信仰者は論戦する

文字数 4,965文字

 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。

(新約聖書『マタイによる福音書』10章34節)

(ふーっ、やっと今日も授業が終わった。)
 陽太は軽く伸びをする。

 今までなら、自宅へ直行するところであるが、今日はそうはいかない。放課後も愛花の"お話し"を聞くことになっている。

水野君、今からお話しできる?

え、あ、うん、いいよ。

(毒食らわば皿までだ。とことん付き合ってやる。)
 もはや陽太は覚悟を決めていた。それは諦めの境地に近いものであったが……。
じゃあ、教室は吹奏楽部が使うみたいだし、あの踊り場で!
うん。

(もう固定場所になってるなこれ。)

2人は踊り場へ移動する。
で、どうだった?今日の。
え、今日のって?
ほら、私が祈ったら、イエス様が白附さんを治してくれた出来事!
え、ああ……。うーん。

(いや、どう考えても偶然でしょあれ。この生徒全員に聞いたら、サイッコラさん以外は偶然って絶対言うわ。)

 嬉しそうに語る愛花に対し、陽太は冷めている。自分の祈りが実際に聞かれたと確信している愛花と、偶然に過ぎないのではないかと疑う陽太。同じ出来事に対する2人の感じ方は、大きくかけ離れている。
イエス様が地上で人間として活動されてた時ね、手で触れたり、癒されたことを宣言したりすると、病気を持ってた人が癒されたの!
そ、そうなんだ……。

(まあ、宗教にはありがちだよね、そういう話。)

でね、イエス様の弟子にも癒しの権限が与えられてるの。だから、クリスチャンが祈って癒しを宣言すると、実際に病気が治ることもあるの!
へ、へえ……。

(すごいこの子、神話に生きてるなあ)

どうだった?感想聞いてみたいな。私、癒しの奇跡起こすの始めてで。
そういえば。
サイッコラさんが言ってた「嗣業リバイバル」って何?
 返答に窮した陽太は、話題を逸らした。この場で自分の疑いをぶつけたとしても、『でも本当に祈りが聞かれたんだ』と堂々巡りになるのではないかと感じたのである。
あー、リバイバルのことね!リバイバルっていうのは、爆発的に信仰が復興すること。嗣業学園の創始者は篤い信仰を持ってた人だったんだけど、途中で『聖書なんて人間が書いたフィクションだー』って考えが嗣業学園に入ってきて、信仰が死んじゃったの。で、私はそんな嗣業学園の信仰が復興してほしいと思ってるから、嗣業リバイバル。
ほう…………。

(嗣業学園の信仰が死んだとか言い切るあたり、サイッコラさんらしいなあ。でも、今の時代に信仰を復興って難しくないか?昼の"奇跡"みたいなことも、そう何回も起きないだろうし……。)

 思案する陽太。

 会話が一瞬途切れる。

 その時、一人の女子生徒が突然踊り場に上がってきた。

ちょっと、さっきリバイバルとかって言葉が聞こえたんだけど。1-Bのサイッコラ愛花って、あなた?昼休みに廊下に出て話してるとか、噂で聞いてたんだけど、放課後もいるのね。
 突然現れた女子生徒は、愛花に質問を投げかける。
そうだよ?もしかして、今の話に興味あるの!?
んなわけないでしょ!サイッコラさんが、聖書は神の言葉だーって急に黒板に書いてから、男の子一人捕まえて洗脳してるって噂になってたから、止めにきたのよ!
(うわ……そんな話になってたんだ……。)
 自分についての噂を聞き、ヘコむ陽太。一度は諦めの境地に達したとはいえ、彼は人の視線が怖くて仕方ない人間である。それ程強靭でないメンタルに、再び大きなダメージを受ける。
私は水野君に洗脳なんてしてないけど、あなたは誰?
私は1-Cの友岡聡美(ともおか さとみ)。
えっと……僕はサイッコラさんと同じクラスの水野陽太です……。
昼休みに急に連れていかれたとか、噂で聞いたけど、大丈夫?
え、まあ……。話聞いてるだけだし。キリスト教のこととかまだよくわかんないし。今のところは大丈夫だと思う。
話の内容はどんな感じ?変な考え押し付けられたりしてない?
えっと……サイッコラさんは、聖書は神の言葉だって皆に信じてもらうために、奇跡を起こすそうです。あと、嗣業学園の信仰は死んでるから、リバイバルってのを起こしたいって話を聞いたよ。
 陽太は、愛花から聞いていた話を聡美に伝える。自分は話を聞いていただけだと強調するために、慎重に選ばれる言葉。無論愛花を庇う必要はないので、愛花の発言はそのまま伝える。
アーメン!(※「その通り」の意味)
ハア…………。サイッコラさんねえ……。
 聡美は溜め息をつきながら額に手を当て、大げさに俯く。露骨な呆れの表現である。
どう?友岡さんも一緒に?
んなわけないでしょ!!!!アンタみたいなのいるから、キリスト教が誤解されるのよ!
どういうこと?
(まあ、サイッコラさんはいわゆる過激派ってわけだね。)
 話の流れから陽太は、聡美が"穏健な"キリスト教徒であろうことを察した。おそらく彼女は、"過激派"の暴走を止めようと、愛花を探してここに辿り着いたのであろう。

