第24話
文字数 2,012文字
そのあとの会議の内容は、まったく記憶になかった。
まわりで、あれこれ話していたようだが、ワレスの耳には入ってこなかった。
「伝達事項は以上だ。通常任務にもどれ」というギデオンの声で、ようやく我に返った。
席を立って退出する小隊長たちに、ワレスはついていこうとした。すると、
「ワレス小隊長」
ギデオンが呼びとめる。
ワレスの心臓がイヤな鼓動を打つ。
ショックのあまり、呆然自失になっていたが、ギデオンに変に思われたのではないだろうか?
「……まだ、何か?」
慎重にギデオンの表情をうかがう。
ギデオンはふつうの口調で言いはなつ。
「昼間の件、調べておいたぞ」
ワレスが頼んでいた、サムウェイ小隊長の所属のことだとわかった。安堵の吐息がもれそうになるのを、ぐっとこらえる。
「さようですか。ありがとうございます」
「サムウェイは第四中隊、第五小隊の隊長だ。コルトはその下の二か三の分隊。ベルギンに聞いたので、それ以上はわからない」
ベルギンは第四中隊の隊長の名だ。
「それだけわかれば充分であります。感謝いたします」
室内にはメイヒル以外の小隊長はいなくなっていた。
ワレスがおじぎをし、頭をあげたとたんに、ギデオンの口が唇に吸いついてきた。つきとばそうとすると離れて、
「まだまだスキがあるな」
ギデオンはおかしそうに笑った。
しょうがないので、ワレスはため息をついて退室する。
今はそんなことにも怒っていられないほど、気持ちがいっぱいいっぱいだ。
闇の一刻をすぎていた。
任務場所の二階までおりていくと、ハシェドが一人でぼんやりしている。
階段の見張りは上下にわかれて立つのが本式だが、ワレスはハシェドに手招きして、階段のなかばにならんで座った。
「わりに早かったですね。重要なことでしたか?」
ハシェドはムリにふだんらしくふるまっている。表情を見れば、そんなことはわかる。
ワレスはハシェドを見つめた。
ハシェドのよこ顔。
タイマツの明かりを映して、透きとおるブラウンの瞳。
りりしい眉。
彫りの深い面ざしにゆたかな表情をつける肉厚のくちびる。鼻すじは、しっかりして男らしい。
目元と口元の甘さが、そのおもてに南国の王子のような気品をあたえている。
「おまえは母親似だったな。ハシェド。おまえの母の名は?」
ハシェドの耳にゆれる銀の耳飾りを見ながら、ワレスはたずねた。
ハッとして、ハシェドはワレスを見なおす。心にとても、ひっかかっていたことをつかれたようだ。
「なぜ……ですか?」
顔がこわばっている。
(ほんとに、おまえなのか?)
ワレスは両手のなかに、ガックリと頭を落とした。
選べない。おれには、ハシェドも、ジェイムズも大切。でも……。
もし、どちらかを選ばなければならないとしたら——
ワレスは皇都ですごした、ジェイムズとの日々を思い起こした。
ルーシサスが死んでから、つねに、その暗い墓穴をのぞきこむようにして生きてきた。
ルーシサスの死体を抱いて、死んだように生きるワレスを、ジェイムズが救ってくれた。
そんな死体はおろして、明るい陽光のなかへ出ていこうと、ワレスの腕をとって、むりやり墓穴からひきずりだしてくれた。
裁判所の調査部だったジェイムズの仕事を手伝って、二人でよく難事件を解決した。初めはジェイムズやジョスリーヌにたのまれて、嫌々やっていたが、いつからか、ワレス自身、それを楽しんでいたように思う。
事件を通して、多くの人間と知りあった。
もちろん、殺人事件の解決には楽しいことばかりではなかった。そこには、たくさんの人々の喜びや悲しみがあった。
なんだ、おれだけじゃないんだと気づいたことが、ワレスが立ち直るきっかけだったのかもしれない。
おれだけじゃない。みんな、苦しんでる。
生きていくことはツライことなんだ。
でも、となりにはジェイムズかいてくれた。
一人で生きていくのは苦しいから、誰かの腕を必要とするのだと、ワレスは知った。
(ジェイムズ。おまえは、ほんとに苦労知らずの貴族のおぼっちゃんで、ちっとも、おれを疑わないで、いつもだまされて……でも、好きだった。おまえの笑顔が。裏表のないまっすぐな心が、好きだった)
ワレスは歯をくいしばった。
ブラゴール皇子の息子が捕まらなければ、ジェイムズは見せしめに殺されてしまうかもしれない。といって、ハシェドがほんとにブラゴール皇子の息子なら、確実に殺される。
ハシェドをとるか、ジェイムズをとるか。
悩んだすえ、ワレスはジェイムズとかわした、ある約束を思いだした。
——もし、私の助けがまにあわなくて、君が死んでしまっていたら、そのときは潔く……。
(いいのか? ジェイムズ。あのときの約束を今、果たしても?)
それは不思議と甘美な思いつきだった。
その魅力にあらがえなくて、ワレスは言った。
「今のうちに逃げるがいい。おまえの母の名が、もし、クリシュナというのなら」