呼び集められた群れ

文字数 5,083文字

 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 

(新約聖書『ガラテヤ人への手紙』3章28節)

 今日も昼休みが来た。陽太は軽く伸びをして、鞄から弁当を取り出す。

 今までは、共に机を囲む相手がおらず孤独に苛まれながらの昼食であったが、今は違う。今は昼食の時を共にする相手がいるのだ。1人はヘンテコな狂信者であるが、最近は他の生徒からも受容されつつある。周囲から冷ややかな目で見られる心配もない。

 陽太は愛花とともに”いつもの場所”へ向かおうとする。が、教室から出ようとした所で、小林が声をかけてきた。

愛花ちゃん、5時間目に吉井きゅんが治ったかどうか、結果が出るね!
(またこの子は大それた発言を……。でもそれがサイッコさんの面白さなのかな。)
 心の中で呆れつつも、愛花の発言を楽しむ余裕も出来てきた。
じゃあ治ってなかったら、愛花ちゃん罰ゲームね!その時はシスターのコスプレしてもらおう。
…………。
 愛花は憐れみの視線を小林に向ける。
ここでもセクハラしとるかこのアホッ!
痛ッ!
 唐突なチョップが小林を襲う。背後から脳天に打撃を加えたのは、高橋である。小林の奥襟をつかんで、引きずっていく。
ごめんなサイッコラさん。こいつ調子乗りすぎだからシメとくわ。
そ、そっか……。
まあ俺はシメられても調子乗るんだけどね!
はいはいいろんな女子にセクハラしてるから、そろそろ反省しようね~。
 気を取り直して”いつもの場所”へ向かう2人。既に幸音が座っていた。
 3人各々弁当を開いて食事を始めるが、愛花は会話を切り出さない。幸音に祈りを強要したと批判されたことを気にしているようだ。
(サイッコラさん、さっきは大それたこと言ってたけど、白附さんに祈らせたこと、ちょっとは気にしてるみたいだな。そろそろ常識身に着けてくれたらいいけど。)
あ、昨日のことなんだけど……。
えっ、うん。
 沈黙を破ったのは幸音であった。それに対して愛花は、気後れしている様子である。
なんで私に祈らせてくれたの?
ええっと……。幸音ちゃんにも、神様に話しかけて欲しかったの。吉井君が癒されたら、神様が幸音ちゃんの祈りを聞いてくれたってはっきり分かるし。
(おいおい治らなかったらどーすんだよ……。)
 陽太は、喉まで出かかった”常識的な”ツッコミを飲み込む。治らない可能性を指摘すると、幸音を傷つけてしまいかけない。
でも、私なんかの祈り聞いてもらえるかな?
小学生の頃受洗したから、信仰告白した上で受洗してるでしょ?
うん、一応は……。
信仰告白って?
イエス様を救世主<キリスト>として受け入れて神様を信じますって宣言すること。イエス様が救世主<キリスト>だって信じられるのは、自分の力で信じたからじゃなくて、聖霊様が教えてくれること。だから、幸音ちゃんの中にも聖霊様が住んでくださっている。
うーん……。

(なるほど、わからん。聖霊がいてるって言っても、目に見えるわけじゃないしなあ。)

