雪どけのムード
文字数 3,198文字
おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
(旧約聖書『イザヤ書』11章5節~8節)
今日も授業が終わる。愛花と陽太は共に"いつもの踊り場"へと向かう。
陽太は、愛花に昼から抱いていた疑問をぶつけてみることにした。
昼にサイッコラさんが話してたことを聞いて、気になったことがあるんだ。サイッコラさん、白附さんに、神様は白附さんを諦めてないって言ってたよね。あれってどういうこと?
陽太の問いに対し、愛花は『良い質問ですね~!』と言わんばかりに、満面の笑みを浮かべた。
イエス様は言われたの。『もし100匹の羊を持っている羊飼いがいて、その内1匹がいなくなったら、99匹を置いて、いなくなった1匹を見つけるまで探しに出かけるはずだ』って。それが神様と私たちの関係なんだ!
気まずそうに見つめ合う2人。数秒の沈黙。このまま放置しておくと面白い光景になりそうであった。しかし、陽太は疑問を早く解消したいと感じていたため、沈黙を破ることにした。
こんにちは、友岡さん。友岡さんは99匹の羊が放置される話って分かる?
キリスト教徒相手であれば、”100匹の羊のたとえ”とでも言えばすぐに通じる程に有名なたとえ話なのであるが、これを初めて聞いた陽太は、うまく説明できなかった。99匹を放置しただけであれば、それはただの飼育放棄<ネグレクト>である。
そうそう!水野君に、迷った羊を追いかけて探すのが、神様と人との関係なんだって話してたんだ。
あー、なるほど。神様、たとえ人間が道を逸れてもどこまでも追いかけていくもんね。
え、友岡さんも分かるの?意外だなあ……。神が人を追いかけるって、僕にはイメージできないんだけど。
水野君、私を無神論者と間違えてない?だとしたら、サイッコラさんに毒され過ぎよ。
露骨に膨れて見せる愛花。聡美が冗談として言ってることは理解しているようだ。
まあ、それはいいとして。
神が人を追いかける、かあ……。私の場合は、自分でキリスト教を信じる決心をしたっていうよりは、『ああ、自分は神様に捕まったんだな』っていう感覚だったなあ。うーん、これって分かるように説明するの難しいな。
自由主義神学<リベラル>の友岡さんもそういう感じ分かるんだ!
聡美は愛花の脇をつっつく。そして2人で顔を見合わせて笑い出した。
とても前日激しく論争していた者同士とは思えない。
(あれ?2人とも急に仲良くなったな。一昔前の少年漫画とかで、河原で殴り合った不良同士の間に友情が芽生えるような感じか?まあいいや。)
2人が打ち解けたのを見た陽太は、思考を”神と人との関係”に戻す。
(神と人との関係?神って、単に祈る対象とかじゃないのか?自分で信じる決心をしたんじゃなくて神に捕まるって、どういうことだ?僕にはイメージしにくいなあ。)
結局考えたところで分からない。しかし、愛花と聡美には、その”感覚”が分かるらしい。そのことにも、陽太は思いを馳せてみる。
(2人には”神が追いかけてくる感じ”が分かるらしい。昨日白附さんが言ってた2人の共通点って、そういうことなのかな。もしかしたら、2人の信仰の共通点ってたくさん見つかるかもしれないな。)
そうこうしている内に踊り場へ着いた。今日は幸音が一番乗りで待機していた。
愛花は幸音に抱きついた。苦笑いしながら愛花の抱擁を受け入れる幸音。
各々鞄を置いて、以前からずっと放置されている椅子を引っ張り出して座る。屋上前の踊り場だが、4人で喋るには十分なスペースである。
幸音は、陽太と愛花に話したからと前置きした上で、聡美にも教会での出来事を話した。聡美は幸音に共感を示しながら話を聞いていた。一通り話を聞き終えると、頭を抱えて険しい表情を見せ、前髪を掻き上げる。
それにしても酷い話ね……。そんなことやってる教会が未だにあるなんて、胸糞悪いわ……。
でしょでしょ?教会で誰かが寂しい思いをしないといけないなんて間違ってるよ。
白附さん、そんな教会”カルト化”してるだけだから、その教会の連中に言われたことなんて気にしなくていいからね。
幸音は未だに『自分が悪いのかも知れない』と感じているようであった。
教会の中で指導者が権力握って信徒をコントロールしたり、教会が神の名のもとに人権侵害をしたり、キリスト教会がカルト宗教みたいになっちゃうことがあるのよ。特にカルト化が問題になってるのが福いn……ゲフンゲフン。いや、なんでもないわ。
急に咽込む聡美。ヤバいことを言いそうになったので、咽る振りをして誤魔化したというのがバレバレである。
福音主義に立つ教会だと、聖書に忠実であろうとする余り、信仰生活の厳格さを追求して律法主義に走っちゃうこともあるの。
若干申し訳なさそうな表情になる聡美。福音主義信仰に立つ愛花に、福音主義の暗部を語らせることになったことに、少し負い目を感じているようだ。
かなり簡単に言うと、聖書の権威を重視する考えのこと。私がずっと聖書は神様の言葉だって言ってたのは、私が福音主義だから。
じゃあ、私が通ってた教会も福音主義だったんだ……。
うちの教会だと、『厳しい教会とか真面目な教会もあるけど、うちはのびのびやっていけるように』って牧師が気を使ってるみたい。それで、厳し過ぎる教会から転会してくる人も多い。
聡美は驚きの表情で愛花を見つめる。”ただの狂信者”だと思っていた愛花が、信仰のダークサイドを語ったことを意外だと感じたらしい。また、今まで原理主義<ファンダメンタル>だと毛嫌いしていた教会の中にも、健全さを保てるよう配慮している教会があることにも驚いている様子であった。
じゃあ、一言お祈りします。在天の父なる御神様(おんかみさま)、今日は白附さんの通っていた教会で、いろいろ辛い出来事があったことを聞きました。神様、どうか白附さんの苦悩の一つ一つを覚えてください。そして、教会で受けた傷が癒され、その教会で貼られたレッテルを気にせずに前を向いて歩めますよう、守り導いてください。この祈り、主イエス・キリストの御名(みな)を通して、御前(みまえ)にお捧げいたします。アーメン。
そういえば、前サイッコラさんと2人で話してるとき、イエス・キリストがどんな人か聞きそびれたし、そこから聞いてみたいな。キリスト教の崇拝対象についてなら、サイッコラさんと友岡さんも考えが一致するんじゃないかな。
そうだね。私もイエス様について聞いてみたいな!愛花ちゃんと友岡さんの考えは、私が通ってた教会とは違うみたいだし、2人の考えについてもっと聞いてみたい。
幸音の同意を受け、陽太のテンションが上がる。愛花と聡美の考えの共通点なんてどうでも良い。幸音と共に過ごす口実さえあればそれで良い気がした。
一方、愛花と聡美は顔を見合わせ、渋い顔をする。果たして今日の談話は穏便に進むのか……?
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