メスメリズムとポゼッション

文字数 4,353文字

 そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。

(旧約聖書『士師記』21章25節)

 放課後。

 愛花の周りに人だかりができ、どこかへと移動していく。

(あー、今日もサイッコラさん、野次馬に連れていかれちゃったなー)

 どこか広い所へ移動して、今日も”奇跡のショー”を行うのであろう。

 ”信者”に引きずられていくように歩いて行く愛花を目で見送る。

 そんなところへ、将司と傑の姿が。

今日空いてる?

僕は(帰宅部で非リアだから)いつも暇だよ。

サイッコラさんのショーは観に行かなくていいの?
いや、我々は十分堪能したし、サイッコラさんから話もたっぷり聞いたからね。これからは別の視点から考えてみようと思ってるんだ。
それで、サイッコラさんの前ではできない話をできそうな相手が、水野君たちってわけさ。
達?
実は友岡さんにも声をかけてある。違ったタイプのキリスト教徒とも、じっくり話がしたくてね。
白附さんは?
白附さんは、真面目に信仰について悩んでるみたいだからなあ。俺らが興味本位で話し聞いたら、余計悩ませちゃうかと思って声はかけてないよ。
そっか。

(白附さん来ねえのか。チッ)

 幸音がいないのは残念だが、妥当な判断であろう。

 愛花の奇跡に興味を持っていると言っても、オカルト好きの連中が詮索すれば、信仰者にとって心地よくない話も出てくるはずだ。

 陽太は暇だったし同性の友達がいなくて寂しかったので、傑らについて行くことにした。

 喫茶店へ。

 陽太、聡美、将司、傑。奇妙な組み合わせ。愛花が騒ぎを起こさなければ出会わなかったであろうメンバーだ。

 適当に注文を済ませた後、適当な世間話を始める。

 数分後にそれぞれの飲み物が運ばれてきたところで、傑が本題を切り出す。

最近サイッコラさんがかなりフィーバーしているわけだが。
何かサイッコラさんを崇める宗教団体みたいなのもできてるぜ!面白くなってきたな!
(いや、楽しんでる場合じゃねえだろ。)
あちゃー……アイツほんまにやらかしおった。
 聡美が頭を抱え、『同じキリスト教徒として恥ずかしい』的なオーラを放っている。

 その様子を見て傑はクスリと笑う。

そこで、穏健派キリスト教徒である友岡さんの考えを聞いてみたい。今も考えは変わらないかな?
いやー、私は未だに癒しの奇跡とか信じられないわ。今でも、何か裏があるんじゃないかと思っちゃうし。
普通のキリスト教では、ああいうことはやらないんだったよね。
やらないやらない。
 手を振って即答する聡美。キリスト教を”誤解”されたくないという思いが見て取れる。
サイッコラさんがどうして奇跡を起こせているのか、何か心当たりはある?
もしかしたら、プラセボ効果みたいな感じかなって思ってる。
プラセボ?
ええ、プラセボ。簡単に言うと、効果があると信じているから、本当に効果が出るっていうこと。例えば、病気によく聞く薬だって言われて、ブドウ糖の錠剤を飲んだりすると、実際に病気が改善したりするの。
 傑は軽く微笑み、机の上で手を組む。
実はね、僕も似た印象を持っているんだ。
まあ、オカルト慣れしてる人だったらそう思うよねー。
 聡美の淡々としたリアクション。愛花の”奇跡”の宗教性を否定することに何の抵抗も見られない。