 聡美は、愛花が全クラスの教室に"例の文"を書いて回った事件以来、溜め込み続けていた不満を愛花にぶつける。

教会が絶対的な権限を握って人々を支配していた時代が終わって、その中で近代的な視点を取り入れながら、批判的な検証のもとに聖書を研究して、初期教会の信仰者が伝えようとしたメッセージを抽出するのが当たり前になってる時代に、聖書無謬説振りかざすなんてあり得ないし、そんなことする連中のせいで、キリスト教は異端審問やら魔女狩りやらの時代から進歩してない時代遅れの頑迷で排他的な宗教だって思われてるって言ってるのよ!
私は単純に神様の教えを追い求めているだけ。神の言葉を神の言葉と言って何が悪いの?聖書自体に、聖書は神の霊感によって書かれたって書いてるでしょ。
(いかん、また意味不明な専門用語が……。)
主流派<メインライン>の教会は、聖書がそのまま完璧な神の言葉でないことを認めているし、学術研究から明らかになったことを否定するのは時代遅れの発想じゃないの?そんなんじゃ中世の十字軍と変わらないでしょ。
学術研究って言ったて、この世の知恵に過ぎないでしょ?神から来たものを人間の知恵で分析できるわけ?神から来た書物なら、聖霊様の導きのもとで解釈するべきじゃないの?
(これはアレだ。ガチオタクの会話に一般人が取り残されるアレだ。)
 会話の流れから、『多くのキリスト教徒は、聖書が完璧な神の言葉でないと認めているのに、古い考えに執着して聖書が神の言葉だと主張しつづけるのは、思考停止の類である』と聡美が主張しているのを陽太は感じ取った。しかし、飛び交う言い回しは陽太にとって馴染みのないものであり、会話についていけない。陽太の頭の中を徐々に支配し始める疎外感。
あー、出た!"聖霊様"発言!なんでも聖霊聖霊!自分の思い込みだって聖霊のせいにする!それが神からのメッセージだってどうやって証明するの?
聖霊様の導きかどうかは、人間の知恵では証明できないけど、実を結んだときにそれが真実か分かります!
結局証明できないのね……。でもさ、そんなのただの熱狂主義でしょ?主流派<メインライン>としては、アンタら原理主義<ファンダメンタル>が科学的な考えを否定したりメチャクチャやったりするせいで、キリスト教のイメージダウンにつながって迷惑なんですけど?
私は正統な信仰に基づいて行動してるつもりだけど?むしろ自由主義神学<リベラル>が、イエス様の復活は事実ではないとか、聖書はフィクションだとか、キリスト教について嘘言ったりするから、正統な信仰が脅かされて迷惑なんだけど?
(暇だなー。あ、今日の晩御飯何だろう。)
 会話についていけない陽太は、2人の会話を理解しようとするのを止めた。言葉のドッジボールに参加する気にはなれない。ボールが当たると痛いからである。
は?この時代に聖書が全部事実だって言って信じるなんて、あり得ないでしょ?むしろどうやったら信じられるの?ていうかアンタ、この世界が6日で創造されたって信じてる人?
この世界は創世記に書いてある通り、6日で創造されました!!時代がどうとかいうけど、時代に合わせて信仰スタイル変えてたら、時代ごとに言ってる内容コロコロ変わっちゃうんじゃない?
コロコロ変わってません!自由主義神学<リベラル>は原理主義<ファンダメンタル>と違って、奇跡の記述に心を奪われて本質を見失ったりはしないし、テキストの慎重な解釈によって、聖書記者が何を伝えようとしていたかを大事にしてるんです!
(この会話いつまで続くんだろう。僕帰っていいかな?2人がディープな会話してるの見てても、面白くないし疎外感しかないし。)
 愛花と話をするために呼び出された陽太としては、当の愛花が聡美と言葉のドッジボールを続けているのは面白くない。2人の会話についていけないことから、拗ねてしまいたい気分にもなる。しかしそんなことも関せず、2人"ドッジボール"は激しく感情的になっていく。
聖書記者は書いたままを信じてるに決まってるでしょ!
はあ…………これだから原理主義<ファンダメンタル>は……。

そんなのだから、いまだに世界は6日で創造されたとか、モーセが海を割ったとか、空から食べ物が降ったとか文字通りに信じて、時代遅れの聖書信仰後生大事に抱えて世間から冷たい目で見られてるのよ!

