第47話
文字数 2,357文字
「ハシェドが、何か?」
「クオリルは自分がアッハド皇子とクリシュナ姫のあいだに生まれた子だと言う。だが、そうすると……どうも、おかしい」
「どこがおかしい? 皇都から逃げた皇子の息子の母親は、そんな名前だった」と言ってから、ワレスも思いおこす。
「待てよ。ならば、なぜ、その名を聞いて、ハシェドはあんなに顔色を変えたんだ? だから、おれはハシェドが問題の皇子の息子に違いないと考えたんだ」
「そう。そこだ。前に家族の話が出たときに、おれも聞いた。ハシェドのお袋は、クリシュナだって。そんときも、ごたいそうな名前をつけたもんだと思ったが……」
「どういうことだ?」
ワレスが見ると、クルウはうなずく。
「クリシュナというのは、マハメトの妻です。第一夫人。つまり、正妻ですね。ユイラ風に言うと、全能神ユイラの長子ユクレラの妻、ラ・フルールというところでしょう。一般家庭で娘に、その名をつけることはありません」
「女神の名か。神聖な名前ということだな?」
「さようです。クリシュナはマハメトの家系の巫女姫に、しばしば用いられる名です」
「伝道者の家系の血筋……」
われは神とともに在る者。
神の言霊——
「やはり……そうか。ハシェドが、そうなんだな?」
ワレスのつぶやきを、クルウとナジェルは首をたてにふって肯定する。
ナジェルが言った。
「ハシェドの耳飾り。あれ、砂銀石だよな? おれもガキのころ、親の商売のせいで見たことがあるから、すぐわかった。それにウワサじゃ、神殿長の一番上の巫女姫は、三十年前、ただ一人、粛清をまぬがれて外国に逃げたそうだ。その姫の名が、クリシュナ。ハシェドは自分で気づいていないようだが、あいつ、とんでもない血筋だ。ことによると、皇族よりスゴイ」
「待ってくれ。ハシェドが伝道者の血筋だということは、まちがいないと思う。以前、ブラゴール語に神聖語はあるかと言っていたが、母の口から聞いたことがあったからだろう。だが、それなら、ハシェドはクオリルの兄ということだ。ハシェドも正真正銘、ブラゴール皇子だ」
言いながら、ワレスは自分で納得できない。
「ハシェドの母はクリシュナ。クオリルの父はアッハド皇子。これは、ゆるぎない事実。自分は皇子と巫女姫の子どもだというクオリルの言葉が事実なら、二人は同父母から生まれた、じつの兄弟ということになる。ハシェドは伯爵の前で、母は自分が腹にいるうちにアッハド皇子から離されたと言ったそうだが、それはクオリルをかばっての証言かもしれない。じっさいには、クオリルが生まれたあとに皇子のもとを離されたのかもしれない。しかし……」
できすぎだ——と、ワレスは思う。
「なあ、クルウ。まだ、こんなさわぎになる前、ハシェドは言っていたな。たしか弟が二人、妹が二人、母とユイラ人の父とのあいだにいると。あれはブラゴール皇子の息子の逃亡が知れ渡る前だから、ハシェドが嘘をついていたとは思えない」
「おぼえております。分隊長が母上からブラゴールの文字を習ったと話しておられた日です。あのとき、文字を知っている姫君となると、血の粛清をのがれた貴族の姫ではないかと、私は考えたのですが」
「どうして、そういう大事なことを秘密にしておくんだ」
クルウはかるく頭をさげた。
「三十年も前のこと。それも現在は幸せにお暮らしのようなので、そっとしておいてさしあげたほうがよかろうと」
そう言われれば、そうだ。
「わかった。正論だよ。話を進めよう。すると、ここに矛盾が起こる。もし、クオリルがクリシュナ姫の息子なら、どうして彼だけ、ハシェドたち兄弟と別にして育てられたんだ?
これが逆に、ハシェドだけアッハド皇子の手元に残されたのなら、わかる。ほかの息子は自分の血統として残しておき、跡取りとのみ命運をともにしようとした。男の心理にかなってる。だが、じっさいに残されたのは、クオリルだ。どうしてだろう? クオリルだけ、母が違っていたからじゃないか?」
クルウは思慮深い目つきで答えた。
「その可能性は高いでしょうね」
ナジェルも言う。
「じゃあ、ハシェドの言ってたことが正しいんだ。伯爵の前で言ってたっていうやつ。お袋の腹んなかに自分がいるうちに離されたって」
ワレスは首をかしげながら、
「でもな。アッハド皇子は人望がありながら、母方の血筋が劣っているせいで、正妻の息子に国を追われたんだ。そんな皇子が国をとりかえそうというとき、伝道者の直系の巫女姫が生んだ息子を手放すだろうか?
伝道者の血筋は皇族に勝るんだろう? そんは息子がいたら、ほかの何よりも強い武器になる。神殿も民衆も、貴族も、王族も、そんな神聖な子どもを無視することはできない。アッハド皇子自身よりも息子の権威のほうが高い。
わざと手放すとは思えないんだ。姫の身の安全のために、姫を遠ざけることはあったとしても、息子はどこにもやらないだろう。ましてや、敵国のどまんなかで、敵国人の手にゆだねるなんて、ありえない」
ワレスは結論を述べた。
「つまり、ハシェドはアッハド皇子の子ではない。それが正解だ」
アッハド皇子がクリシュナ姫と別れたあとも、しばしば逢瀬をかさねていたのなら話は別だ。が、おそらく、それはない。
なぜなら、クオリルはハシェドの弟に似ているらしい。それは、あることの証明に思えた。たぶん、クオリルは……。
ワレスが考えこんでいると、ナジェルが憤慨した。
「やっぱり、そうか。クオリルのやつ、おれたちを味方につけるために嘘をついたんだな? おれたちには、ハシェドが両親の同じ弟のあいつをかばって、自分から捕まったんだと言ったんだぜ。あれも出まかせか?」
「中隊長のところへ、ハシェドが自分で密告書を出して、だろ?」
「ああ。なんか、そんなこと言ってた」