  傑は一呼吸置いてから、話し始める。

メスメリズムって、聞いたことはあるかい?
なんか、催眠みたいなやつだっけ?
そう。創始者のメスメル自身は、催眠をやっているという意識はなかったんだが、実際には催眠の要素が強かったとされている。
迷信に基づいていろいろやってたら、たまたま催眠効果が出たって感じかな?
正にその通りなんだ。メスメルは、動物磁気というものが存在すると考え、その磁気によって病気の治療が可能だと考えた。そして、実際に効果が出た。しかし、別の学者が調査した結果、動物磁気なんてものが存在するという根拠は見つからなかった。
今の時代で言うところの、疑似科学みたいなものよね。
今の時代……メスメリズムって昔の話なの?
 首をかしげる陽太。それを見て、将司はニヤニヤしている。
そうだぜ。フランス革命前の話。
そ、そんな昔なの!?古くても100年前とかそれぐらいかと思った。
 陽太のリアクションを見て、傑は笑みを浮かべる。
そう。そんなに昔の話なんだ。それで、メスメリズムを調査した学者たちは、『効果が出ているとすれば、それは思い込みによるものだ』と結論づけた。それがきっかけになって、後に催眠の研究が盛んになったそうだ。
メスメルにとっては、不本意な話だよね。
ま、そうだな!自分が信じた動物磁気が存在しなかったんだからな!
ということは、サイッコラさんも同じように、癒しの奇跡と信じて催眠療法をやってた可能性もあるってこと?
個人的にはそういうことじゃないかと踏んでいる。
”催眠術師サイッコラ”か。
催眠には、エリクソン催眠といって、自然な会話の中で相手に変化を起こさせるテクニックもある。サイッコラさんは、無自覚にそのようなテクニックを身に着けていた。そのように考えてみるのも、面白いんじゃないかな。
ペンテコステ派の中には、礼拝中に集団でトランス状態みたいにになってるとこもあるし、サイッコラさんが無意識にそういう技術を体得していたっていうのも、考えられない話ではないわね。
(友岡さん、辛辣なほど冷静に見てるなあ。やっぱりキリスト教のプロテスタントって言っても、いろいろあるんだなあ)

 愛花が聖書科の教師に異を唱えたこと、そして愛花と聡美の論争から、プロテスタントが一枚岩でないことはこれまでも散々見せつけられてきた。しかし、学内の生徒が”奇跡”に熱狂する中、冷めた視点を持っている聡美を見て、その違いを改めて痛感させられたのであった。

 そんなことを陽太が考えながら、コップに残った氷をストローで突いていると、将司は得意げに笑い始めた。

ふっふっふ。俺は催眠説とは違った仮説を用意したぜ。
どんな説?
 陽太はストローをいじる手を止める。
シャーマニズムって知ってるか?
イタコとかの?なんか霊能力的な。
まあそういう感じだな。シャーマニズムは、自分の魂を身体の外に離脱させ、異界を見る”エクスタシー”と、神格を自分の身体に憑依させ、超自然的な力を行使する”ポゼッション”って2つの能力が特徴だ。
魂が外に出たり、他の魂を乗り移らせたりするんだね。
でさ、聖書に出てくる預言者って、幻を見て啓示を受けたり、トランス状態になって神の言葉を取り次いだり、シャーマニズムっぽい所もあるんだわ。サイッコラさんの治療行為も、聖霊っていう神格を憑依させて特殊能力を使う、シャーマニズム的な実践にも見えるんだ。
 聡美は腕を組んで頷く。
確かに、聖書だと幻を見るって話しは出てくるし、ペンテコステの出来事って、いわゆるトランス状態に近い気がするわね。
ペンテコステの出来事?
 陽太は聡美の顔を覗き込む。そういえば愛花は、自分はペンテコステ派なのだと語っていた。愛花の思想と何か関係があるのだろうか。
ペンテコステってのは、”過越祭”っていうユダヤ教のお祭りから50日後のことなんだけど、ギリシア語の50を意味するペンテコステで呼ばれてる。
その日に何かが起きたんだね。
ええ、ペンテコステの日に、初期教会の信徒が祈っていると、聖霊に満たされて、いろいろな国の言葉で福音を宣べ伝えたと言われている。
っていうことは、サイッコラさんが行ってたペンテコステ派ってのは?
ペンテコステの出来事からとられてつけられた名前だと思うわ。聖霊の働きを重視し、聖霊に満たされることによって、現代でも超自然的な奇跡を起こせると信じている人たちよ。
ほ、ほう……。

