第71話 ワレスの秘密 3
文字数 2,285文字
ワレスが確信を持ったのは、さらにその三日後のことだった。
千年樹のあった場所に石碑が建ったというので、最後の確認に今一度、ワレスたちはあの場所まで行くことになった。
前回、あれほどの
ワレスだってアーチのことが嫌いなわけではなかったから、失恋の痛手から立ちなおってくれたのは嬉しい。が、つい数日前のありさまを考えれば、あまりにも不自然すぎる。
不審に思って、友人と二人、木陰に入っていく彼のあとをつけていく。誰もいないところまで来たアーチは、友人と熱烈なキスをかわしはじめた。
(新しい恋人ができたから立ちなおったのか)
それなら不思議はない。
安心して引きかえそうとしたが、密生したエニシダの茂みにマントをひっかけて、身動きとれなくなってしまう。急いでマントを外そうとして、大きな音を立ててしまった。
ワレスが頭をかかえているうちに、アーチは真っ赤になって逃げだした。しかたないので、残った友人のほうに弁解しておく。
「すまない。ジャマするつもりはなかった」
男は一瞬、唇をかんだ。
にらんでくるのは、ワレスがアーチにしたことを知っているからだろう。
「アーチのことはもう、ほっといてくれませんか。あいつはあなたにすてられたことが悲しすぎて、全部、忘れてしまったんだ」
言うだけ言って走り去っていった。
(忘れた? そうか。やはり……)
それですべて納得がいく。
この世の終わりのように泣いていたアーチが、わずか数日で笑っていたこと。ハシェドの急変。二人の共通点は失恋だ。
二人は恋を失って、そして忘れた。
初めからその想いがなかったことになっている。
(片思いの人間だけが行きつけるという恋の魔法屋。はなから、うさんくさい話だと思っていたが)
おそらく、それは恋を叶えるというよりは、人の心をどうにかできる何者かなのだ。
砦からついてきていた司書も、森のなかに妙な気配があると言っていた。
あの日、ワレスたちが帰り道で迷ったことも、その何者かの仕業なのかもしれない。
(何が実害はないだって? 大ありだ。ハシェドがおれをすてて砦を去っていくと言うんだぞ)
アーチのことはいい。
ワレスはアーチの想いにこたえることはできないし、あんなふうに笑っていられるなら、そのほうが幸せだろう。
だが、ハシェドは——
(イヤだ。このまま誰かに想いを奪われて、おまえを失うなんて)
しかし、そう思う一方で、ハシェドが砦を去るというのなら、それもいいのかもしれないとも考える。
ハシェドにとっては確実にそのほうがいい。
これ以上、ワレスの言動にふりまわされて悩むこともなくなるし、愛する家族の待つ故郷へ帰れば、過去に自分が起こした悲しい事故のこととも向きあえるようになる。
ハシェドは本来、砦にいるような人間ではない。彼のいるべき、優しい人たちとの暮らしのなかへ帰っていけるのだ。
何よりもまず、ワレスの運命のために殺されないですむ。
(おれが……我慢すればいいだけの話だ。おまえがいない、さみしさを)
ワレスは長いこと木のかげで思い悩んでいたらしかった。あわてたようすで、ハシェドが探しにきた。
「よかった。一人でどこかへ行ったきり帰ってこられないから、心配しましたよ」
心配はしてくれるのか。
おまえはアーチのように、おれとのすべてを忘れたわけじゃない。友情だけは残しているのか。
皮肉なものだ。いつも自分がハシェドに味わわせているのは、こんな思いなのだと身をもって知ることになるとは。
どんなに焦がれても絶対にふりむいてはくれないとわかっている相手に、平静を装って友人を演じ続ける。
それはかつて絶対的な異性愛者のジェイムズを相手に、ワレスが抱えていた苦しみでもあった。
(ジェイムズは徹底したニブちんで、おれに対して思わせぶりな態度をとらなかっただけ、おれのほうがマシか)
ワレスは切なさをかみしめて微笑した。
「いいよ。おまえがそのほうが幸せなら、おれのことなど忘れて、砦を去るといい」
すると、ハシェドは惑乱しきった表情でワレスを見た。
「どうした?」
「いえ……なぜでしょう。今、むしょうに胸が苦しくなって……」
ワレスはハシェドの顔を見なおした。
(忘れたわけではないのか?)
ハシェドの想いは完全に消えてなくなってしまったわけではないのかもしれない。封じられているだけなら、あるいは……。
ワレスはいきなりハシェドを抱きしめて、激しくからみつくキスをした。ハシェドが友情ではすませられないような、濃密な恋人のキスを。
初めは呆然としていたハシェドだが、しだいに、だらりとさげていた腕に力がこもり、ワレスの肩を抱いて応えてきた。だが、それも数瞬で、とつぜん我に返ったようすで、ワレスをつきとばす。
「あなたは、なんだって、いつも……」
「ハシェド——」
「本気でないのなら、やめてください。よけいつらくなる!」
走りだすハシェドのあとをワレスは追った。今度こそ見失うわけにはいかない。必死で追っていくと、前方に小さな家が見えた。
木立ちのあいまに見えるレンガ造りのその家に、ハシェドはかけこんだ。
間髪入れずに、ワレスも続く。
扉をあけると、ハシェドは丸テーブルの奥にすわる少年にすがりついていた。
「なぜなんだ! 忘れさせてくれると言ったじゃないか」
「私は言われたとおりにしましたよ。でも、あなたがふたたび、その人に恋してしまうことは止めようがない」