第20話

文字数 2,236文字


 ワレスはハシェドの思いに気づいているのかどうか。微笑しながら、ビロードで包んだ細長いものを手渡してきた。

「ハシェド。これを、おまえにやる」
「なんですか?」

 ひらいてみると、みがいた大理石のようなツヤのある、ミルク色の(くし)だった。細緻(さいち)なもようが全面にほどこされ、象牙のようだが少し違う。
 どちらにしろ、かなり高価なものであることだけはたしかだ。

「これは?」
「知人の宝石商にたのんであったんだ。以前、七度焼きの木を森で見つけたことがあっただろう?」
「ああ。先月の森焼きのときですね。あのときは、どうなることかと思いました」

 砦の任務のなかでも、とびきり危険な森焼きの作業。
 その作業中にワレスが魔物に襲われ、死にかけたときの恐怖は記憶に新しい。

「七度焼きの木は焼けば焼くほど固くなる。中温で何度にもわけて焼くと、なかの水分がぬけて小さくなるので、最初に大きく切って彫刻をほどこす。すると焼きあがりには、きわめて緻密(ちみつ)な仕上がりになる。七度焼いたときの固さがちょうどいいから、その名がつけられたということだ。落としたくらいでは歯も欠けないし、見かけによらず砦むきだ。二つできたので、一つをおまえにやる」

 ワレスはいやに丁寧に説明してくれた。

「ですが、高価でしょう? おれの取り分の原木を売ったら、えらく高額で買いとってもらえましたよ。ましてや、これは、ずいぶん手間がかかって——」

 コン、と、ワレスのげんこつが頭をたたいてきた。

「命の恩人が何を言ってるんだ。いいから、とっておけ」

 ワレスの頰が赤いのを見て、照れているのだと、ハシェドはようやく気づいた。ワレスは思いやりを見せることや、親愛の情を示すことを恥ずかしがる傾向がある。

 ハシェドは笑った。

「では、ありがたくいただきます」

 二つのうち一方をというのだから、おそろいだ。そう思うと、くすぐったい。
 まさか、ハシェドのワレスに対する気持ちをくんで、そうしてくれたわけじゃないだろう。たまたま二つ作る大きさがあったからなのだろうが……。

 ワレスの肌の色にも似た純白の櫛を、大切にビロードに包み、ハシェドはふところに入れた。

「ありがとうございます。大切にします」
「用がないなら帰るぞ」
「待ってください。手紙を送ってきますから」

 手続きのための行列にならぶあいだも心が弾んだ。朝からイヤなことばかりだったので、ことさら嬉しい。

(一生、隊長についてくぞ!)

 決心を新たに、ワレスをふりかえる。
 ワレスは都から送られてきた手紙を読んでいた。完璧なその美貌に、ほのかな微笑が浮かんでいる。

 ハシェドの胸が急激に痛んだ。
 とうとつに、あの春の日の思い出がよみがえる。
 大好きだったリメラに嫌われて、母に抱きついて泣いた、あの日。
 うららかな春の日差しをあびる庭が、自分からは遠いものに感じられた。

(隊長。おれには、あなた一人。でも、あなたには……)

 ジェイムズの近況を手紙で知らせてもらっているのだと言っていた。あの人だけが特別だとも。
 ブラゴールに行ってしまった友人。
 今でも、ワレスの心をつかんで離さない。

(どんなことをしても、おれはその人にかなわない)

 同じユイラ人で、青春をともにすごし、何年もとなりでワレスを支えた友人。
 きっと、ユイラ人らしい白い肌の美青年なのだろう。

 ハシェドはワレスに背をむけて、行列の流れについていった。輸送隊の係はなれているので、すぐにハシェドの番になる。

「上書きしてくれ。ユイラ語は書けないから。サイレン州、ルエナン群……アリエル・ドラクナ宛に」

 手続きをして換金券を渡すと、ハシェドは列を離れようとした。ところが、いつになく呼びとめられる。

「あ、ちょっと待て。アリエル・ドラクナ……あんたが、ハシェドか? 第四大隊、第五中隊、第二小隊のハシェドだな?」

 日ごろ兵士たちは隊長の名前で隊を呼んでいる。そのほうがわかりやすいからだ。数字で言われると、一瞬、わからない。

「ええと……四の五の二。番地みたいだな。うん。おれだよ」
「あんたに家族から手紙だ。今度からはちゃんと文使いを使ってくれ。輸送隊としては規定外の仕事だからな」

 輸送隊で送るのは公文書だけ。
 私用のものは、リッドのような文使いにたのむのだ。

 それにしても、家族から手紙が来ることなんて初めてだ。悪いことでもあったんじゃないかと、ドキドキしながら封を切る。

 なかには便せんが一枚と、べつに封筒が一つ入っていた。まず便せんに目を通す。ブラゴールの文字がつづられていた。母からだ。


 ハシェド。かわりはありませんか?
 そちらの冬は寒いと聞きます。風邪などひいていませんか?

 おまえが行って二年たちますね。
 アリエルの回復は順調です。よい医者に診てもらい、このごろでは杖をついてなら、歩くことができるようになりました。

 おまえに会いたがっています。
 もう帰ってきてはいかが?
 伯父さんが診察代を出すと言っています。
 みんな、あなたの帰りを待っています……


 途中まで読んで、ハシェドは手紙をにぎりつぶした。

(お父さん。おれはまだ、あなたの顔を見る勇気がありません)

 歩けるようになった——そう。歩けるようになったのか。もう一生、寝たきりになるんだと思っていたのに。
 でも、おれは一生、自分がゆるせないだろう。

 物思いに沈んでいると、急に背後から声をかけられた。

「ハシェドさんじゃありませんか」

 ふりかえると、人ごみのなかに、ブラゴール人が立っていた。
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

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