天の国の猛騎兵(ハッカペル)

"奇跡"再び

エピソードの総文字数=4,139文字

 ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、ひとり残らずいやされた。

(新約聖書『使徒行伝』5章15節~16節)

朝。登校してくる生徒達。

手首に包帯を巻いた男子生徒が一人。

痛そうだな高橋。中二病にでもなったの?邪気眼なの?
中二病じゃねーよバーカ!痛そうってどっちの痛いだよコラ。

昨日、部活中に手ェ捻ってさあ。無理したら余計酷くなるから、治るまで見学しろって言われてるんだけど、1年生の春から周りと差つけられるのは辛いわー。

 そう言うと、高橋は悔しそうに右手首の包帯を見つめた。
(手首にテーピングしてるなあ。痛そうだ。あ、サイッコラさんが高橋君の方へ……。)
おはよー!ちょっと手見せてくれる?
 愛花が突然会話に割り込む。愛花は高橋と喋ったことは一度もないのだが、物怖じする様子はない。
え、いいけど……?
 高橋は怪訝な顔をして愛花に手首を見せる。
(サイッコラさんいったい何を……ていうか運動部の男子にあんなに堂々と……。すごいというか、頭のネジ飛んでるというか。)
昨日怪我したんだよね?
そうだけど……。
動かすと痛む?
そりゃ、まあ。
痛みは10段階でどれくらい?
何もしなかったら大丈夫だけど、動かすと8か9くらいかな?でも、なんでそんなことを……。
 高橋の疑問は当然であろう。特に親しくもない女子生徒が、突然怪我の具合を詳しく尋ねてくるのである。愛花の質問の意図が理解できず、戸惑う高橋。
(あ、まさか……。嫌な予感がするぞこれは…………。)
 愛花と行動を共にしてきた陽太には、愛花の発言の意図に見当がついた。悪寒が陽太の全身を包む。であれば、愛花が次に取る行動は……。
ちょっと手置いて祈っていい?
(おいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!)
お、おう……?
いやいやいや、愛花ちゃん、ここはメルヘンの世界じゃないんだぜ?
(痛い痛い痛い、それは痛いよサイッコラさん!!ああもう寝た振りしよう。見てられない。)
 怪我が治るまで練習を禁じられた生徒が、祈りで回復するわけない。愛花が祈ったところで何の変化もなく、次は全校生徒の嘲笑の的になるに違いない。そう確信した陽太は、机に突っ伏して外界を遮断した。寝た振り。それは、スクールカースト最下位の陽太にとって全力全開の防御体勢である。
まあまあ、小林君も見てて。主イエス・キリストの名によって命じます。手首は癒されなさい、自由に動かせるようになりなさい。
(あー、もう黒歴史確定だよー……。あ、もう十分やらかしてるか。)
い、いや……突然祈られても。これって宗教勧誘?
ちょっと動かしてみて?
いや、さっきの話聞いてた?動かすと痛いのにそんな簡単に動かせるわけないでしょ。
 突然人が手を置いて祈ったところで、すぐに怪我の状態が変わるはずがない。そんな高橋の常識的感覚が、愛花の要求を拒むという行動を選択させる。
愛花ちゃん、やっぱ世の中そんなに甘くないって。これ以上話がややこしくなる前にやめときなよ。
もっかい祈るね。主イエス・キリストの名によって命じます。手首の捻挫は癒されなさい。痛みへの恐れも和らぎなさい。アーメン。
いやいやいや、からかってんの?
 小林は苛立ちを覚え始める。しかし愛花は、小林の忠告を一向に聞き入れない。教室内の生徒達も、白けた視線を愛花に送る。
そんな祈ったからってねー…………ん?
え?
あ、ちょっとマシになったわコイツ。
オイオイオイ、気のせいだろソイツ。
(え?)
 それまで愛花に白けた視線を送っていた生徒達が、一斉に顔色を変える。
動かすと痛みはどれくらい?
4とか3くらい……かな?
残りの痛みも取っちゃおうか?主イエス・キリストの名によって命じます。残りの痛みも出ていきなさい!アーメン!
ん?大分マシになったわ。2くらい。
(はあああああああああああ!!!!????)
え、愛花ちゃん何者!?エスパー?エスパーなの?
主イエス・キリストの名によって命じます。手首は完全に癒されなさい。残りの痛みも、完全に出ていきなさい。アーメン。
あ、普通に動かせる。え、どうやってんのコレ?
(え?ええ?)
 騒めき出す教室。生徒達の視線は愛花に注がれている。

 陽太だけは寝た振りをして、机に突っ伏しているが。

え、それって我慢してるとかじゃなくて?愛花ちゃんガチエスパー?
何か痛み引いたわ。どういう仕組み?秘孔でも押したの?
イエス様が高橋君を愛してるから、怪我を治してくれたの!
お、おう……。おう?
 理解できない回答に困惑する高橋。愛花の説明は唐突であり、高橋にとって意味不明である。
愛花ちゃんスゲー!スゲーのに全然答えになってないとこがスゲー!
イエス様は本当にいてるんだって!これって神様の力なの!神様の愛は現実なの!
それマジ?よく分からんけど。
大マジよ!
お、おお……。『愛花ちゃん教』ワンチャンあるでこれ。
キ・リ・ス・ト・教!いいね?
アッハイ。
これで部活復帰できるわ!とりあえずサンキューな!
 高橋は、自分の身に降りかかった出来事を未だに消化できていなかったが、手首が治ったという事実は受け容れることにした。包帯を外して手首を動かしてみる。もう痛むことはなく、腫れもない。
ハレルヤー!新約聖書の福音書読んでみてねー!
え、えっと……時間あったら読んでみるわ!
(あ、これ絶対読まないやつだ……。)
今の見た?水野君!これがイエス様の愛だよ!聖書は現実なの!