 改めて突きつけられる、”ペンテコステ派”がいわゆる穏健派とは対極に位置する現実。かつて聡美が愛花に対し、「キリスト教のイメージダウンにつながる」と批判したことも頷ける。

 聡美は自分のコップに視線を落とす。

たしかに、ペンテコステ派の実践とシャーマニズムの関連性を指摘する研究者もいるし、シャーマニズム的かもね……。
そろだろ?キリスト教って多神教とか魔術を弾圧しまくってロマンがないなぁ~って思ってたんだけどさ、ペンテコステ派って調べれば調べるほど面白いよな!なんか現代版シャーマン集団って感じ!
サイッコラさん自身は、件の癒しがキリスト教の神によるものだと断言してるけど、こういう風にいろんな視点から話してみるとと面白いだろ?
サイッコラさんが聞いたらブチ切れて『悪魔よ出ていけぇ~』なんて言い出しそうね……。
水野君はこの件について、どう思う?
 突然意見を求められた陽太であったが、一呼吸置いて口を開く。
え、僕?いやー、怪我とか病気が治ったって話については、奇跡とか催眠とか思い込みとか、いろんな説明ができるよね。ぶっちゃけ”どうとでも言える”というか。
ほう。
 傑は興味深げに身を乗り出す。
なんか、僕らの生きてる現実って、”どうとでも言える”ことの繰り返しで、それを自分の考えに合わせて、説明しなおすのが僕たち人間なのかなーって。そんなこと思った。奇跡の仕組み事態は僕にはよく分からないけど。ごめん、話がズレたかな。
なるほど、いろんな考えの人間がいるから、人間の数だけ解釈ができるというわけか。サイッコラさんは、自分の信仰に基づいて一連の出来事を解釈するから、神が自分を通したと理解する。そして、サイッコラさんを崇める生徒たちは、『あのようなことを出来る人間は特別な存在に違いない』という感覚に基づいて、サイッコラさんを崇める、と。
真理などなく、すべては解釈にすぎない、か。なかなかマインドフルだな。
え、あ……。

(いや、そこまでカッコイイことは言ってないぞ。てかマインドフルって何だ。)

信仰や世界観というのも、この世の事象をつなぎ合わせて、自分に納得いくように整理し直した物語<ナラティブ>というわけだな。なるほど。
その視点で考えると、キリスト教の聖書解釈を巡る論争も、なんだか情けない話よね。私も含めて、”自由主義”だとか”福音主義”だとか、自分の主義に基づいて、聖書やイエスを自分に都合の良いように理解して、それを他人に押し付ける。うーん、反省せねば。
(あれ?いつの間に壮大な話に?)

 その後、4人は奇跡や信仰について、とりとめのない雑談をしてから、解散していった。

 帰り道の中、陽太は人間の信仰について思いを馳せていた。

(やっぱり宗教に関する出来事って、どうとでも言えてしまえるよな。祈ったから良いことが起きましたってのも、祈ったあとたまたま良いことがあったから、祈ったおかげだと勘違いしてるだけなんだろうし。ところでマインドフルって何だ。)
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登場人物紹介

サイッコラ愛花(さいっこら あいか)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、熱心なペンテコステ派キリスト教徒。

世間で言うところのキリスト教原理主義者<ファンダメンタリスト>であり、嗣業学園の聖書科の授業内容に反発する。

水野陽太(みずの ようた)

嗣業学園高等学校の男子生徒。

入学してからというものの、クラスには馴染めず、部活にも入れず、鬱々とした日々を送っている。ある日突然、愛華の「嗣業リバイバル」に巻き込まれてしまう。

友岡聡美(ともおか さとみ)

嗣業学園高等学校の女子生徒であり、会衆派に属するキリスト教徒。

愛華の行動はキリスト教のイメージダウンにつながると、愛花に反発する。

竹田芳也(たけだ よしや)

嗣業学園高等学校の聖書科教員であり、チャプレン。


白附幸音(しらつき ゆきね)

嗣業学園高等学校の女子生徒。教会に通っていたことがあるらしいが……?

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