第44話
文字数 2,189文字
と、そこへ——
「ワレス小隊長!」
かけこんできたのは、アダムだ。六海州人の面長の輪郭と、ユイラ人の色っぽい目元を持ったハーフである。
階段をかけあがってきたと思うと、断りもなく乱暴に扉をあける。
「おまえもか。静かにしてくれ。この上は中隊長の部屋だぞ。今、いいところなんだ」
アダムはワレスの言葉にたじろいだ。
「じゃ……ジャマしたな!」
「待て。なぜ出ていく。用があって来たんだろう? ジャマとはなんのことだ?」
「そいつとお楽しみの最中なんだろ?」
「はあッ? なんで、おれがこんな半月も風呂に入ってないやつと? ちゃんと、そこにアブセスだっているだろう?」
ところが見まわしても、アブセスはいなかった。湯を運んできたあと、そのへんに残っているものだと思っていた。
「変なヤツだな。なぜ、いなくなったんだ? 小隊長のおれの指示もなく」
「アブセスはいじけているのです」
そう言ったのは、アダムのうしろから入ってきたクルウだ。
「あなたが私ばかり使うので、自分は信用されていないとでも思っているのでしょう。以前、あなたに泥棒の嫌疑がかかったときに、アブセスは強硬に非難しましたから」
「まだ、あんなことを気にしていたのか? くだらない。アブセスの気質は正規兵むきだな。生真面目で応用がきかない」
「ええ。純粋なのです」
くすりと、クルウは笑う。
ワレスは肩をすくめた。
「そんなこと、おれにもわかっている。あいつを信用してないわけではない」
「そう言ってやらないと、アブセスは気がつきませんよ。アブセスはあなたを敬愛していますからね。尊敬する小隊長にそっけなくされて、しょげているのです」
ワレスは急に肩の力がぬけた。
「……だから、おれはそういう三文芝居みたいなセリフが好きじゃないんだ。家族愛だの、友愛だの、同士だの……クルウ、おまえまでそういうことを言いだすのか?」
ニッコリと、クルウは笑う。
「ええ。あなたを愛し敬っておりますよ。ワレス小隊長」
聞いているうちに、ワレスは恥ずかしさで死にそうな気がした。
ワレスは恋愛にはなれている。
だが、家族や友人、仲間といった属性のなかでの愛には、めっきり、うとい。
ルーシサスやジェイムズとのそれは厳密には友情ではなく恋愛だったし、誰もが人生の最初のうち学ぶそれらを、子どものころに経験していなかったからだ。
「もういい。これ以上聞くと背中がかゆくなる。クソッ。どいつもこいつも、おれに人格の破壊されそうなセリフを何度も言わせようとして」
「私はまだ一度ですが?」
「もういいと言ってるだろ——アダム。なんの用だ? 早く言え」
八つ当たりぎみに話をふられて、アダムは苦笑した。
「あいかわらず自分勝手な人だなぁ。あんたがブラゴール人のことを調べてるっていうから、わざわざ教えに来てやったのに」
「ブラゴール人がどうかしたのか?」
ワレスがたずねると、アダムはよこ目でユージイをながめた。ナイショ話ということだ。
ワレスはユージイに命じる。
「ユージイ。服を着たら寝台へあがっていいぞ。二段だから、天井からも床からも遠くて嬉しいだろう? とりあえず、ジョルジュが帰ってきたら、ハシェドのベッドを使わせるとして……」
「いえ、もう、平気ですが……しかし、そうおっしゃるなら……」
ユージイは寝台にあがっていった。
ワレスはアダムとクルウを窓辺の卓のほうへ手招きする。
「で?」
「うん。あんたのお探しのブラゴール人。クオリルか。もう遅いよ。やられた」
「やられた? 死んだのか?」
暗殺を思いうかべたのだが、アダムの答えは、
「あんたも激しい人だな。いっきに殺すなよ」
「違うのか?」
「違うよ。逃げたん——うわッ!」
逃げたんだ、が、逃げたんうわになったのは、ワレスがアダムの胸ぐらをつかんで、しめあげたからだ。
「逃げただとッ? すぐ追うぞ。どこへ行った?」
「うわ、うわ、うわ、違う。ちょっと待てって」
「違う? 嘘をついたのか? きさま」
「ち、ちが……嘘なんかついてない」
つめよられて、アダムはたじたじとなる。
「ほんと、激しい人だな。前だって、ちゃんと、あんたに手を貸しただろ? とにかく聞けって。そんな刃物みたいな目で、おれのこと見てないで」
「ふん」
乱暴なしぐさで椅子に腰かけ、長い足を組むワレスを見て、アダムは苦笑した。
「こんな人でも、なんか弱いんだよな。さからえないっていうか」
「いいから早く」
「はいはい。おれも、あんたに言われる前から変な気はしてたんだ。おれの隊にも一人いるけど、辞めると言うし、オルガの隊もそうだと言うだろ? ぐうぜんかとも思ったが……」
「だから何が?」
イライラするワレスに、アダムは告げる。
「ブラゴール人が砦を辞めていくんだよ。クオリルってやつもな」
くそッ!
ワレスは内心で
「いつだ? いつ辞める?」
「次の輸送隊の来る日に」
手まわしがいい。
皇都から逃亡した皇子の息子としてハシェドが捕まった今となっては、ほかのブラゴール人が辞めることをとどめることはできない。
「最初から、そのつもりだったんだ。あいつ、ハシェドのお人よしにつけこんで、一人だけ
ワレスが言葉を吐きすてたとき、とつぜん、入口の扉がひらいた。一人の男が入ってくる。
「そのとおりだよ。隊長」
ワレスの隊のブラゴール人、ナジェルだった。