第5話

文字数 2,475文字

 ワレスはハシェドに命じた。
「さきに行っていろ」

 そして、自分はあともどりして階段をおりていく。

 さっき、エミールのことを悪魔、カナリーを天使と誰かが言っていたが、言い得て妙だ。
 エミールの赤毛に対して、カナリーの髪はふわふわした綿毛のようなブロンドだ。瞳はあわいブルー。顔立ちも愛くるしい。

「ごめんなさい。ワレスさん」

 ワレスは廊下を見まわし、エミールがいないことをたしかめた。

「謝罪はいい。話は手短かにしろ」

 言いながら、階段のほうへ引き入れる。
 カナリーは恨めしそうに、ワレスをにらんだ。

「約束はどうなったの? このショールがそうだっていうなら、ぼく、返すよ」

 盗賊団を捕まえ、事件を解決した手柄により、城主のコーマ伯爵から褒美(ほうび)をたまわったうちの一部だ。絹のショールをカナリーとエミールに一枚ずつ渡した。

 だが、二人とも最初は喜んでいたくせに、今になって、カナリーは返すと言うし、エミールはカナリーと同じものなんてイヤだと文句を言う。

 正直、ワレスはウンザリしていた。

「約束は約束だ。守るとも。おまえは、いつがいい?」
「そんなお義理で抱いてくれなくてもいいよ」
「おまえは可愛いと思うぞ。その見目なら、おれにこだわらなくとも、いくらでも客はとれるだろう。可愛がってくれる者も多いだろうに」

 左右の目の色が違うエミールと異なり、カナリーの容姿は万人に好かれる。食堂の給仕のなかでも一番人気だ。ワレスに執着していることをあからさまにできるのも、そこのところに自信があるからだ。

「ぼくは、あなたを好きなの」

 ワレスは嘘をついた。

「かんたんに籠絡(ろうらく)できない相手がめずらしいんだろ? 以前、言ったとおり、故郷(くに)に恋人がいるからムダだぞ」
「それって、さっき話していた人のこと? ブラゴールに逃げたって」
「聞いてたのか」

 説明がめんどうだったので、これ幸いと、うなずいておくことにした。なんといっても、まぎれもなくジェイムズは、かつて愛した人だ。

「ああ。そうだ」
「その人、エミールに似てる?」
「いや、おまえにも、エミールにも、似ていない。あの人は特別だ」
「そのこと、エミールは知ってるの?」
「ああ」

「じゃあ、ぼくとエミールは対等だね。お願い。今夜、来て。今夜は誰もお客をとらずに待ってるから」
「わかった。どこへ?」
「以前の小部屋。食堂よこの。約束だよ?」
「ああ」

 カナリーはショールのすそをひらひらさせて去っていく。嘆息して、階段をのぼりかけたワレスは、ギョッとした。二階のあがりはなに、ハシェドが立っていた。

「すみません。聞くつもりはなかったんですが」

 どこまで聞かれたのだろう?

「人が悪いな。さきに行っていろと言ったぞ」
「すみません。ウワサを思いだして……」

 申しわけなさそうに、ハシェドは頭をかいている。

「ウワサ?」
「昨日、話した、男の死体のことです。たぶん、発見されたのが、このへんだと思うんです。それで隊長に知らせておこうと……すみません」
「べつにいいさ。いつものことだろ」
「おれ、てっきり、隊長の恋人は、いつもの手紙の人だと思っていたので、ちょっと混乱してしまって……」

 毎回、ワレスに手紙を送ってくる、皇都の女友達のことを言っているのだ。ワレスが皇都に持つ屋敷の管理などをたのんでいる。

(今でも、ジェイムズが、おれの特別な人だと勘違いしたのか)

 まあ、それもいいかもしれない。
 ハシェドにはそう思わせておくほうが、ハシェドのためにも、ワレスのためにもいい。
 ハシェドの気持ちに応えることは、永遠にできないのだから。

(おまえが、おれの特別な人……)

 ワレスは切ない気持ちで、ハシェドを見つめた。

「彼女はおれの母親みたいなものだ。ジェイムズの近況を教えてもらっているんだ」と、嘘をついた。

「そうですか……」

 ハシェドの表情が暗く沈みそうだったので、ワレスは急いで話をそらした。

「もういいだろ? 中隊長の暗殺計画を聞かれたというのなら、おれもあわてるが」
「そんな冗談言って、知りませんよ。誰かに聞かれても」
「冗談なものか」

 声をそろえて笑ってから、ワレスはあたりを見まわした。

「それで、死体があったのはどのへんだ?」
「おれも、はっきりとは。でも階段のあがりぐちと聞いたので、このへんでしょう」

 ボイクド城は古い城なので、階段やあがりぐちは中央がすりへって、わずかだが石がくぼんでいる。
 その床に上半身だけの死体が倒れずに立っていたとなると、よほどバランスよく、くぼみにおさまっていたのだろう。

 ワレスはそのあたりを念入りに検分した。

「血だまりがなかったというのも、ほんとらしいな。見たところ、新しい血のしみはない。人の仕業でないことだけは、たしかなようだな」
「内塔で起こらなくてよかったですね」
「ああ。行くか」

 歩きかけてから、ワレスは妙なことに気づいた。ふたたび、床にひざをついて、ながめる。

「どうしたんですか? 隊長」
「このあとは、なんだろうな?」

 階段は窓から離れていて、少し暗い。だから、初めは気づかなかった。

「ここだけ、いやに石の色が明るくないか?」

 ちょうど腕くらいの太さだろうか。
 床の石畳に丸いあとがある。といっても、切れめがあったり、液体をこぼしたようではない。

 ハシェドもワレスのそばにしゃがみこんできた。

「そう言われてみれば、まわりと少し色が違いますね。模様みたいに見える」

 こすっても、指につくのは砂だけだ。

「塗料でもないな」
「わかりませんね」

 しゃがみこんでいるワレスたち二人に、
「ジャマだ。どけ」
 背後から声がかかった。
 食堂に近い階段だから、人の通りが多い。

 正規兵なのだろう。ワレスの知らない男だ。
 ワレスと同じ小隊長のマントをつけ、肩をそびやかして追いこしていく。

「感じの悪い小隊長ですね。まんなかをふさいで、こっちも悪かったけど。いくらでも、よけていけるのに」

 ワレスは肩をすくめた。
「どうせ、もう会うこともないさ」

 傭兵と正規兵が任務でかかわることは、まずない。
 ワレスたちは男のことなど気にもせず、文書室へむかった。
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

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