信仰者は論戦する
文字数 4,965文字
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
(新約聖書『マタイによる福音書』10章34節)
陽太は軽く伸びをする。
今までなら、自宅へ直行するところであるが、今日はそうはいかない。放課後も愛花の"お話し"を聞くことになっている。
もはや陽太は覚悟を決めていた。それは諦めの境地に近いものであったが……。
2人は踊り場へ移動する。
嬉しそうに語る愛花に対し、陽太は冷めている。自分の祈りが実際に聞かれたと確信している愛花と、偶然に過ぎないのではないかと疑う陽太。同じ出来事に対する2人の感じ方は、大きくかけ離れている。
返答に窮した陽太は、話題を逸らした。この場で自分の疑いをぶつけたとしても、『でも本当に祈りが聞かれたんだ』と堂々巡りになるのではないかと感じたのである。
あー、リバイバルのことね!リバイバルっていうのは、爆発的に信仰が復興すること。嗣業学園の創始者は篤い信仰を持ってた人だったんだけど、途中で『聖書なんて人間が書いたフィクションだー』って考えが嗣業学園に入ってきて、信仰が死んじゃったの。で、私はそんな嗣業学園の信仰が復興してほしいと思ってるから、嗣業リバイバル。
思案する陽太。
会話が一瞬途切れる。
その時、一人の女子生徒が突然踊り場に上がってきた。
突然現れた女子生徒は、愛花に質問を投げかける。
自分についての噂を聞き、ヘコむ陽太。一度は諦めの境地に達したとはいえ、彼は人の視線が怖くて仕方ない人間である。それ程強靭でないメンタルに、再び大きなダメージを受ける。
陽太は、愛花から聞いていた話を聡美に伝える。自分は話を聞いていただけだと強調するために、慎重に選ばれる言葉。無論愛花を庇う必要はないので、愛花の発言はそのまま伝える。
聡美は溜め息をつきながら額に手を当て、大げさに俯く。露骨な呆れの表現である。
話の流れから陽太は、聡美が"穏健な"キリスト教徒であろうことを察した。おそらく彼女は、"過激派"の暴走を止めようと、愛花を探してここに辿り着いたのであろう。
聡美は、愛花が全クラスの教室に"例の文"を書いて回った事件以来、溜め込み続けていた不満を愛花にぶつける。
教会が絶対的な権限を握って人々を支配していた時代が終わって、その中で近代的な視点を取り入れながら、批判的な検証のもとに聖書を研究して、初期教会の信仰者が伝えようとしたメッセージを抽出するのが当たり前になってる時代に、聖書無謬説振りかざすなんてあり得ないし、そんなことする連中のせいで、キリスト教は異端審問やら魔女狩りやらの時代から進歩してない時代遅れの頑迷で排他的な宗教だって思われてるって言ってるのよ!
主流派<メインライン>の教会は、聖書がそのまま完璧な神の言葉でないことを認めているし、学術研究から明らかになったことを否定するのは時代遅れの発想じゃないの?そんなんじゃ中世の十字軍と変わらないでしょ。
会話の流れから、『多くのキリスト教徒は、聖書が完璧な神の言葉でないと認めているのに、古い考えに執着して聖書が神の言葉だと主張しつづけるのは、思考停止の類である』と聡美が主張しているのを陽太は感じ取った。しかし、飛び交う言い回しは陽太にとって馴染みのないものであり、会話についていけない。陽太の頭の中を徐々に支配し始める疎外感。
結局証明できないのね……。でもさ、そんなのただの熱狂主義でしょ?主流派<メインライン>としては、アンタら原理主義<ファンダメンタル>が科学的な考えを否定したりメチャクチャやったりするせいで、キリスト教のイメージダウンにつながって迷惑なんですけど?
私は正統な信仰に基づいて行動してるつもりだけど?むしろ自由主義神学<リベラル>が、イエス様の復活は事実ではないとか、聖書はフィクションだとか、キリスト教について嘘言ったりするから、正統な信仰が脅かされて迷惑なんだけど?
会話についていけない陽太は、2人の会話を理解しようとするのを止めた。言葉のドッジボールに参加する気にはなれない。ボールが当たると痛いからである。
コロコロ変わってません!自由主義神学<リベラル>は原理主義<ファンダメンタル>と違って、奇跡の記述に心を奪われて本質を見失ったりはしないし、テキストの慎重な解釈によって、聖書記者が何を伝えようとしていたかを大事にしてるんです!
愛花と話をするために呼び出された陽太としては、当の愛花が聡美と言葉のドッジボールを続けているのは面白くない。2人の会話についていけないことから、拗ねてしまいたい気分にもなる。しかしそんなことも関せず、2人"ドッジボール"は激しく感情的になっていく。
はあ…………これだから原理主義<ファンダメンタル>は……。
そんなのだから、いまだに世界は6日で創造されたとか、モーセが海を割ったとか、空から食べ物が降ったとか文字通りに信じて、時代遅れの聖書信仰後生大事に抱えて世間から冷たい目で見られてるのよ!
2人が繰り広げている言葉のドッジボールは、激しさを増すが、そんなことは陽太にとってどうでも良かった。疎外感に堪えられなくなり、帰ってしまいたい気にもなる。かといってそのまま"自然消滅"するのは、あまりに惨めだ。
2人の会話が"石のぶつけ合い"の様相を呈し始めたところで、ついに陽太は口を開く。
愛花と聡美による、キリスト教信仰を巡る闘いが始まった。陽太は、信者同士ケンカするなら他所でやってくれと思ったが、戦闘モードの2人に逆らうのは怖いので、結局本音は吐き出さず飲み込んだ。
勝手に審判に仕立て上げられた陽太の運命やいかに……。