを知り、一瞬愛花への嫉妬に燃えかけた陽太。しかし、『水野君に話聞いてもらってるし』のフレーズで嫉妬を忘れる。
おー、サイッコラさんとは電話で話してるのね。そかそか。どんな話してるの?
 聡美は徐々に探りを入れていく。内容によっては、何等かの介入が必要になるかもしれない。
聖書の御言葉を一緒に分かち合ったり、電話で一緒に祈ったり……。今はルカによる福音書を一緒に通読してる感じ。
ルカいいよねー。サイッコラさんは信仰のことについては何か言ってた?
愛花ちゃんは、聖霊様が働いてくださるから、ずっと祈ってたら自然と神様の愛を感じられるようになるよーって言ってくれてる。あとは、私が感じられなくても信じられなくても、私の中に聖霊様がいてくださって、神様はいつも見守ってくれてるって言ってくれるけど……。
けど?
教会で辛い目に遭ったこと思い出しちゃうし、やっぱり教会にもう一回通うのは怖いなあって。この前、近所の教会に行こうとしたけど、教会が視界に入ったら戻しそうになって、そのまま帰ったこともあったの。

前の教会でのこと思い出すと、その時の絶望感もフラッシュバックして、やっぱり私はダメな人間なんだ、神様から見捨てられたんだって落ち込んじゃう。

そっか……。前の教会で大分ひどい目に遭ったから辛いわな。神の名のもとに人を裁く馬鹿共に言われたことなんて、気にしなくて良いって思うけど、そんな簡単には忘れられないよね……。
Oh……。

 教会を見ただけで嘔吐しそうになるとは、余程心の傷が深かったのであろう。

 陽太は、”教会の優等生”が寄ってたかって幸音の心を踏みにじる光景を想像し、殺意すら覚えた。

(偽善者はいつの時代だってそうだ。自分の正義を振りかざして、苦しんでいる人を踏みつける。こんな世界滅びればいい。)
 陽太がなんかものすごい負のオーラを発しているが、そんなことは誰も感知しない。
また教会に通うようになったら、辛い目に遭うかもしれないって思うと……。
…………。
……。
 数秒の沈黙が流れ、その沈黙を聡美が破る。
教会でそれだけ辛い目に遭ってたら、他の教会に行くのすら怖くなるよね……。
無理して通う必要はないと思うよ……。
でも、神様を信じるためには教会に通わないといけないのかなって思っちゃうし……。
そんなことはないと思うわ。神の愛は教会の中に制限されるものではないし……。
そっか……そうだよね……。
でも、もし通えるって思えるようになったら、うちの教会に来てみなよ。うちの教会、コテコテのリベラルだから、聖書使って人責めるようなことは絶対しないし。
あ、ありがとう……。いつか行ってみたいかな。
…………。
 聡美に対して向けられた、幸音の縋るような目が、暫く陽太の頭を離れなかった。

 幸音の求めるものは、決して陽太には与えられない。そんな寂しさを人知れず抱いたのであった。

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登場人物紹介

サイッコラ愛花(さいっこら あいか)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、熱心なペンテコステ派キリスト教徒。

世間で言うところのキリスト教原理主義者<ファンダメンタリスト>であり、嗣業学園の聖書科の授業内容に反発する。

水野陽太(みずの ようた)

嗣業学園高等学校の男子生徒。

入学してからというものの、クラスには馴染めず、部活にも入れず、鬱々とした日々を送っている。ある日突然、愛華の「嗣業リバイバル」に巻き込まれてしまう。

友岡聡美(ともおか さとみ)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、会衆派に属するキリスト教徒。

愛華の行動はキリスト教のイメージダウンにつながると、愛花に反発する。

竹田芳也(たけだ よしや)

嗣業学園高等学校の聖書科教員であり、チャプレン。


白附幸音(しらつき ゆきね)

嗣業学園高等学校の女子生徒。教会に通っていたことがあるらしいが……?

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