不穏
文字数 3,827文字
弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」
(新約聖書『マタイによる福音書』21章6節~9節)
そんなある日の聖書科の授業。テーマは旧約聖書の出エジプト記。
出エジプト記は、古代イスラエル人が神に導かれ、エジプトから脱出する物語が記されている。その中では、エジプトに大規模な災いが起きたり、海が割れたりと、派手な奇跡がいくつも起こる。それらの奇跡についての記述をいくつか抜き出した後、竹田は生徒達に問いを投げかけた。
数秒の沈黙。愛花は渾身のドヤ顔で竹田を見つめる。竹田は冷めた目で愛花を見ている。
沈黙を破るのは小林の声。
生徒が数人、笑い出す。今度は竹田が笑われる側。
笑い声に交じって、『サイッコラさんの方が信仰あるんじゃね?』『サイッコラさんは牧師を超えた』という声も聞こえる。
生徒らの反応を受けて、小林はさらに勢いづく。
竹田の表情が渋くなる。以前議論した時は、突っかかって来る子どもを広い心で受け止めているような余裕が見られた。しかし今回は、脅威を見る目つきになっている。学校内で1人の生徒が、宗教的信条に基づいて”奇跡”を起こし、それを別の生徒が証言しているのである。常識的な感覚を持った教員であれば、警戒感を抱くのが当然であろう。
竹田の反応を受けて、さらに大きな笑い声が教室内に溢れる。不安げな顔で辺りを見回す陽太。愛花はクラス全体を味方につけた気になって満足げな表情を浮かべているが、陽太には笑っている生徒たちが愛花の考えに同意しているようには思えなかった。ただ、お祭り気分で楽しんでいるだけに見える。
そんな中、冷静な表情をしている男子生徒が1人。高橋である。視線を落とし、考え込んでいる様子であった。
そして数秒後に一言。
高橋の目つきは真剣そのものであった。小林に流されて笑っていた生徒らも、一旦は落ち着きを取り戻す。
軽く咳払いをして、質問に答え始める竹田。
小林が野次を飛ばし、笑い声が起こる。高橋は教室内の状況を歯牙にもかけず、聖書をめくり始めた。
突然立ち上がる愛花。
キリキリ痛み始める腹を抑える陽太。
チラリと愛花に視線を向ける。愛花と目が合う。渾身のドヤ顔ピース。
竹田の教師人生の中で、かつて無い展開であった。今までは『聖書の出来事を全部信じる必要はない』と伝えると、生徒は安心してくれた。今回は違う。聖書の史実性を否定すると『それでも牧師か』と野次を飛ばされるのである。原因は一人の女子生徒であった。サイッコラ愛花である。彼女が『聖書は誤りなき神の言である』と宣言した時、彼女はただの笑いものであった。しかし、生徒の目の前で『奇跡』を起こしたことで、彼女に対する周囲の評価は大きく変わった。そして愛花は、小林という、社交的な生徒を味方につけた。小林は愛花の『奇跡』を高らかに吹聴した。小林は愛花の思想に興味を持たず、ただ愛花が『面白いこと』をすることを望んでいただけであった。竹田をからかったのも、単に愛花と竹田の対決を楽しみたかったのである。
しかし、今回の出来事は、教室内の生徒達に対し『ベテランの牧師は奇跡を否定するが、愛花は奇跡を起こした』という認識を持たせた。そうした雰囲気の中で、愛花の”奇跡”にそれほど関心を持っていなかった生徒まで、影響を受け始めていた。さらに愛花の”奇跡”を根拠に竹田を笑う小林の態度は、『どうやらサイッコラ愛花は超越的な存在らしい』という認識を他の生徒達にも植え付けたのであった。
異様な空気を感じ取った陽太。胸の中に重苦しい暗い物体がつっかえるような感覚。
授業が終わった。竹田は授業の最後に、主流派<メインライン>の教会では、聖書に記されている奇跡は歴史的事実としては見られていないのだと強調した。しかし、それは逆効果であった。『キリスト教徒の多数派が奇跡を否定するが、愛花は奇跡を起こしたのだ』という認識を生徒らに植え付ける結果となった。
疲れ果てた様子で教室から出ていく竹田を、愛花が引き留めた。