あ、寝てた。

(ごめん。実は寝てないけど、今起きた出来事が自分の中で整理できないから、このまま寝た振りするね。)

 クラスの生徒は名状しがたい非現実感を味わいながら、4時限までの授業を終えた。いつも通り生徒は仲の良い者同士集まりグループに分かれ、机を寄せ合う。昼食の時間である。

 教室の外へ出ていく愛花と陽太。今までの流れなら、愛花と陽太が嘲笑を浴びるところであったが、教室内は朝の出来事の話題で持ちきりだった。

サイッコラさんが高橋宭の手首治してたけど、どうやったのかな?
いやー、病は気からって言うし……。
でも、捻挫だったらしいじゃん。捻挫って気分で治るものなの?
いやー、手首治って調子良いわー。俺って子どもの頃から怪我の治りは早かったけど、急に痛み引いたのは初めてだわ。サイッコラさんどうやってたんだろう?整体的なやつかな?
俺は愛花ちゃんエスパー説を提唱したい。あと、いろんなとこに手を当ててもらいたい。
下ネタか!
 高橋は今朝まで包帯を巻いていた右の手で、小林の頭をはたく。
冤罪だ!しかも、せっかく治してもらった右手で叩くんじゃねー!愛花ちゃんに懺悔しろ!シスターのコスプレしてもらって懺悔聞いてもらえ!
いや、プロテスタントにシスターとか、いねーから!
この学校がプロテスタントってだけで、愛花ちゃんがカトリックの可能性は消えたわけじゃないだろ。
まあ、そりゃそうだけど。
というわけで、シスターのコスプレした愛花ちゃんに踏みつけられたい!あの子ちょっと変だけど可愛い所がいいと思う!
うわー、最悪だコイツ!
一方、踊り場では……。
サイッコラさん、朝のって……。
ん、手首の癒し?
まあ。
私が言ったそのまんまだよ?イエス様が癒してくれたの。
うーん、さらっと言われてもなあ……。でも高橋君、実際に包帯取ってたし。
 陽太は釈然としない。実際にクラスの生徒達も、神の奇跡によって高橋の手首が癒されたとは考えていない。愛花が手で触れたことによって手首が治ったこと自体を疑う者が半数、愛花が高橋を"何らかの手段で治療した"と考えるものが半数である。
そりゃ、癒されてるんだから当然だよ。
すごい自信だね……。
自信じゃないよ、信じてるのは神様だから。
そ、そうなんだ……。なんか信仰って難しいね。

(というか、こんなことやろうとするキリスト教徒って、サイッコラさんくらいでは?聖書科の竹田先生とか友岡さんは、サイッコラさんとは全然違う考えだし。)

 自分でなく神を信じているから、という論法が陽太には理解できない。考えも行動も主体は自分なのだから、それが自信でなくて何であろう。
そうかなー。神様が人間を本当に愛してて、本当に私たちが生きる現実に侵入してきてくれる。だから、神様が聖霊様を通して私たちの心を変えてくれる。それで、自分を信じなくてもするべきことが分かる。それだけなんだけど、今の世の中、『宗教は心の中だけの主観的なもの』って考えが染みついてるから、単純なことでも難しくなっちゃうのかな。
神が人間の心を本当に変えてくれるって、超常現象みたいだね……。常識を超えているというか。
 宗教を信じている人間が、ある出来事を神の導きとして解釈することについては、陽太にも理解できる。しかし愛花は、神が実際に人間の考えに働きかけると主張するのである。それは陽太にとって常軌を逸した発想であった。
そう、神様の恵みって、常識を超えたものなの。
へ?
神様の独り子のイエス様が、人間の肉体をもって生まれ、人間と同じように食べて飲んで笑って悲しんで生きた。これもすごいことじゃない?
まあ……一般的に宗教の神様って、人間を高いところから見下ろしてるイメージだからね。
でも聖書が証する神様っていうのは、人間のいるところに降りてきてくださったし、今もこうやって人間に直接関わってくださる方なの!
そ、そうなんだ……。

(物語としては良いけど、それを実際の出来事と捉えるかは、また別の話だよね……。)

あれ、誰か来てる?
 カチャカチャと物音が聞こえる。プラスチック製の箸が箸入れに当たる音のようである。誰かが弁当箱を持って階段を上がってくるようだ。
ん?誰だろう……。
あ、あのー。ここで昼ご飯食べてるって聞いたから……。
あ、白附さん!来て来てー!
こんにちは。

(あ、来たんだ。もしかして白附さん、僕の"同志"か?)

 弁当箱を持って来るということは、白附幸音はクラスで一緒に昼ご飯を食べる友達のいないボッチなのではないか。陽太は幸音に対し、勝手に親近感を抱いた。

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