でも今は、神様に見捨てられてるかもって思ってて……。
詩編139編7節は、『わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか』って言ってる。だから、幸音ちゃんが、今は神様から見捨てられたかもって思ってても、信仰告白して受洗した以上は、神様が一緒にいてくれてる。多分、神様が『私はあなたのことを愛してるよ』って言うために、私を幸音ちゃんとめぐり合わせてくれたんだと思う。
(聖書の言葉とか、よく覚えてるなあ……。いつも聖書ばっかり読んでるのかなあ。)
 内心若干引いてる陽太。普段からドン引きなので、特に問題はない。
でも、私は救われる資格なんてないんじゃないかって……。前の教会でも、救われてないとか、罪まみれだとか言われたし。
何度聞いてもひどい教会だね……。
えーっと、通ってた教会は、頑張って良いクリスチャンにならなきゃっていう感じだったな。でも私の悩みの内容は、確かに罪とされることだったし、教会がひどかったかはわからない……。
(それって虐めやDVの構造と同じじゃないか……。被害者は自分に原因があると思い込んで、自分を責め続ける。こんなのあんまりだ。自分が熱心だからって人を精神的に追い込む宗教信者なんて、腐ってるとしか言いようがない。やっぱり宗教なんて無い方が良いんじゃないか?神が助けてくれるなんてファンタジー、現実には無いわけだし。)
 陽太は、”宗教”全般の存在意義がますます分からなくなる。信仰や祈りは気休めや現実逃避であって、道徳的に生きることが”宗教”の本質ではないのか。信仰のゆえに人を傷つけるならば、その”宗教”は存在しない方が良いのではないか。いろいろな疑問が陽太の脳内でとぐろを巻いている。
自分で頑張れたら、イエス様の十字架は必要なかったと思う。私達は自分の努力では正しくなれないからこそ、十字架の贖いが必要だったと思う。十字架で贖われたから、イエス様を信じれば罪の奴隷じゃなくて神様の子になれる。そしてクリスチャンの中には聖霊様が住んでくださって、私たちを、栄光から栄光へとキリストの形へ作り変えてくださる。神様の恵みは一方的なもの。努力するから救われるんじゃなくて、救われたから行いも変えられていく。人間の努力の入り込む余地なんてない。ただ救いを受け取るだけ。私はそう思う。
あれ?宗教って、救われるために善行を積むってイメージだけど、キリスト教はそういうのとは違うの?
世間一般で言う”宗教”は、救われるために人間が善い行いをする。でも、キリスト教はそれとは反対。神様の恵みが初めにあって、救われた結果として、人間が聖霊様につくりかえられて、善い行いをするようになる。
一般的なイメージとは順序が逆なのか……。

(神の恵みを受け取れば、救われる上に善い行いができるようになるっていうことか。やっぱりサイッコラさんの語るキリスト教って、物語としてはイイハナシダナーって感じだけど、そこが事実かどうか、だよなあ。白附さんが通ってた教会のこと考えると、キリスト教徒やってるってだけで善人になれるわけではなさそうだし……。)

やっぱり、愛花ちゃんの話すキリスト教って、通ってた教会で言われてたこととは違うなあ……。通ってた教会だと、最後の審判は近いから頑張りなさいっていう感じだった。
(サイッコラさんの話すキリスト教と白附さんの通ってた教会のキリスト教。どうも考え方がかなり違うらしい。サイッコラさんと友岡さんは最初かなり論争してたし、2人の考えもかなり違うよなあ。)
 この一週間で、陽太が出会ったいろいろな”キリスト教”。愛花は、聖書は神の言葉であり間違いはないと言う。そして、神は人を愛しており、神によって人間はつくりかえられるという。これは”物語としては”良いが、陽太にはとても事実とは思えない。一方聡美は、聖書は人の言葉であり、イエスも人だと考えている。そして、聖書や教義が事実であるかはさほど重要ではなく、イエスのように人を愛して生きることが大切なのだという。これは陽太にとっては納得の行くものであるが、かと言って自分が入信して神を信じようとは思えない。3つ目は、幸音が通っていた教会。それは陽太にとって、”悪質なカルト”でしかなかった。悩む者に追い打ちをかけるとは何事か。
自分で努力するっていう律法主義の考えのもとでは、誰も救われない。自分の努力で善行を積んでも、傲慢になって人を裁くようになるし、自分では善行を積んで生きているつもりでも、絶対に心のどこかに闇がある。人は自分の力では正しくなれない。
確かに、自分は正しいって思ってる奴って、人を見下したり、自分より弱そうな人に対して正論振りかざしたりするもんね。

(サイッコラさんもたまには良いこと言うんだなあ。)

福音書でも、律法に従って頑張ってた人が、律法に従えない人を見下したり裁いたりする場面が出てくるよね。
あー、今の時代でもいるよね。自分は頑張ってるから努力してるからーって、自分より頑張ってなさそうに見える人を露骨に見下す奴。
でも十字架は、そういう人間側の努力が無駄だってことを教えてくれる。
十字架……。
うん。十字架は、私達の罪を暴き、私達一人ひとりの罪がイエス様を十字架で殺したという現実を見せつける。そういう意味では、十字架の贖いは攻撃的なメッセージ。
それは中々ヘビーだね……。

(実質『お前が神の子を殺した』って言ってるのと同じだよなあ。これ聞いたら、『自分には罪なんか無い!』って怒る人もいるんだろうなあ。)

私の罪……。
それでも、それはイエス様が十字架に架かってまで私たちの罪を贖ってくれたことを意味する。だから十字架はイエス様からの、命がけの愛のメッセージ。
ふーん……。

(物語としては良いんだけどなあ……。こんなの事実として信じる人なんているんだろうか?あ、目の前にいるな。)