自由主義神学<リベラル>こそ教勢落ち続けてるんじゃなかった?それに、世の学問に合わせて信仰の体系を変える教会には、神の国を地上で広げる力なんてないんじゃない?
そうやって社会を見下して、善悪二元論に凝り固まって教会の中で縮こまってるから、原理主義<ファンダメンタル>は独善的な態度で人を裁いてばっかりなのよ!
そう言う自由主義神学<リベラル>こそ、独善的に神様を言葉を曲解して、キリスト教信仰を骨抜きにしてきたんじゃない!事実、今の日本で教勢伸ばしてるのはペンテコステ派だし。
(んー、勝手に帰るのもアレかなー。)
 2人が繰り広げている言葉のドッジボールは、激しさを増すが、そんなことは陽太にとってどうでも良かった。疎外感に堪えられなくなり、帰ってしまいたい気にもなる。かといってそのまま"自然消滅"するのは、あまりに惨めだ。
それはアンタらが目に見える奇跡ぶら下げて、洗脳まがいの伝道するからでしょ!?そんな熱狂主義はイエスが求めたものじゃないはずよ!!
イエス様も癒しや悪霊(あくれい)追い出しをしてたでしょ?それに初期教会のクリスチャンも、癒しの奇跡で神様の栄光を現していたし、奇跡の何が悪いの?
聖書のメッセージの根幹は、奇跡が実際に起きたかじゃなくて、神様が社会の中で弱くされた人々に寄り添ってくださるっていう点じゃないの?目に見える奇跡にばかりとらわれてるから、福音の本質を見失うのよ!
あーーーーーーーー!!!!出た―――!!非神話化ーーーーーっ!!!!!!!!聖書をおとぎ話扱いするやつーーー!!
あ、あの…………。

(ああもう、分からないってはっきり言っちゃおう。)

 2人の会話が"石のぶつけ合い"の様相を呈し始めたところで、ついに陽太は口を開く。
何!?
何?
2人が何言ってるか全然分かんないんだけど…………。僕は仏教徒の家で育った典型的な日本人だし。

(仲間外れにされた気分だよ全く……。)

あ、ごめん。つい熱くなっちゃった。水野君は高校入ってからキリスト教の勉強始めたばっかりだもんね。
あー、この辺の話、ちょっと難しいもんね。
ちょっとどころか、相当難しいです……。
そうだ、サイッコラさん、1つ勝負しない?お互いのキリスト教理解を話して、どっちが水野君を納得させられるか。私が勝ったら、この学校でリバイバルだの馬鹿げた真似はしないこと。
私の答えはこうよ。『かかってこい!相手になってやる!』
(うわ、勝手に審判にされた。つらい。キリスト教って、内輪揉めの激しい宗教なのかな。)
 愛花と聡美による、キリスト教信仰を巡る闘いが始まった。陽太は、信者同士ケンカするなら他所でやってくれと思ったが、戦闘モードの2人に逆らうのは怖いので、結局本音は吐き出さず飲み込んだ。

 勝手に審判に仕立て上げられた陽太の運命やいかに……。

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登場人物紹介

サイッコラ愛花(さいっこら あいか)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、熱心なペンテコステ派キリスト教徒。

世間で言うところのキリスト教原理主義者<ファンダメンタリスト>であり、嗣業学園の聖書科の授業内容に反発する。

水野陽太(みずの ようた)

嗣業学園高等学校の男子生徒。

入学してからというものの、クラスには馴染めず、部活にも入れず、鬱々とした日々を送っている。ある日突然、愛華の「嗣業リバイバル」に巻き込まれてしまう。

友岡聡美(ともおか さとみ)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、会衆派に属するキリスト教徒。

愛華の行動はキリスト教のイメージダウンにつながると、愛花に反発する。

竹田芳也(たけだ よしや)

嗣業学園高等学校の聖書科教員であり、チャプレン。


白附幸音(しらつき ゆきね)

嗣業学園高等学校の女子生徒。教会に通っていたことがあるらしいが……?

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