命がけの、愛の、メッセージ……。
この一方的な恵みを拒む理由なんてないよね?
 一通り話し終えると、愛花は2人を見つめる。『市民、信仰は義務です』と言わんばかりの満面の笑み。
恵み。一方的な……。
 愛花の言葉を小声で復唱しながら、思いを巡らせる幸音。

 一方陽太は平常運転であった。愛花の笑みを、白けた目で眺める。

(いや、『一方的な恵み』って言われても理性が拒むわ。)
幸音ちゃん、どう?
愛花ちゃんと出会って、今まで聞かされてきたことと違う視点の話が聞けて、良かった気がする。まだ、私と神様の関係はよく分からないけど、今までとは違う考えがあるんだなって思えるようになったような気がする……。
うんうん!そうだよ!神様からの福音は、自信満々の優等生だけのためのものなんかじゃない。誰でも救われるものなんだ!水野君は?
え、僕?うーん。これを信じられるようになったら、楽しいんだろうなーって思うけど、本当に事実なのかなーって。
事実だよ!
 コンマ0.2秒の即答。もはや脊髄反射の為せる早業である。
アッハイ。

(あかん、この子やっぱり狂信者だ。)

 陽太は自分の疑問を素直に述べてみたつもりであったが、”狂信的即答”を食らったので、これ以上話すのを諦めた。
でも、愛花ちゃんと出会ってからいろいろ不思議なことが起きてる気がする。こうやって、今までつながりのなかった人同士で喋るようになったし、友岡さんだって、最初はいろいろあったけど、溝が少し埋まった気がするよね。
確かに、サイッコラさんが突拍子もない行動に出てから、今まで交わらなかった人が繋がって行ってるよね……。

(サイッコラさんのおかげで友達出来たし、そこは感謝しとくか……。)

 愛花の”奇行”に巻き込まれたことから陽太に友人ができたのは、事実であった。幸音も聡美も、愛花に出会わなければ話す機会は無かったであろう。
私は教会に通えてないから、教会に通ってるクリスチャンから見たら失格者なんだって思ってた。でも、愛花ちゃんも友岡さんも、優しく話しかけてくれた。
……。

(やっぱり僕は出てこないか……。かなc。)

初めに、水野君が私の話を批判せず優しく聞いてくれたから、幸音ちゃんにも友岡さんにも打ち明けられたんだと思う。だから私にとっては、一つ一つの出会いがとっても大きいの。
(やったぜ。)
 幸音から”手柄”を認められ、鼻の下を伸ばす。
神様の愛は境界線も取っ払っちゃうからね。きっと神様の導きだよ!神様が一人ひとりを集めてくれたんだ!神様に呼び集められた群れなんだ!
サイッコラさんが竹田先生に喧嘩売ってから、1週間いろいろあったよね。
 嬉しさのあまり気が大きくなり、愛花の”黒歴史”を掘り返す。
いきなり教室に入ってきて、黒板に聖書は誤りのない言葉なんだって書いて行ったときは、びっくりしたよね。
 陽太があまりに爽やかな笑顔であったため、幸音も思わず会話に乗ってしまった。
ウッ……!!
 『この不思議な出会いは神の導きなのだ』という感じで、綺麗にまとめたかった愛花であったが、突如”黒歴史”を掘り起こされ、怯んでしまった。そして昼休み中はずっとテンションが落ちたままであった。

 愛花は、4限目には授業を聞き流しながら祈り、結局『人を裁くような態度は良くないが、人からどう見られるかよりも神の真理を優先すべきだ』という結論に達した。そして、黒板に『聖書は誤りなき神の言葉である』と書いて回ったのは、やっぱり正しかったのだと思うことにした。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

サイッコラ愛花(さいっこら あいか)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、熱心なペンテコステ派キリスト教徒。

世間で言うところのキリスト教原理主義者<ファンダメンタリスト>であり、嗣業学園の聖書科の授業内容に反発する。

水野陽太(みずの ようた)

嗣業学園高等学校の男子生徒。

入学してからというものの、クラスには馴染めず、部活にも入れず、鬱々とした日々を送っている。ある日突然、愛華の「嗣業リバイバル」に巻き込まれてしまう。

友岡聡美(ともおか さとみ)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、会衆派に属するキリスト教徒。

愛華の行動はキリスト教のイメージダウンにつながると、愛花に反発する。

竹田芳也(たけだ よしや)

嗣業学園高等学校の聖書科教員であり、チャプレン。


白附幸音(しらつき ゆきね)

嗣業学園高等学校の女子生徒。教会に通っていたことがあるらしいが……?

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色